師走の世相 + エピソード 35 アメリカの雇用

12月になったが、新潟市では雨の日が続いている。いまだ雪になる気配はなく、天気のいい日には春のような温かさとなり、人々の財布と心は寒くなる世の中である。

 

腱板裂傷の手術から11月29日で二か月になり、肩の装具も取れ、車を運転できるようになった。先日、久しぶりに1時間ほどの距離にある五泉の吉清水に湧水を汲みに行った。ここは水量が多く、水源では4本の注ぎ口から湧水が絶えることなく流れ出している。すぐ近くに車を停める事ができ、11月23日は勤労感謝の休日のため、常に3~4台の車が止まり、数人の人がペットボトルなどに湧水を詰めていた。私も、36本の2Lペットボトルの湧水を詰める。まだ右手では持てないので、時間がかかるが、ここではほとんど待たずに出来る。その翌日のニュースで五泉中川新に小熊が出たという。中川新は吉清水のある地区名である。

 

熊も好んで人里に出てきて騒動をおこしているのではない。山に食べ物がないので、人里に出てきて生きるために食料を探しているのである。

今まで取れていた農作物が天候に左右され、不作が続き、海では水温の変化で昔から食べ親しんだサンマや鮭が取れなくなった。人間もまた熊と同じで、今まで食べていたものが無くなれば他の代替品を探し回ることになる。

 

世界的な天候不順で、水害、渇水、海面上昇といずれも天候は食糧不足に直結する。琵琶湖の水位がさがり、よく滋賀県人が京都府民に言っていた「京都への琵琶湖の水を止めたろか」という冗談が水不足で現実になるかもしれないという。世界的に天候が変わり食糧不足になれば自給率の少ない日本は最初に影響を受ける。

 

食べ物のためなら人間もクマのように他人の領域に入り込み、騒動を起こし、人の心も荒んでくる。ウクライナしかり、世界ではすでにその動きは始まっている。

経済的、物質的な不自由が生まれれば人々の心は荒れ、窃盗、強盗、泥棒、詐欺など犯罪が増える。お年寄りのなけなしの年金をだまし取る人、SNSでは他人を誹謗中傷することで自分のストレスを発散させる人。そのエネルギーを使って、どうして一人でも多くの人が幸せになることを願うことができないのか?などなど、日本人にも思いやりの心を持つ人が減りつつある事を憂うるのは私だけであろうか?

 

世界からも、いいニュースは少ない。ウクライナの先も見えないうちに、イスラエルとイスラム系との戦争状態が起こってる。パレスチナ・ガザ地区に住むハマスはイスラエルに対するイスラム教徒の過激組織である。パレスチナの歴史を知れば、ガザ地区と言う狭い地域に追い込まれ、強国イスラエルから絶えずいじめを受けてきた。パレスチナ難民はイスラエルに対し、子供たちは石を投げ、過激派はテロをして抵抗することしかできなかった。

ニュートラルに考えれば今回の衝突はイスラエルにも大いに責任があると思う。ユダヤ人はヒットラーからのジェノサイドの犠牲になったが、同じ思いをガザ地区の人たちに味合わせてはならないのである。互いに長年にわたり憎しみの感情を育て、憎しみ合ってきた民族に平和な生活はない。たとえイスラエルが制圧しても、この恨みは何十年も、何百年も続くことは歴史が語っている。何年も互いに傷つけ合い、最も被害を受けるのは常に罪のない一般の住民である。

世界中に一人でも幸せな人が増えますようにと、今年の師走は今まで以上に強く願うのである。

 

エピソード35 アメリカの雇用

 

私は66歳でアメリカで退職した。私の年齢では65歳でアメリカの年金が100%支給されるということもあって、このタイミングで私が退職を決めたのである。

私の知る限り一般的なアメリカの会社では正社員であれば退職年齢は何歳で退職しなければならないとは明文化はされていないと思う。私の居た会社も支障なく仕事の出来る健康状態であれば66歳以降も働きたいと思えば働けたし、実際に80歳を超えて働いている人もいた。もちろん、経済的に余裕があり早期退職する人も同じくらいいた。もし、私が日本への帰国を考えなかったら、その後も普通に働けて、昇給も続いてさらに数年間は働くことが出来たはずである。

 

私の退職、帰国に当たって、日本に生活の基盤を作るまで何度か行き来し、私の都合のいい様に退職のタイミングを調節してもらったり、直前までカンパニーカーを使えるように便宜を罹ってもらったりしたので、かなり恵まれた状態であった。

 

必要な人材には手厚い待遇をする一方、アメリカのビジネスはシビアでもある。私が在籍した会社では物流業界の競争に勝つため、非正社員が多かった。アメリカの小売店では10月から年末までの3か月間で一年の半分の売り上げがあると言われる。9月中頃から物流業界は忙しくなり始めるが、それまでは比較的物が動かず暇な時期になるので倉庫やドライバーは正社員を抱えていては商売が成り立たない。倉庫作業員数を暇なときは簡単に減らすことができるよう派遣会社を通してその日必要な労働者を雇っていた。しかし実際はその人材派遣会社もまた息のかかったグループ会社であった。

 

倉庫で時間給で働く人たちはスーパーバイザークラスからは年間を通じて仕事があったが、その仕事に就いた年功序列で古くからいる人から順に仕事に出れるので、新入りは最初のころにはフルタイムの仕事ができるのは忙しい時期だけということになる。派遣社員で先任者になるにはその境遇を乗り越えなければならないというシビアな職場であった。その代わり、私のいた会社では時間給ベースで働く人にも業界内では上位の待遇をしていた。

 

トラックドライバーもまたもともと正社員であったのが、Team Star Unionというアメリカ最強の労働組合の一つと対峙し業界で初めてドライバーを社員ではない個人契約事業者と位置付けたのは西海岸で最大の港湾トラック会社でもあった私の在籍した会社のカリー社長であった。Team Starはもともとその設立にギャングが関係していたと言われる。一番得をしているのは組合のトップの人たちであり多額の組合費を納めて、表向きのドライバーへの支払いは増えるが競争力は低くなり、退職後の恵まれた権利を手にするまで働く組合員は少ないと言われた。

 

Unionizedによる輸送経費増加は結局消費者の負担となる。その組合から脱却するための交渉で組合の担当者はワシントンから自家用ジェット機で交渉に来るという労働貴族であった。社長はなぜかその担当者に気に入られ、「もしあなたが望んで組合に残るならロサンジェルス、ロングビーチ港に出入りできる唯一のトラック会社にしてあげる」と持ち掛けられたが、社長は「私の眼の黒いうちは、それはあり得ない」と突っぱねたという。

 

その担当者の退職に伴う置き土産のようにユニオンから抜け、ドライバーは個々の契約業者であり正社員ではないという扱いとなった。会社に出入りするドライバーは自分でトラックを持ち込む者と、ボスと呼ばれるトラックをドライバーに貸し出す人もいる業界であったが、毎日同じ会社で働くので属する会社の社名をトラックにつけていたし、配下のドライバーには健康保険、トラック購入のためのローン保障、事故障害保険、安全点検など、いろんな特典を与えていた。

 

仕事から離れて帰国して6年が過ぎた。懐かしくも、充実した毎日であった。

 

先月のミーちゃん

ハピー ハローイン

実際は嫌がって抵抗してました

箱があると、ともかく入りたがります

気まぐれミーちゃんは、たまに甘えてきます

だいたいはシカトしてるので、足でちょいちょい