めんそーれ・沖縄の旅

4月中旬、桜の季節も後半となり、かねてより計画していた沖縄への旅を決行する。これはO君が見つけてきたHISのミステリーツアーなるもので、表向きは行き先を表示していない旅である。しかし、沖縄に何度か行っているO君がパンフレッドの写真から、ほとんどの行き先を読み解き、「これは沖縄の旅で、なかなかいいので行きましょう」と、皆に声をかけ、いつものFさんのほか、近郊の新発田からNさんが加わり、我々は4名での参加となった。4月16日から3泊4日の旅はANA機で新潟空港からの出発である。新潟空港発着は楽であるが沖縄まで3時間と意外とかかる。ビールを買って乗り込む。「機内食は付いていませんか?」と、しつこいほどCAに問うO君は単にCAに話しかけたいだけか?

               まだ利用客の戻らぬ新潟空港

那覇空港で今回のツアーガイドの與座さんの出迎えを受け、観光バスに乗り込む。この新潟空港発のツアーは総勢19名でバスの中でもゆったりである。そのまま、どこかに連れていかれるミステリーツアーであるが、だいたい行き先は分かっている。南に50分ほど走って、バスはインスタ映えするウミカジテラスへ。天候は南国らしい海と空と雲のコントラストが美しく、そこに作られた人工的な観光スポットは写真映えする人気スポット。

その後、市内のホテルにチェックインして、夕飯は「竜宮城うらしま」で伝統の琉球舞踊を観ながらの琉球料理。沖縄発祥のオリオンビールを飲みながらゴーヤチャンプル、海ブドウ、モズク、ピーナツ豆腐、沖縄そば、ぶた耳であるミミガー、豚しゃぶしゃぶ、豚角煮、お刺身などなど。

食後、我々は直接ホテルに戻らず、15名とは別行動で国際通りで那覇に住むO君の友人と会って、飲食する。

那覇一の繁華街、奇跡の1マイルと言われる国際通りをほぼ縦断する。泡盛のカクテルと島ラッキョウが美味い。新潟のおじさんは品がないと、いわれないよう抑えて飲むが、初日からちょっと飛ばしすぎ。沖縄の人達は親切で隣の若者が写真を撮ってあげましょうかと言ってくれる。それにしても人口33万人の那覇の夜は活気がある。国際通り周辺では遅い時間まで若者がワンサワンサ飲み歩いている。明日からに備え、帰りはタクシーでホテルへ戻る。

Day2は、やはり雲と青空のコントラストの美しい空模様。今日は首里城公園へ。この宮殿は今まで5回火災に会い、今は2019年の火災の後の再建中。

               宮殿再建中

美浜アメリカンビレッジの異国風景のきれいな商業施設、東南植物園、座喜味城跡を観光。北へ向かうその移動の間、嘉手納基地からのアメリカ軍の戦闘機が飛び交う。やはり沖縄は軍事施設の島。基地の近くの中古車センターの車の値段が$$$で表示されていた。基地の周りのお店では円とドルどちらも使えるという。

近年沖縄は雨が少なく、ほとんどの家の屋上には水をためる大きな貯水タンクが設置されている。そして、湿気が多く鉄筋コンクリートの家がほとんどで、昔ながらの瓦の平屋建てはほとんど見なくなってきている。うらやましいのは真夏になっても最高気温は33度くらいで、沖縄には花粉症が無いと言う。新潟の夏より快適そうな気候である。

 

今夜のホテルのチェックインは本部町にあるマハイナ・ウエルネス。幾分古いがプールと大浴場があり、部屋のベランダからは海が見えるリゾート気分のあるホテル。ここで入浴のあと、「かりゆしウエア」と言う沖縄では正装にもにも使えるという沖縄シャツに着替え夕食の会場に行こうとしたら、旅行社からのお知らせに、「レストランなど、部屋の外への部屋着でのお出かけはお控えください」と、あるので、ぶつぶつ言いながらも、わざわざ着替える。レストランへ行ったら「かりゆし」で食事をしている客がいたので、普段温和なFさんもかなりお怒りになっている。聞けばホテルでは部屋着でのレストランへのドレスコードは設けていないそうで旅行社が一般的なルールを書いたものか?

                ホテルの朝食

             部屋のベランダから

夜間、ずっと雷が鳴り、閃光が光り続けていた。それでも3日目の朝、出発の時間になると晴れてきた。3日目は沖縄本島北部西側に大きなたんこぶのように付いた本部半島の北側に回り、フクギ並木、海洋博公園で沖縄美ら海水族館の巨大ジンベイサメやマンタ、そしてマーメードのモデルと言われるマナティー、ウミガメ、イルカショー。

          フクギ並木を抜けて海岸へ

沖縄の海はサンゴ礁が海岸を覆い、環礁が発達していて、沖合で波が砕け、手前は浅瀬のラグーンになって居るので海の色が美しい。

         海洋博公園から対岸の伊江島を望む

               イルカショー

            ジンベイザメとマンタ

            人魚のモデルマナティー

                ウミガメ

              今帰仁城跡

その後、海の絶景の見えるDrive in リカリカワルミへ。バスでの移動が続く。バスの移動中困るのはトイレ、休憩したら必ず次の移動に備えてトイレに行っておくようにしている。Nさん曰く、「犬の散歩のように、行く方々でマーキン我々にはMustです。

          Drive in リカリカワルミから

そして今回一番の高級リゾートホテル、瀬底島のヒルトンホテルに入る。ホテルに着く前に搭乗員と運転手の好意で街のマーケットに寄ってくれた。新潟とは違った品物も多く、面白い。私はここで、部屋で飲むオリオンビールと添乗員の話していたルートビアを購入。ルートビアはアメリカでは結構一般的で私も頻繁に飲んでいたが、日本では手に入らないと思っていたが、アメリカ軍人が多く住む沖縄では普通にマーケットで売っていた。皆さんは飲んだことがないと言うので、買って帰る。

ここで昨日の二の舞をしない様、チェックインの際、私が代表して、「部屋着でのレストランでの食事はダメですか?」と聞いてみたら、「お控えいただいております」と、言われた。そして部屋に行ってみたらこのリゾート感あるモダンなホテルの部屋着は洒落た「かりゆし」ではなく、日本的でダサイあの天才バカポンが着るような丈の短い浴衣であった。危ない危ない、これで部屋の外をうろつくのはダメなのは私でもわかる。それどころか、あのきれいなフロントの女性への質問自体が思い出すとバカポン姿でリゾート感あふれる館内をうろつく姿を想像されたわけで、恥ずかしくて赤面ものである。

部屋からは目の前に海が見える。夕方海辺に出てみる。沖合には自然のサンゴ礁が防波堤を造って、白波が砕ける。東シナ海の海は静かで砂浜は想像していたほど真っ白な砂ではなかったが、サンゴのかけらの散らばる美しい砂浜であった。さて、ルートビアは思った通り皆さんには不評。これは初めて飲んだコークのように若者ならだんだん癖になる味なのであるが、皆さんには不評であろうことは想定内である。夕飯は今まで数度あったビュッフェの中でも一番の内容で、このところ、夜も朝も豪華な食べ放題のビュッフェが続き過食気味。ビールは勿論、ルートビアでなくオリオンビール。

             部屋からの景色

最終日の4日目、ホテルを出て途中で道の駅許田、海の見えるスポット万座毛と停まりながら那覇空港へと向かう。途中、添乗員の瀬底さんが沖縄の方言や風習、県の花、県の音、方言などを時にはクイズ形式で出してくれる。ついでに新潟県の事も調べていて、クイズで逆質問される。我らには県の事を聞いたら何でも知っていそうな元県の上級職Nさんがいるので、大船に乗ったつもりが見掛け倒しでした(笑)。バスは那覇空港へと向かう。途中で通る沖縄本島の一番細いところは東西2キロくらいの幅しかなく、バスからも東シナ海と太平洋がほぼ同時に見えそうな場所がある。

那覇空港に到着して、出発前に空港内のレストランで、もう一度沖縄そばを食べ、楽しい4日間を締めくくると、いよいよ沖縄に「またやーさい!」である。

搭乗を待つ間にも次々と本土からの修学旅行生か、本土に行ってきた沖縄からの修学旅行生が目の前を通っていく。本土からの修学旅行は我々の行かなかった那覇の南部にある平和を祈る戦争慰霊碑、激戦記念地を訪れるケースが多いという。激戦の地、沖縄は島全体が慰霊地でもあり基地の島でもある。中国の習近平は自分が権力を握るうちに武力を使っての台湾への侵略、統一をもくろんでいる。台湾はアメリカ軍が駐在する沖縄からすぐそばである。世界ではいまだに戦争が途絶えることなく、個人の願いに関係なく政治的、信仰的な対立で戦争を起こす。沖縄が何時までも平和な楽園であり続けるようにと祈らずにはいられない。

 

新潟に降り立つと桜の花はほとんど散っていて、もうすぐゴールデンウィークである。そういえば沖縄では桜は1月に咲いて、散るのではなく萎むように枯れて終わると言う。桜の下での花見での飲み食いの習慣もないのだと言っていた。さて、前回も私と行った赤倉の宿に忘れ物をしたO君は、今回は無事に忘れ物もなく帰宅、と思ったが、我が家へ後5分と言うところで、空港に買ったお土産の袋を忘れてきたことに気づき、新潟空港へUターン。さすが、日本での忘れ物はANAの係員が保管していてくれた。楽しい旅にまた一つ思い出を作ってくれた。

 

今週のミーちゃん