伊豆の旧友達

昨年9月に受けた肩の腱板の手術の経過は良く、年が明けてからは2週間に一度のリハビリに通いながら、ほぼ普段の生活が出来るようになってきている。とは言い、スキーは未だドクターストップであり、春までは重いものはまだ持たないようにと言われている。

 

元旦の能登地震の余震も残る1月24日、東京のアメリカ大使館で家内と共に公証の面談を受ける必要があり東京へ向かう。天気予報では24日から大寒波が日本上空にはいり、23日の夜から25日まで大雪の予報。上越新幹線は降った雪を溶かす装置が付いており、雪に強く設計されているので大丈夫とは思うが、気がかり。

 

出発の前日、23日の午前10時に、上越新幹線が架線の故障により運航中止とのニュース、『復旧までしばらくかかる』とのことで、雪以上の心配の要素となった。明日の朝までに復旧しないと、高崎で急行に乗り換えて東京へ行かなければならない。そうすると正確な到着時間が読めないので午後1時の予約に間に合うよう、早朝の出発となる。

 

23日、夜の10時になってやっと『明日の朝から平常運転の予定』とアナウンスがあり一安心。翌24日、早朝に起きると、外は予報に反して、ほとんど雪が降っていない。天気図では新潟市だけが何故か積雪を免れている。それでも7時半になるとパラパラと雪が降り出し、早めに駅に向かう。

 

9時12分の新幹線で予定通り東京へ向かう。この列車は途中、大宮にしか止まらないで、一時間半で東京駅につく。東京は快晴であった。東京駅とアメリカ大使館周辺で昼食をして時間をつぶし、12時半に大使館に入る。問題なくアメリカの銀行に出す書類に公証をしてもらう。公証はその書類の内容を公証人が証明して公的な書類とすることで、アメリカではいろんな場面でたまに要求されることがある。

 

その後、東京駅、日本橋、銀座界隈を散策する。実は東京のアメリカ大使館は3回目行っている。一度は20年ほど前、アメリカで柑橘類のミバエが流行った時、アメリカの弊社の施設で燻蒸をしてアメリカの公的機関が出した証明書で、日本の通関を通して欲しいという要求をアメリカ大使館を通して日本の通関の管轄省庁に要請すると言う役割であった。しかし事前の根回しはカリー社長がすべてやっていたので私の役割は確認作業的な楽なものであった。

 

その後、夕食は去年の10月に新潟に観光で来た高校の同級生T君と彼の職場のOBの方々と飲食をともにすることになっている。新潟に来た時のマンバー全員が参加してくださるという。午後5時20分に丸の内ビルで会い、行ったお店はかっての皆さんの職場であった三菱商事本社の近くにある7000人を賄う大きな社員食堂で、夜は、一部が居酒屋になり、社員、OB と, その知り合いだけが使えるという居酒屋で、入店には厳しいセキュリティーチェックがあった。

 

まだ、新潟に観光に来た時の記憶が鮮明な今のチャンスに皆さんと再会できて、楽しい時間を過ごすことが出来た。皆さんは主に人事の方が多かったそうで、人間を見る目をお持ちの皆さんには吞んべいの私はどう映った心配でしたが、2次会まで楽しく過ごせて、美味しいお酒でした。

 

家内は一緒に夕方からの食事会に参加した後、猫のミーちゃんのケアが有るので早めに抜けて新潟に帰り、私は東京に一泊の後、翌日三島でYさんに会い、車で伊豆稲取にアメリカからの旧友Sさんを訪ねる2泊の旅の予定である。

 

25日、10時前に三島駅の改札口でYさんと会う。YさんはSさんと同じ三島の生まれで彼とは幼友達、今までに20回近くもアメリカに来ており、私も、その都度頻繁に会っている友人。

快晴の空の下、伊豆にむかう前に、富士山のよく見えるポイントに案内してくれた。青空にそびえる昔から変わらぬ雪を抱いた富士山はきれいで感動的である。富士山はいつか噴火すると言われている活火山、このままの絶景が何時までも続きますようにと願うのであった。

ここから見る富士山の裾野が一番きれきれいだという

    旧東海道はこの車道の左側に並行して保存され残る幅3mほどの街道

 

伊豆半島のほぼ中央を『天城超え』の道路で縦断して東伊豆の海岸線に出て少し北上し稲取に入る道を行く。伊豆半島に天城と言う山はなく天城連山という特に高い山は無いが、火山岩の急こう配の山々が連なる険しい山岳地のことである。今は立派な車道があるが、急斜面の上り下りが多く、昔、歩いての天城越えはさぞかし大変であったと思われる。

 

待ち合わせのマーケットで、Sさんと落ち合う。再会を喜び、そのまま車で伊東、城ケ崎海岸を案内してもらい、買い出しをしてSさんの住むエンジェルス・リゾートへ。

     城ケ崎のつり橋


Sさんのリゾートマンションからは目の前に大島、利島、新島と伊豆七島のほとんどが見え、東京湾から外洋に向け船が航海する様子が眼下に絵のように見える。大浴場は天然かけ流しの温泉であり、電動マッサージ椅子が海に向かって並ぶマッサージルームとスポーツ器具の並ぶジムからは大きなガラス窓いっぱいに海が広がる。

          天然温泉の大浴場からの眺め

            マッサージチェアから


温泉から上がり、宴会が始まると外には満月が浮かぶ。Sさんはアメリカにいた時のように頻繁には会えないが、それでも帰国後も年に一回は会っている。Sさんはアメリカに45年暮らして、3年前に日本に帰国。私とはアメリカで41年間の長い付き合いで、出会いは日本食レストランのアルバイト仲間であり、その後ルームメートであり、スキー仲間であり、熊とドア越しにおしくらまんじゅうをした話、酔っ払ってパトカーをタクシー代わりに家まで送らせた話、ラスベガスやリノのカジノでの武勇伝、モハベ砂漠で目の前に大きなすい星を見ながらのマンモススキー場行、スキー場で初めて会った気の合った人を何人も私の作る日本食の食事に招待した事など、アメリカで一番一緒に過ごした時間の長いSさんとの良き時代の懐かしい話は尽きない。

アルプスを滑る (skizanmai.com)

          部屋から見える大島上空に浮かぶ満月

           相模湾の夜明け

早朝の素晴らしい夜明けの写真を、やはりアメリカ暮らしの長かったS.Sさんに送ると、湯沢からこの写真にLAの海を思い、「カタリナアイランドがはっきり見えますね。きっとマッスルビーチもそろそろ店じまいでしょうか?」とコメントを寄越すが、相変わらずの冗談好きと思うが、いや、しばらく会っていないので本当にボケた可能性もあると心配になる。

6月の半ばを過ぎて、今年はまだマンモスで滑られる (skizanmai.com)

 

今日も快晴で伊豆半島の南端へ向かう。途中カリフォルニアの海岸を思わせる白い砂に明るい海の色に感動する白浜海岸、そして日本最初の開港地である下田港、弓ヶ浜、伊豆半島最南端の石廊崎。冬の暗い日本海との海の色の違いに驚かされる。

  カリフォルニアの海のような明るい色の白浜の砂浜

               黒船来航の下田港でSさんと

            ペリーロード

      伊豆最南端の石廊崎の灯台

          ここが半島の最南端

   新潟にも、「日本一うまいところてん」といってるお店があるんですけど?

 

              弓ヶ浜


最終日、朝から温泉に入って、裏山を気分よく散歩する。昼食は、お勧めのそば屋さんに行ったら今日は閉店で、稲取港で毎週土曜日に開くというの朝市に行くと、これが大正解。地元の人が食事、物産を売っていて、金目鯛の釜めしをオーダーすると700円で具だくさんの金目鯛のあら汁が飲み放題で付いてきて、我々は4杯もお替り。そこで私は糖度19度のミカンと取り立てのワサビを買った。

    望遠を使うとコンパクトカメラでも、ここまで写せました

             裏山を散歩

            野生のシカがいました

        漁師料理のあら汁がばかうまでした


食後Sさんを送り返して、別れの挨拶。お互い元気でまた会いましょう。健康なら、おそらくは来年あたり最後の大冒険か?

Yさんとまた天城越えをして三島に戻り、私は帰路に就く。天城ではすでに早咲きの河津桜が咲き始めていた。

 

楽しい旧友との再会だった。Yさんが車で案内してくれたので、前回は見れなかった伊豆の観光地を訪れる事が出来た。Sさん、Yさん、そして今回出会ったすべての皆さんに有り難うと伝えたい。

 

追伸:

いまだコロナは終息したわけではなく、メディアが取り上げなくなっただけである。とりわけ、冬の1月2月は患者数が急増しており、60歳以上の入院患者が増えている。米国疾病対策センターによれば、感染して後遺症による不快感を訴える人は65歳以上では4人に一人。それが1年以上続く人も多い。高齢者は特に、気を付けて感染しないように過ごしたいものである。

 

SARS-CoV-2の感染が起こりやすい環境条件をわかりやすく説明したものが、「3つの密」と呼ばれる概念である[1,13,14]。

密閉:換気の悪い閉じられた環境
密集:狭い空間に多くの人が集まっている環境
密接:お互いの距離が近く、特に会話をしている環境

3つの条件に1つでも当てはまる環境に感染者と感受性者が滞在すると、感染が成立する可能性は高くなり、さらに3つの条件がそろうとより高くなる。

 

マスク、手洗いをして、換気のいい処で1.2m離れることで感染はほとんど防げるようです。どうぞ、この情報を共有して、気を付けてお過ごしください。