9月のよもや話

2022年の熱い夏が終わり、9月10日は中秋の名月。そして新潟市でも16日から18日に3年ぶりの【新潟総おどり】が開催された。札幌のそうらんぶし、徳島の阿波踊りは有名で規模も遥かに大きい。だがこの新潟の「総おどり」はジャンルを問わないダンスフェスティバルとしては全国一の催しなのだそうである。こういうお祭りは気分を高揚させ、人々を幸せな気分にさせてくれる。冬に来ると言われているコロナの第8波が心配で、いまだに緊張感はあるが、世界的にはだんだんと日常の生活が戻っている。コロナの終焉も近いのであろうか?

そして、21,22日はO君 Fさんと何時もの寺泊のカニの宿金八へ一泊旅行。行きと帰りに長岡の国営越後丘陵公園によって3時間くらいパークゴルフをする。今では我々の親の世代が夢中になったゲートボールが廃れ、パークゴルフがいま高齢者のレジャースポーツとしてブームになりつつあるという。ゴルフより簡単に参加でき、確かに面白い。近くに施設があればもっと来たいと思わせるスポーツである。ここは特に国営なので210円で道具を借りて一日中プレーできるのであるから驚きの安さである。

25日に自転車で海岸近くの道路を走っていたら,関屋浜の駐車場から飛び出てきた柴犬の子犬がパニックのように道路を力走して飼い主の追っかけを振り切って逃げていく。結構交通量のある道路の両車線の車が停まってくれて、飼い主が子犬を捕まえる応援をするが、飼い主は追い付けず、どんどん距離が離されていく。ここは自転車に乗った私の出番と犬を追う。100mくらい追って子犬の先に回り込み、車道に出て道を塞いで追い立てると、犬は方向転換して飼い主の方に走りだし、追い付いた飼い主が飛びつくように確保して無事に捕獲。こういう状態で行方不明になってしまう犬は多い。

 

飼い主の男性が何度も私に頭を下げて感謝し、停まってくれていた車からも私に親指を立てたThumbs upのサインで何か言ってくれる。何を言ってるか聞き取れなかったが、Thumbs upされたら気のせいかGood Job!と聞こえた。一日一善、一日一犬で、一犬落着でした。

 

27日は高田の実家に日帰りの帰郷。本籍を新潟市へ移すための書類を市役所で受け取り、100歳の母とお寿司の昼ご飯を一緒する。だいぶ歩くのが不自由になっており心配であるが兄夫婦の介護で幸せに暮らし、ぼけずに普通の会話が出来ている。兄弟の中で一番心配をかけてきた私、日本に帰国して以降、毎年頻繁に顔を見せに行けるのはせめての親孝行かと思っている。

 

今年は台風が多く、9月には次々と台風が発生して日本を襲うが、私の住む地方は台風の影響も少なかった。多雨風とともに秋の気配が始まる。信濃川沿いをサイクリングしていたら、土手の桜の枝が一部紅葉が始まっている、小さな秋を見つけた。

 

27日に安倍元首相の国葬が開かれ賛否両論で国を挙げての大騒動になった。これまでも岸田首相の判断は軽率で、後で世論に押されて慌てふためくケースが多い。

しかし当日まで反対運動が続くのは違うのではないかと思う。外国に招待状迄出して中止はできない。死者を尊ぶのが日本人の心。どうせ翌日からは嘘のように反対運動は収まるのであるから、反対デモは前日までにして、当日は静かに送るべきだったと思う。

国葬反対の運動よりも国葬の基準がないために起こった今回の騒動は、与党野党ともに早急に国葬の基準造りをすることが政治家のすべきことだと思う。何事にも次の選挙のために目立っておこうというスタンドプレーの好きな政治家が多すぎると思うのです。

 

9月の最終日にアメリカのダウ株価は500ドルも下落し、2万9000ドルを割った。当然日本の株価も追従することになる。昨日アメリカの友人から、ついにカリフォルニアでのガソリン代がガロン7ドルになったと聞いた。リットル、円に換算するとレギュラーが253円、ハイオクが265円になる。私がいたときにはまだ3ドル前後であったからすごい値上がりである。

日本は年内は政府が石油元売り会社に補助金を出していて、高騰を防いでいるが、いつまでも続けられる政策ではなく、ウクライナ戦争が続けば来年はアメリカのような価格になると思っていなければならない。今のアメリカのガソリン価格は大体日本の1.5倍である。

アメリカで一年の半分は離週ごとにマンモスにスキーに通っていた私は、往復で約40ガロンのハイオクを使っていたので、今計算してみたら一回マンモスに行くたびに4万円近くのガス代がかかることになる、大体が一般の人でもアメリカでは走行距離は日本の数倍はあり、このガソリンの値上がりは、ひぇ~~である。

コロナ禍と、ロシアの所為で世界は今、物価上昇と、収入はそれほど増えず、貧富の差が広がり、治安が悪化し、部品が作れないための物不足で、このままウクライナでの戦争が続き、中国依存の体質が続けばますます経済は悪化し、後進国から飢餓が蔓延し、失業者が増え、世界恐慌に進みそうである。この危機に世界には独裁者はいても、有能な指導者はいない。

エピソード23

GメンとはGovernment man・あるいはGovernment officialというと政府関係者、公務員を示す俗称の呼び方であるが渡米直後、リトルとーきょうに暮らしていたとき、日系3世の学生と知り合った。その彼は大学卒業前の就職活動をしており、彼の希望は「駐日アメリカ大使館」」であった。最終面接まで進んだ彼にCIAからコンタクトがあり日本のアメリカ大使館に送るからCIAの職員にならないかと打診されたそうだ。結局彼は最終面接で落ちたが、私にそんな秘密を話す口の軽さが災いして落ちたのかと思った。しかし、友好国日本へ送られる外交官にもCIAの職員が混ざっているのだから、敵対する国なら外交官のほとんどはスパイ的な活動をしていると思って間違いないだろう。

 

その後 就職をして、ある日FBIのバッジを見せてGメンが私のオフィスに訪ねてきた。その数日前に私の施設から荷物を乗せて東部に向かったドライバーが荷物と共に行方不明になっていて、その後テキサスで射殺死体になって見つかったと聞いていた。そのドライバーが最後に寄ったのが私のところで、実際に私は其のドライバーと会って、弊社の作業現場に行って荷物を受け取るようにと指示していた。FBIの人は「その際に他の同乗者は居なかったか?おかしな様子はなかったか?」などと事情聴収して帰って行った。殺人事件にクロスインカウンターした瞬間だった。

 

私が仕事上頻繁に接触のあった税関員達もGメンであった。アメリカの役人は一人一人がかなりの決議権を持っていて、上に相談なしで決定できる裁量が大きい。よっておなじ様な件でも、あるオフィサーはOKだったのに、同じようなケースなのに他のオフィサーに当たるとNoという場面も何度か経験した。アメリカの役人はそういう意味で融通を効かせてくれることもあり、日本の役人のお堅いイメージとは違う。しかし汚職を防ぐため2年くらいで担当部署が変わって行く。

 

役人に限らずアメリカの会社組織は日本と違って何でもかんでも上司の了解を取らなければならないと言う組織ではない。日本のように上司に伺いを立てないと決まらない社会では決定が遅れ先へ進まない。アメリカでは社内でもここまでは貴方に決定権があると言う職種職権分けが自然に出来ていて、一人一人に職務内での決定権が与えられていた。

アメリカで警官に交通違反で停められて、現場で決定権のある警官の判断で、時には融通を効かせてもらい、そのまま許してもらったことも長いアメリカ生活では1度2度ではない、、、。3度あった。

 

今週のミーちゃん

かわいいが、最近反抗期。時には偉そうに我を通そうとする。抱っこしようとすると猛烈に反抗して両手をつっぱねる。お仕置に餌を減らそうかと思うと、ある時は自分から私のおなかの上に載ってきて愛想を振りまくのである。猫心と秋の空に翻弄されるこの頃である。