花の都・五泉にて

五泉市は新潟市の隣に位置する「花の都・五泉」として観光客を誘致していて、水芭蕉、桜、チューリップ、牡丹、シャクヤクと季節ごとに様々な花が咲き競う。

4月後半から5月初旬に2度続けて五泉を訪れた。最初はいつもの3人で咲花温泉に一泊、牡丹の開花に早かったので1週間後の2回目はミーちゃんに留守番を頼み日帰りのドライブ旅。

今は牡丹の季節。連休の混雑を避け、早朝に出て、9時前に牡丹園に着くと、既に数台の車が停まっていた。

牡丹園の花は満開で30分後にはかなりの車が駐車場に停まっていた。早く来てよかった。大輪の牡丹の花は「立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、美女に例えられる存在感のある豪華な花である。

その後、吉清水で持て行ったペットボトルに湧き水を汲み、新潟秋葉地区にある白玉の滝に行く。ここは駐車場から狭い谷を100メートルも行くと森の中に落ちる滝がある。こんなにも近場にある別世界の様な落差15mの滝は(雄滝落差 15メートル、雌滝落差 7メートル)1200年代から山伏の滝行に使われて来た場所で、マイナスイオンいっぱいの水玉が光に白く輝き流れ落ちる様子が、滝の名前の由来だそうだ。

これは暑い夏にまた訪れたい簡単に行ける場所にあるのに、想像以上にきれいな滝であった。

そして、新潟市南区にある江戸時代に長く庄屋を務めた重要文化財に指定されている旧笹川邸を見学。米どころ新潟県には古くからの旧家のお屋敷が多く残っている。


我が家の周りでも連休でかなり観光客が動き出していると感じる。感染力の強い変異株BA.2が威力を拡げ、新しいBA.4,BA.5と、これから広がる可能性のある変異種が次々に発見、報告されているので、連休後間違いなく感染者が増えるだろう。そして、感染者がいる限り、新たな変異種は出続けるので油断禁物。人類はこれからもずっとコロナ株と付き合っていかなければならないのである。

 

今週のミーちゃん

笹団子の笹を食べるミーちゃん。お前はパンダか?熊猫と言うから同種かも




雪と桜 +エピソード18

アメリカにいる友人Kさんは最高の素材を使って手造りされるスイスのスキーメーカー「ストックリー」の大フアンであり、ことあるごとにストックリーの良さを説いている。もう最後のスキー板と思って帰国時に買ったスキーも4シーズン目を迎え、「ストックリーのニューモデルは良いですよ」とLINEでも言い続けるKさんの催眠術にかかったのか、ニューモデルが欲しくなって、買ってしまった。Laser SL、これで私もストックリーに乗って6本目になるから立派なストックリー信者のようである。

新しいスキーを手に入れたら当然早く乗ってみたくなる。タイミングよくH君から「4月にもう一回赤倉に泊まりでいきませんか?」と。お誘いがあり、天候で最初より少し予定を早め4月9日ニュースキーを持って妙高赤倉に向かう。

6時半に新潟市を出て快晴の赤倉観光リゾートに着いたのは9時前で、すでに斜面の雪は緩くなっている。

ニュースキーを試しながら一本滑るとI 君から「ゴンドラなう」のラインがあり、しばらく待つてI君と落ち合う。数本一緒に滑っていると彼に仕事の電話があり地元の彼は昼前に急に帰らなければならない事になり、H 君夫妻が上がってきたのと入れ替わりで帰る。

ニュースキーは青色のデザインが格好良いスラローム用のスキーでしっかりと乗るとくるりと回ってエッジが雪面を捉えてくれる。オールマウンテンでないが上級者に評判のいいスラロームスキーなのでショートターンに向いている。本来は春スキーではなく、もっと整備され踏み固められた雪質で特性を活かせるスキー板である。それでもちゃんと反応してくれてエッジのグリップが良く安定感がある。最近の私は雪質により板を選んで使っている。

リフト降り口近くでマンモスのマークのステッカーをsnowboardに付けたカップルを発見「それ、マンモスのステッカーですよね」と、話しかけてみる。日本のスキー場で、これを見てカリフォルニアのマンモススキー場のシンボルマークだと気づく人は少ないだろう。私の他のスキーには同じマークのステッカーを貼った板もある。5年間マンモスに住んでいたと言う若者と、もっと話がしたかったが、このご時世で1分ほど話しただけで、深い会話は出来なかったのが残念。

               私のスキーに貼られたマンモスマークのステッカー

3時過ぎに上がって、金甚にチェックイン。富山県黒部のH君のスキークラブの仲間が来ていて同じ宿に泊まっていた。来るのは知っていたが天候の為予定を早めたことは知らなかったと言う。

 

温泉に入って食事をして、ネットで世界ミドル級スーパー王者村田諒太の世界王座統一戦を見ながら飲み続ける。

 

10日、桜の名所高田城址公園の快晴の空に今日の11時にブルーインパルスの飛行機が桜の模様を描くとニュースになっていた。運が良ければ妙高の麓からも見えるかもしれないと試みたが、見えなかった。

指導員の資格を持つH君に途中で停まりながらアドバイスを受けて滑る。まだまだ目指す処は遠いが、連日滑る時はこの位ゆっくりのペースがいい。

今回は春雪用にもう一本ストックリーを持って来ていたが、つぃかう事は無かった。最近のバインデングは工具無しで簡単に靴に合わせる調整が出来るのでH君にニュースキーを履いてみて貰い、私が彼のスキーを履かせてもらう。ストックリーはH君のいつか欲しい憧れのスキー板というので、硬い雪を滑る機会が有ったらまた試して欲しい。

11日は昼前に上がって私が二人を誘って高田城址公園の桜を観て帰ることに。今ちょうど満開の時期であり天候も良い。まだ蕾の妙高の桜から、山を下るに従い開花していき、高田平野まで下りると満開となった。混雑が予想されるが私の実家に駐車したら公園まで歩いて5分ほどである。3人でクレープを食べ、満開の桜を堪能する。

青空に映える満開の桜が美しい。H夫婦と別れ、実家に寄って100歳になった母の顔を見てから新潟市へ戻る。

そして、今の季節に公園内に咲くカタクリの群生は10年前に亡くなった私の父が、上信越自動車道が造られた時、山奥のカタクリの群生が潰されて行くのを見て、自転車で何度も通い採取して公園に母と移植した思い出の花である。父のカタクリは今年も元気に咲いていた。

新潟市に戻って、すぐ翌日、我が家の裏庭と称する裏の公園の桜も満開で、友人が4人集まり、ひっそり、目立たない様にお花見。コロナ禍でも他にはほとんど人が居ない場所だから、久しぶりに集う友人との飲み会は楽しい。

エピソード 18

アメリカの会社で働いていた私は、ロスアンジャルスという日本との窓口の土地柄のためアメリカに進出しているほとんどの日本の物流会社、商社さんとお付き合いがあった。2001年9月11日の朝、オフィスに行くと皆がコーヒールームのテレビの前に集まっていた。高層ビルが燃えていた。アメリカ同時多発テロであった。その時、2機目の飛行機がニューヨークの貿易センターに突っ込んでいき、ビルが崩れていく様子を映画の一シーンのような思いで見ていた。

 

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う津波で人や車が波にさらわれていくテレビの映像も衝撃的であったが、9・11はそんなテレビニュスの凄さを最初に実感した瞬間であった。その9・11の1年ぐらい前、ニューヨークの貿易センターに出張で訪れていたので、その時にお会いした方の安否が心配であったが、何もすることができなかった。

 

アメリカで各地に出張したが、私は出張も接待も「必要と思う事はやって良い」と社長に言われており、申告制であったので、ある意味、つきあいのある会社があれば自分の行きたい所に行けた。その他に私は家族の航空費も出して貰い、年一回の日本出張と有給休暇をもらっていたので、毎年一週間は東京でお客さん周り、その後は一週間実家に帰って休暇を過ごすことが出来た。会社のオーナーであるカリー社長はオールマイティーの存在であり、会社は順調で、彼の一言は絶対であり、私には総合的には大手商社社員並みの待遇をしてくださっていたと思う。

30歳までドロップアウトして定まらない人生を過ごしていた私には恵まれた職場であった。しかし、キャリアの無い新入社員として入社したところから登って行ったのだから適正もあり、努力もあったのかと思う。

 

それにしても人生は砂上の楼閣。時の巡り合わせで、ウクライナで幸せに暮らしていた人たちがプーチンという一人の男により一瞬で戦火の真っただ中に置かれる状況はやるせない想いである。世界にはいろんな意見があろうが、他人の犠牲を顧みず、客観的事実を歪曲して自分の都合のいい解釈をする人が居る限り永遠の平和はない。

今週のミーちゃん








 

妙高を滑る  + エピソード 17

新潟市のローカルのスキー場も閉まり、もう今季のスキーは終わりと思っていたが、高田に一泊の帰郷をするのにスキーを積んで行き、3月22日に一日の日帰りスキー。

新潟市を早朝6時に出て、高田に荷物を降ろして、そのまま赤倉観光スキー場へ行く。

今年の冬は『山雪』で、平野部は既に雪が無いが、山間部は大雪であったため、スキー場の駐車場の横にはいまだに3m近い雪の壁が残っている。今日は快晴。昨日と明日の天気は良くないので、ドンピシャのタイミングでのスキーである。そして今回地元高校のOB同級生のスキー仲間からH夫妻とK君が一緒に滑ってくれた。K君は目の手術直後で、朝滑ってすぐに上がった。指導員の資格を持つH君には最近何度かアドバイスをもらっており、今回も丁寧な指導をしてくれた。9時半から滑り始め、天候が良いと春の雪はすぐにベシャベシャのジャーベット状になってくるのはしょうがない。

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それでも今の季節のスキーは嬉しい。3時までじっくりと滑って高田に帰る。今年の桜は遅い。日本3大夜桜と言われる高田城跡公園は26日から観桜会が始まるというのにいまだ蕾は硬いままで色も付いていない。駐車場への交通整理の人が暇そうにしている。久しぶりの大外れに、来てしまった人達は、見る桜も無くぼんぼりだけで、どうするのだろうか?

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今季18日目の滑降日数はかなり良い。まだ赤倉には雪がある。

そして今日、高田城跡公園の観桜会は1週間の延長が発表された。

 

エピソード 17

アメリカに渡った年にハリウッドのアパートに4人の仲間と住んでいた時。仲間が集まってその頃はやっていた「こっくりさん」をしたことがあった。そして、その時の仲間がこの後何年アメリカに住むことになるかをこっくりさんに聞いた。4人の同居人のうちKやんはあと数か月と言われた、Sやんは数年、Nやんはずっと住むでしょう。と言われ、私は惑わされたくないので聞かなかった。後で思い起こしたら、そのお告げは全て当たっていた。

 

私は占い事を好んで受ける方ではないが、人生で何度かは流れで受けたことがある。その結果を知り、根拠はないが、ある程度当たるものであると思っている。昔、日本で「あなたは遠くに行くことになります」と言われたことがあったし、アメリカで超能力を持つ人に友人が会う事があり、私の写真を見せて間接的に占ってもらったら「お金には困らない生活が出来るでしょう」と言われた。占いの嫌な事は忘れてもそういう事は覚えている。時が過ぎて、その結果を想えば、いずれもある程度当たっていた事になる。

 

Sさんとマンモスに向かう途中。何度も通いなれた395のハイウエー。その晩は闇夜であった。ビショップからは長い登坂になる。坂を上り始めた処で、道路を少し離れて、丘のようなところを登り、道路の横の丘の平坦になった処に車を停めて満天の星を見ながら二人で缶ビールを飲み始めた。星見酒で道路の反対側には暗闇の平原が広がり、その何もなさそうなところに2~3の動くライトがみえた。100mほど離れた処で人の背丈よりはかなり高いと思えるところにふわふわと浮く様な奇妙な動き。「あれ、おかしいねぇ」と、話していると左から右にかなりの距離を移動をした後、消えてしまった。

帰りに気になって日中に同じ場所に戻ってみると、そこには平原などなく、人の歩ける場所ではない谷の風景があった。あの怪しいライトは何だったのか?

 

同じくアメリカで出会った友人が日本で経験した奇妙な話を思い出した。彼は名古屋経由で北陸の方面へコンサートの機材を運んでいる際、夜、円盤のような物が森の手前の草むらに下りるのを見た。一緒に車に乗っていた人と車を停めてカヤの生えた平原を走り見に行った。そうしたら10mほどの円盤が停まっていて、近づくと飛び立ち消え去った。一週間ほど後の帰り道に同じ場所に見に行った。同じ場所に車を停め、あの日、平原を真っすぐに走って見に行った場所に平原はなく、そには湖があった。そして湖の反対側に行ったら円形に草が生えていない場所があったと言う。「これは本当に本当なんだ」と彼は言っていた。

信じるも信じないも聞く人次第です。しかし、そんな経験を本当にしたと言っている人が居る事は事実です。

 

今週のミーちゃん

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狭いとこが落ち着くそうです

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シーズンの終り

3月2日、胎内スキー場に行く。雪は朝からべちょべちょの柔らかな春の雪。これでは雪解けも早そうだ。それでも硬く凍結した雪面よりはエッジが効いて遥かに良い。今日はランチを持ってこなかったので休みなく滑って早めに帰るつもり。胎内の一番ポピュラーなコースは長さが約1200m、傾斜が22度くらいでリフトに乗る時間は8分くらい。一気に滑り降りたら2分かからずに滑り降りる事になるが、リフト一本あたりの長さは乗り継ぎのある赤倉のリフトより長い。途中で止まらない滑りを3時間繰り返し12時半にはあがる。

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久しぶりのいい天気

シーズン中は週に一度滑りに行くのを目標にしている。混雑する週末は避けているので、毎週末、今度は何時行こうかと天気予報を見て予定を立てる。3月7日の朝、外は薄っすっらと雪化粧。胎内は12cmの積雪との知らせに急遽滑りに行くことに。

胎内では今月13日で今季のスキーを終了すると発表されていた。既に向かって右側のスキー場半分はシーズンが終わり閉鎖されていた。私のローカルスキーもあともう一回来たら今季は終了になりそう。今日の滑れるゲレンデは限られている。まだ比較的荒らされていないゲレンデの端をすべると、10cmほど積もった雪は重く、グルームされていない湿った雪は重くて滑るには手強い。

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行きはみぞれの降る天候

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新雪の残る斜面に自分のシュプールを刻む

今季の胎内のスキー場が3月13日に閉まる前の最後のスキー、混雑する週末を避け11日の金曜日に胎内へ向かう。家から1時間15分でゲレンデに立てるのは有難い。今日の気温は10度まで上がるスプリングコンデション。今日動いているリフトは一機だけ。ゲレンデは正面の2斜面だけなので、500円引きで4時間のリフト券が1500円という値段。アメリカと比べると日本のリフト代は驚くほど安い。たとえ値上げしてでも来期もオープンしてくれることを願う。9時15分から滑りだすと、日当たりのいい斜面からどんどん雪質が柔らかくなっていく。今日は春の柔らかな瘤とショートターン用のスキー板を持って来ている。

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珍しい快晴

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中央ゲレンデの横には滑りこまれて自然に出来た3本のバンプコース。一番最近出来たえぐれの浅いコースは難なく滑れるが、手入れのされていない古い残りの2コースは深くてとても身体が付いていけなくてギブアップ。

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完全なスプリントコンデション

途中で30分のランチを挟んでゲレンデに戻ると、滑っている最中に三島のSさんから電話が入った。Sさんは最近体調がすぐれないと言っていて、前日検査の為病院にいったと聞いていたので心配していた。4時間かけてのCT、血液・尿検査の結果は「特に問題は見つかりませんでした」という事で、厳しく言えば「おじいちゃん気のせいですよ」という事か、まずはやれやれ。しかし年齢と共に、加齢による体調の悪さも出てくることがある。Sさん日本へ帰ってからの気疲れか?お互いにもう若くないことを自覚してお酒の量も減らし、健康にまた再会できることを願い、ゲレンデからの電話を切る。

 

更に数本滑って、1時に上がるとストラバの記録は19本。昼直後の一本は記録し忘れたので、トータル20本滑った事になる。これで今季のローカルスキーは終わる。年が明けてからの短いシーズンで17日間のスキー三昧は私の中でもかなり良い記録である。日帰りでのスキーはコロナ禍の今できる数少ない安心して好きなことの出来る貴重な時間である。帰りに塩の湯温泉に寄ってかえる。海水位の塩分濃度のある熱めの湯はデトックス効果もあり、気持ちいい。

急に暖かい日々となり、帰宅して夏タイヤへの交換の予約を取る。

 

ここからはどうしても書きたいロシアのウクライナ侵攻に関する考察です。

オリンピックが終わった途端に、待っていたかのようにロシアがウクライナへの侵攻を始め犠牲者が増え続けている。世界は何度も戦争を体験して少しは賢くなって抑止力を備えてきていると思っていたのに、平和に暮らしていた人々の生活が僅か一週間の間に激変して戦場のど真ん中に落とされる様を目の当たりにする。何という事だろう。かくも簡単に一人の男によって戦争が始まってしまう。プーチン大統領は『我々はネオナチと戦っている』と世界中からネオナチ的行為を非難されている本人が言うのはまともではない。

 

プーチンはウクライナでの軍事行動で一切妥協せず、『この戦いが終わるのはウクライナがロシアの全ての要求を飲んだ時だけだ』と戦争を終わらせる意思が見えないうえに、核兵器の使用も仄めかしている。これは演習でありウクライナに侵攻するつもりはないと言っていた1月、2月に侵攻が始まっても市民を攻撃していない、と言っている。ずっと嘘をつき続け残忍な攻撃の手を緩めない最近のプーチンは、理性を失った精神的な問題を指摘する人もいる。

 

ロシアのメディアでは報道規制がかかり、国民はプロパガンダのような政府寄りの情報しか得られず、世界中から批判を受けるプーチンの周りはイエスマンばかり。最近のニュースでは「米国の支援を受けたウクライナの研究所が、コウモリのコロナウイルスのサンプルを使った実験をしていた」「アメリカと共同で化学、生物兵器を開発している」と主張。ロシアの外相が「ロシアはウクライナを攻撃していない」、ロシア軍が爆撃した小児病院については、最初は「ウクライナが攻撃したフェークニュースである」そして今日は「あの病院はウクライナの過激派に占拠されていた。患者はいなかった」とロシアの正当性を主張しているが、映像が真実を伝える。ロシア政府関係者の発言はプーチンに言わされているとしか思え無い子供の使いのような言い訳が続く。

 

情報が限られると世の中の何を信じれば良いのか判断が難しい事がある。

ロシアの人たちは情報管制を受け、政府に都合のいい情報だけを与えられ、「これはロシアをNATO、アメリカから守るための戦争だ」とほとんどの人が信じさせられているようだ。ロシアから引き上げる外国企業の財産を国営化すと言う暴挙に出て、ロシアにリースされている500機の航空機を没収するという目茶苦茶な行動に出て来るロシアは世界の嫌われ者になってしまった。一部の聡明なロシア人は気づいているが、反戦デモに参加した人の身柄が拘束されている。どちらに正義があるか正しい判断をして、反戦とウクライナ支持を表し続けて欲しい。

 

プーチンという一人の狂人により第三次世界大戦にまで戦火が広がる可能性がある。コロナとの戦いと同時に世界はロシアからの挑戦を受け、東西冷戦終結後最大の危機に直面している。ロシアの他にも一人の人間がすべてを決め国民に価値観を強いる独裁者的指導者がいる中国、北朝鮮とも日本は地理的に隣り合う国境を持っている。今の、日本はほとんどの人が戦争を知らない世代になっている。戦争を知る私の母親の世代はソ連が第二次世界大戦終りのどさくさに満州、樺太に攻め入り日本人をいじめた悔しい思いを忘れていない。戦争は我が国でも瞬時に起こりうるものだと改めて思う。平和ボケした日本国民に警鐘をならす出来事が今まさに隣の国ロシアが起こしているのである。

ソビエト連邦、中国、何処に行っても接触のあったほとんどの国民は親切であった。政治と宗教のイデオロギーの違いが紛争の火種となる。かって世界を旅していた時、「海外では政治と宗教の話は避けた方が良いよ」とアドバイスしてくれた人が居た。

 

ロシアの孤立化が進んでいるが、この状態を打開するために本当に核兵器を使うかもしれない。このままでは6月までしかロシアの経済は持たないと言われているが、ウクライナ全面占領は兵站を除いても50万人の軍隊の常駐が必要で事実上不可能と言われているので、今後侵攻を続けられなくなるロシアの経済破綻が先か、ウクライナの大幅な譲歩で停戦が決まるのが先か、それまでは激しい戦闘があるだろうと予断を許さない状況の下で状況は刻一刻と変化している。ロシアはウクライナ西部にミサイルを撃ち込み、ウクライナからの予想外に強い反撃で事態が長引き、世界の主流はウクライナを支持している事にプーチンは焦り始めている。早期の解決を望んでウクライナの話を聞く態度になって来つつあるとも言う。

世界中の人がウクライナへの支援を惜しまず、ロシアでも軌道を逸したプーチン離れが進み、早く平和な生活がもどる事を強く祈る。

最後に少しいい話を、ロシア侵攻の正当性を訴えるロシア国営放送の生放送の最中に「戦争を止めて、プロパガンダを信じないで」と、テレビ局スタッフが訴えたと言うニュース。ロシアの反プーチン派の人たちも逮捕覚悟で頑張っている。

露国営テレビでスタッフが「反戦」訴え 生放送中に - 産経ニュース (sankei.com)

 

今週のミーちゃん

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             二足立も出来ます

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           狭い処に潜り込むのが好き

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          女の子だもんお顔のお手入れ

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         ミーちゃんのファーコートは柔らかで肌触りが良い。

春の来る前に

 

連日山沿いに雪が降っている2月18日、また胎内に向かう。

昨夜積もった10cmほどの雪は私の家の周りでは朝にはすでにびちゃびちゃのシャーベット状になっている。曇り空で気温が高いのであまりいい雪ではなさそう。スキーには昨日の方が良かったかもしれないと思いながら、前回良かった正面右側の森の中に切られたコースに行って見る。前回と同じようなコンデションだが、今日はポールが立てられて既に滑った跡がある。それでも、見降ろした左側に残る雪面を滑り降りる。

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今日のスキー板はStockli アルファ、ショートターンに向き、新雪にも使っている

雪が降り出した。大降りの雪でリフトに乗るとウェアに雪が積もる。降りたての雪が少しコンデションを良くしてくれる。奥にある風倉第二ルフトの下にある圧縮されていないコースに入ってみると、荒れているうえの深い雪でポールを刺すと50cm以上埋まって行く。さすがにターンをするだけでやっと。オリンピックの影響か、ついつい頑張って滑ってしまう。結果は帰国後2度目のいい訳の出来ない転倒。起き上がるのが大変。

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昼くらいからはみぞれになりゴーグルに着いた雪が解けて水滴になる。それでも帰り際の数本は雲の間から陽が射してくれた。

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22日にまた胎内にいく。今日は胎内に向かう道中からずっと雪が降っている。日本海側の大雪がニュースになっているが、新潟の下越地方平野部だけが小雪である。これは佐渡が風上にあり、その影響で日本海側の新潟市周辺平野部だけがほとんど積雪が無い。山岳部はそこそこ積もっている。相変わらず駐車場に停まる車は全部新潟ナンバー。日中に一度圧縮された湿り雪は夜間に凍ってがりがりになる。今朝の積雪は3~5cmでスキーには物足りない量で滑ると下の硬い雪に当たる。今回は来るのをもう一日待った方が良かったか?ガリガリの硬いバーンは嫌だ。柔らかな新雪か、マンモススキー場で春先に10時には緩む雪の方がエッジが効いて滑り易くて良い。

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今日のスキー板はStockli SC オールマウンテンのスキー

雪のコンデション的には前回は一日遅かったが、今回は明日の積雪を待った方が良かった。一日早いタイミングのスキーであった。しかし明日は天皇誕生日の休日で混雑が予想される。胎内で最高のコンデションの雪に当たるのはなかなか難しい。

来週からは春めいた気候になってきそう。次に来る時には春スキーになりそう、降雪の中で滑る冬らしいスキーは今回が今季最後になりそうだ・

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車の中でランチをとり、午後からはかなり激しく雪が降ってきて、ゆっくりと雪が積もり始める。午後からは中級者コースは新雪でカバーされて滑り易くなって来た。気持ち良く雪上のターンを楽しむ。

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塩の湯に寄って温泉に入って帰る。入浴料300円は安い。客はほとんど地元民。塩の湯は熱い温泉として有名で、源泉が60度、かけ流しの温度は44度とある。身体を温度に慣らし乍ら入らなければならない。そしてその名の通りここの湯は海水と同じくらいの塩分濃度がある塩辛い湯である。ゆっくりと温泉に浸かって帰り道、雪の中を運転していると今日は熱燗が欲しくなって来た。帰宅後熱燗でいっぱい。

 

オリンピック

今回のオリンピックはカーリングを見ている時間が一番長かった。日本チームはスイスに負けて本人達はそれで終わったと思っていたら、インタビューの最中にスェーデンが韓国に勝って、日本が決勝トーナメント(4位以内)に行けると聞かされて、悔し涙が嬉し涙にドラマのような展開。そして決勝トーナメントで再びスイスと戦い、勝利。これで2位以内が決定した。一投で状況が逆転するスリルに、ずっとハラハラドキドキで応援していたので疲れる。

 

そしてカーリングの決勝が日曜に行われ、決勝戦は大差で敗れたが、2位の銀メダルが決定。最後は残念だったが、チーム力で期待以上に頑張って楽しませてくれた4人に、惜しみない拍手喝采。

平和の祭典ともいわれるオリンピック期間中は中国とドーピングに関するROCのごり押し的な存在感が気になったが、オリンピックが終わるのを待っていたようにプーチン大統領はウクライナへの侵攻を開始した。オリンピック憲章にはオリンピック、パラリンピック中の停戦を求め、ロシアもサインしていたそうだがプーチンはいくつもの約束を破っている。第二次世界大戦で終戦の決まった満州の日本人に襲い掛かったロシアの体質は変わっていない。ウクライナにしろ台湾にしろ、どちらの体制に付くかはそこに住む国民が決めるべきであり、大国が軍事力で強制すべきものではないと思う。

 

今日は2月22日のにゃんにゃんにゃんの猫の日。しかも2022年と6個もにゃんが繋がった猫好きには大切な記念日。帰ってミーちゃんを撫でる。しかし猫はこちらから近寄ると顔をそむけ、エサをあげる家内が居ない時には私にすり寄ってくる。可愛いいけど憎らしいのが猫。200年後の7並びの猫の日にも、猫と人とが心優しく共存している社会であって欲しい。

 

猫の日のミーちゃん

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深雪を滑る + エピソード16

オリンピックが始まり、毎日かなりの時間をテレビを観て過ごしている。疑惑の判定や不可抗力に近い失格や無得点。不可解なスピードスケートのフライイング、ワリエワのドーピング疑惑などネガティブな話題のオンパレードのオリンピックとなっている。もっと単純にスポーツ観戦を楽しめるオリンピックであって欲しいと思いながら観戦、応援している。そんな中、スノボーのハーフパイプで納得のいかない点数をつけられた新潟出身の平野歩夢の最終ランでの会心の逆転劇や、カーリングの藤澤五月の大逆転のミラクルショットなど、オリンピックには結果の裏に感動的なドラマが多々ある。

 

全国的に大雪がニュースになっているが、今冬の新潟市内は、頻繁に雪が降るが、湿った雪ですぐに溶ける。特に海岸に近い私の住む辺りは今年は10cm以上積もったことがない。その10cmの雪もすぐに消えてしまった。同じ市内でも海岸近くと、海岸から3キロほど内陸になる駅周辺とでは積雪はかなり違う。

 

そして、越後平野の外れ山間部にはもっと雪が降る。胎内スキー場に雪が降ったという知らせを聞き2月8日、新雪を滑りに行く。8日はもともと赤倉に滑りに行く予定だったが、まん延防止措置の適用により、新潟市に住む私は参加をキャンセルしていた。ローカルのスキー場は天候が悪い平日でも新雪を求めるコアな地元のスキーヤーが結構きている。

 

今日の雪質は湿った雪なので踏み固められるとすぐに硬くなるが、積もった状態で踏まれていなければ10cmほど積もった雪は滑り易い。正面のロマンスリフトの横にあまり誰も滑らない森の中に切られた狭いコースがある。一度グルームされた上に昨夜降った新雪が積もっている。滑るには丁度いい深さの雪で荒らされていない斜面に自分のシェプールを描ける機会はなかなかない。白い紙を目の前にした書道家の様に、この上にどう跡をつけるか、上から斜面を見下ろして、左側を滑り始める。

f:id:skizanmai:20220208102055j:plainターンに入る前にフワッとスキーの裏で新雪を感じ、外足で雪に乗ってターンに入る。吹き溜まりになった部分は結構深い。リズムを掴んで左右に気持ち良くターンを切る。

f:id:skizanmai:20220208102359j:plainこの一本だけの為にスキーに通ってもいい。至福の時であり格別の一本だった。

 

同じ斜面に戻り、上から見るとまだ右側に深雪が残る。

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新雪の2本目は一回目よりいくぶん細かいショートターン。滑り終えて下から斜面を振り返り、写真を残す。

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スキー場奥にある風倉高原のコースを滑ると雪質は他より良いが雪が降りガスってきた。新雪を数本滑れただけでも来た甲斐があった。来週も雪の予報だが13日に3回目のコロナワクチン接種を受けなければならないので週の前半は大人しくしていなければならないらしい。雪の降る間にまだ数回来たいと思いながら、山を後にする。

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追伸:3回目のコロナワクチンを13日に受けた、一回目、2回目はファイザーだったが、今回はモデルナ。私的には前回のファイザーの時と副反応は同じくらいの腕のだるさと腕を動かした時の筋肉痛のような痛さ。2日目には大分違和感も取れてきた。私にはモデルナでも心配はなかったようだ。自分の為、周囲の人の為、ファイザーを待たないで受けれる時に受けるべきだと思う。

 

エピソード16

アメリカで最もお世話になった一人である私が36年間働いた元California Cartage Companyのオーナーであり社長であったMr.Curryが90歳で亡くなられたと2月10日の朝アメリカの友人から連絡を受けた。私が働いていた間、81年の入社時から退職まで長きに渡りカリーさんがずっと社長であり、85年からは私の直接のボスとして、私にとり異国の地アメリカで恵まれた仕事の環境を与えていただき、安定した生活を築くことが出来たのはカリーさん無しでは出来なかったことである。

 

カリーさんの父親が1945年に創業したトラック会社をアメリカ西海岸最大の物流会社に育てたカリー社長は、さらに会社を大きくして会社組織を全米に広げていった。全米トラック協会の会長も務め、何かあれば業界の為に最初に行動する長年LA/LB港のレジェンド的なリーダーでありカリスマ性のあるジェントルマンであった。

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            私の退職祝いの会食にて。

2019年のカリーさんの退職に合わせ、会社は東部に本社のあるNFIの配下に合併されたが、もともと株式会社にすると株主に会社をコントロールされる事を嫌い、ずっとカリー一族の持つFamily会社として、自分の儲けより会社、従業員の生活を考えてくれる人であった。カリー一家はアイリッシュ系の移民でおじいさんがアメリカの大手石油会社ペンゾイルの初代会長であり、Cal. Cartage創業者のお父さんのニールさんは早くに亡くなったがケネディー大統領のブレインでもあった。LA近郊に牧場を持ち、ドバイの世界競馬ダービーの優勝馬を持っていた名家である。しかしカリーさんは、何時も周りが驚くほどいたって質素に暮らしておられた。

 

私は仕事に関してほとんど「あれをやれ、これをやれ」と、ボスであるカリーさんに指示をされたことはなく、私からの報告を受け、私の自由に仕事をさせてくれた。会社の看板とカリーさんの後ろ盾が無ければ私の今日は無かったと言えるほど私にとってカリーさんの下で働かせてもらったのは幸福な事であった。

 

日本人との交流も多く、カリーさんを惜しむ人は日本にも大勢いる。

最後までお元気で、大好きなゴルフをプレー中に倒れて病院に搬送され、亡くなったと聞いたのが、Mr. Curryを慕う人達へのせめてもの慰めです。

安らかに永眠ください。アーメン

 

今週のミーちゃん

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写真で見ると大人しく見えるミーちゃん、実は寝ている時以外はADHDでないかと思うくらい動き廻る。

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スキー繋がり+エピソード15

前から連絡のあったKさんと胎内で落ち合って滑る事になり、27日、胎内に向かう。Kさんの他にYさん、Hさん、が参加してくれる。彼らは2019年にイタリアのコルチナ・ダンペッツォにスキー旅行に行った時に偶然知り合った人達で、新潟市からのスキーヤーが偶然居たことに驚き、我々がベニスに行く前日に一緒になるはずのスケジュールであったが、その日に連絡先の交換をさせてもらおうと思っていた。しかし彼らはその日をスキー日でなくワインを楽しむ日にしたようで会えなかった。

 

ガイドの清水さんに託したメッセージが彼らに渡り、帰国後連絡を貰った。そして、なんとHさんは私のマンションの向かいに住んでいたと言う偶然。あの時、私が書いて託した一枚のメッセージが繋いでくれた出会いであった。

イタリア・スキー遠征 - skizanmaiの日記 (hatenablog.com)

 

帰国後、連絡を貰い、彼らが80年代の日本のスキーブームを作った映画「私をスキーに連れてって」のスキーシーンの監修をした海和俊宏プロを新潟市に招いた時は、私を誘ってくれて、一緒に会食をした。Yさんとは食事に出て、Kさんとは時たまメールのやり取りをしていたがコロナ禍となり、なかなか一緒に滑る機会が無かった。彼らはコロナ前まで毎年アメリカを車で走る旅行に行っており、スキーとアメリカの旅の話が出来る。

 

今日は曇り空で明日からは雪が降る予報。残念ながら雪質は期待できない。9時半からゲレンデに出て滑り始まる。5本ほど滑って約束の10時半前にロッジに入ると、Kさんと会う。レストラン前でYさん、Hさんに久しぶりに会い、ご挨拶。

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    前をいく3人、皆さん巧いベテランスキーヤー

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                Kさん

皆基本はスキー繋がりの仲間であるが、知って行くにつれ、皆さんなかなかの方々。やはり平日にスキーに来れるのは私のような退職者か、誰にも文句を言われない会長さん社長さんが多いよう。Hさん、Kさんは私より10歳ほど若く、会社の経営者。Yさんは私より6~7歳上で、数年前第一線を退いたそうだが、新潟県の経済界の重鎮で今でも噂では胎内市の半分は彼の物だとか(?)実際、胎内スキー場にも、古くから関わりスタッフ用のシーズン券を持ち、胸には胎内スキースクールの金バッチを付けておられる。「胎内スキー場は胎内市の公営ですか?」と聞いたら「半分はね」と軽く答えられたが、後で思ったが、あれは『残りの半分は私ね』(笑)という答えだったのかもと、思ったのであった。

 

昭和40年開設の胎内スキー場は、新潟下越地方では一番の規模のスキー場で、80年代のスキーブームの時はものすごい数のスキーヤーが訪れたそうで、その頃、雪面いっぱいにスキーヤーがリフトを待つ写真が食堂の前に展示されている。コロナ禍で下越に残る上級者も楽しめるスキー場は胎内だけとなった。ここが閉鎖したら気軽に日帰りスキーの出来る所が無くなる。今後も、営業を続けてくれる事を願うだけである。あ、これはYさんにお願いすればいい事かも。

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皆さん忙しい方たちで、午後から仕事があるそうで、早くに戻らなければならないそうで、すぐに鹿ノ俣ロッジに移動して食堂に入り早々の昼食がギンギスカン。この時間にノンアルビールでジンギスカンは初めての経験である。

 

食事の後、YさんとHさんは午後の予定の為、帰られた。少ししか一緒に滑れなかったが、わざわざ来てくれたことに感謝。Kさんも午後から会社に顔を出さなければならないそうで、それでも1時過ぎまで私と滑ってくれた。硬いコンデションの良くない雪だが、4本ほど滑った一番奥の風倉高原第1リフトの斜面は硬度があり雪質も他より良かった。少し雪が降り始め、気温が下がるのを感じる。私もKさんに合わせて1時過ぎに上がった。

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 胎内スキー場の全景

雪の知らせに2月2日に胎内にもどる。昨晩降った10cmほどの新雪が嬉しい。この雪の為に、天候が悪い中を胎内に通う。少し重いが、踏み固められる前の雪はエッジが食い込み気持ち良く滑られる。一人で滑る時は二通りの滑り方をする。じっくりと金子プロのレッスンを思い出しながら滑る時。そして何も考えずひたすら気持ち良くターンを楽しむスキー。それを交互に繰り返す。ほとんど休みなく3時間滑って駐車場で持って来たおにぎりを食べて、すぐ近くにある胎内パークホテルで温泉に入って帰る。

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風倉第二ペア下のコースは鉄塔の下を通る珍しいコース

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鉄塔の下にて

胎内には、ここを含め、私が入った事のある温泉が3か所ある。割安の公共温泉施設は何時も混んでいる。スキー場に近い胎内パークホテルの温泉は値段は800円と高いが、空いているので、ゆっくりと湯に浸かる。第二露天風呂からは遠くにスキー場のゲレンデが望める。

雪が降ってきた。この天風呂の半分は屋根が無く、顔に雪が降り注ぐ。これもまた良し。今週末はまた降雪の予報。この本格的な冬も今が盛り、今月末には桜の蕾も膨らみだし、春の気配を感じさせることだろう。冬が終わると、春の訪れももうすぐである。

 

エピソード15

世界は広くて狭い。

人との出会い、縁に驚く事がある。広い地球上での偶然の出会い。砂漠で一粒の砂同士が触れ合うような確率の中で記憶に残る偶然に驚く事があった。

エルエーでの日系社会では思わぬ人との繋がりに出会った「友達の友達は友達だ」という状況を何度か経験したことがあった。

 

アメリカで知らずに出会っていた女性で私のアメリカの投資アドバイザーをしてくれているCKさんは出身地が同じ故郷と後で知り彼女は高校の後輩でもあり、私の良く知る同級生で今はスキー仲間でもあるK君の従姉だった。

 

仕事で日本から私のオフィスを訪問した人が高校の後輩で、共通の知り合いが居た事もあった。故郷の人は世界でも方々で活躍している。

 

その他、出会いで驚いたのは大和レストランで一緒に働いていたTHさんが、私の中学・高校の同級生であるSくんと京都の大学で親しかったと聞いた時、THさんは空手を教ええている空手家でもあり、常にカラダを鍛えていて、私がたまにフラストレーションを発散させたいと言うと、それもトレーニングと二つ返事でお腹を殴らせてくれたりしたのである。そして日本での同窓会の席で、アメリカで貴方を良く知る人に会ったよとS君に伝えた時は誰よりも驚かれた。

 

湯沢のSさんは私がマンモススキー場で偶然声をかけた人であったが、彼は私の親友三島のSさんの知り合いの私も知るKさんを日本から知っていて、Kさんを頼ってアメリカに来たという親しい間柄であった。

(ところで、親しい友人でもなかなか会える機会の少ない人が多いなか、この二人とは頻繁にマンモスに通い、長年密接な関係を保ち続けられたので、ここにもスキー繋がりのおかげが大いにあるのである)

 

2019年のイタリア・スキーの旅にも書いたが、全国から集まったスキーツアー客の中に、新潟市からの4人組のグループが居て、そのうちの一人は私のマンションの斜め向かいに住んでいた。

同じツアーで四日市から来ていたTさんの弟さんが東京で大手物流会社の引っ越し部門で働いていて、私がエルエーから日本へ引っ越す手配をしてくれた米国支店の引っ越し部門で働くスキー仲間でもあるKさんと頻繁にやり取りをする関係であった、などなど、「え!こんなところで繋がりがあったの?」という出来事は頻繁にあった。

 

70年代にヨーロッパ旅行中に会った、これからコンゴ川をゴムボートで下ると言っていた人の冒険の結末を中米で聞いたことも記憶に残っている。

 

初めて海外に出た時、確かに世界は地理的に大きくて、人間の繋がりでは狭かった。あれから更に文明は進み、インターネットで繋がった世界はより狭くなり、世界中の誰とでもすぐに連絡を取れるようになった。いままでも出会いを大切にしてきたが、おかげで偶然出会った人とも連絡を取り続ける事が出来、友達が増え続けている。一期一会の意味も時代と共に変わってきている様に思う。

 

今週のミーちゃん

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