謹賀新年・波乱の元旦

今回は主にアメリカに住む友人達に元旦に起きた能登半島地震の詳細を伝えとともに、日本に住む友人達とは震災に備える心構えをシェアすものです。

 

年末に年越しのお節を食べ、2024年1月1日、新年が明けた。曇り空の下、歩いて初詣に行き、四か所の神社をまわる。新潟大神宮、新潟県護国神社、白山神社、新潟護国神社。新年の無事と平安を祈願して午後1時ごろ帰宅。

 

そして家に帰って3時間後、元旦の午後16時10分、携帯から突然の緊急地震警報がけたたましく鳴り響く。『大きな揺れが来るので退避してください』という。地震でまず考えることは「最終的な震度はどのくらいだろう」「震源地は何処だろう」と、思うが、最近の携帯警報はすごい。アプリを入れて置けば実際に揺れる2~3分前に警告音がなり、避難を促す。日本ではこの速報警報システムにより、新幹線は一斉に非常停車をして大惨事を避ける事が出来ている。すぐに震源地は石川県の能登半島で新潟市での予想震度は3と知らせがある。第一波の揺れはたいしたことなく、「ああ、大事にならなくて良かった」と安堵していたら続いてまた大きな警告音。

 

少し、時間をおいて第2波の揺れを感じる。第2波の揺れが一番大きく長かった、ゆさゆさと建物が揺れ出す。壁にかけた額縁が激しく揺れる。割れ物の入る飾り棚は地震にそなえ、ある程度は固定してあるので被害はなかった。我が家は14階建ての築15年のまだ新しい部類の鉄金コンクリートのマンションで、ここは7階である。耐震性は強いはずで、津波にも強く、地震の時は家に留まるのが避難所に行くよりも一番安全である。

 

しかし、その時に何処にいるかにより、古い建物ならば建物が倒れて生き埋めにならないよう、警報があった時はいち早く火元の始末だけして外に避難すべきである。今回家が崩壊して下敷きになった犠牲者が全体の8割を超えるという。そして揺れが収まったら、次には津波の心配をして高台へ避難しなければならない。

第2波の揺れは長く続き、どこまで被害が広がるのか、揺れが収まるまで、震源地の事や、ここより震源地に近い実家のことなどが気になるが、収まることを祈るしかない。携帯に続きすぐにテレビなどで情報が入りだす。新潟市の震度は5であった。第二波の方が大きい地震は珍しい。能登地方ではマグネチュード7.6で、震度7とかなり大きい。新潟市での震度5は私が経験した中で一番大きい地震であった。

 

地震が収まって、今度は津波警報がでる。津波警報は東日本大震災の悪夢がよぎる。その後も何度か揺れは続き、原子力発電所もあり、安全の確認、津波、家屋倒壊、液状化現象など地震に伴う十分な注意が必要。日本海側の地震の特徴は津波の到着時間が早いことだそうで。新潟市は海抜以下の地域が方々にあるが、幸い堤防を越える規模でなく、津波の被害はなかった。

 

新潟市は震源地から約150キロ離れており、大きな被害はなかったが、それでも、半壊3軒、一部破損774軒と、距離の割には被害が出ている。新潟市はもともと日本最大の川、信濃川の作った砂地の土地なので、西区の一部で液状化現象が起きて路上に土砂や水があふれ出したり、道路がひび割れて浮き上がったところがあった。今回能登半島で動いた断層は新潟の佐渡島の西まで続いているそうで、実際、能登の地震に影響されたと思われる佐渡島沖合いを震源とする震度3の地震が何回か起こっている。

 

新年の元旦から避難所生活を強いられることになった能登地方の方たちの事を思いやる。日本は地震大国、何処にいても被災者となる可能性がある。防災速報アプリは絶対に入れておくべきで古い家に住む人は、屋外に退去する事で多くの命を守ることが出来る。8日夕方でこの地震で亡くなった人は168人、安否不明の人がまだ250人近くおり、いまだ集計中で情報が不明なところもあり実際の数字はまだ増え続けている。

 

被災地でも新潟でも7日は雪が降ってきている。寒い中での帰る所のない避難生活は何時まで続くのか、生と死のはざまを見た大勢の方々がお正月から先の見えない過酷な状況にある。自然災害も、戦争も、善良な市民を被害者にするのはもう勘弁してほしい、それが新年の願いである。