春が来る前に +エピソード 31 ドン・クワバラ

大雪警報で始まった今期のスキーシーズンであったが、湿った雪で溶けるのも早く、思いのほか早く春になりそうな気配である。しかし溶けた雪が凍ってその上に降った雪で表層雪崩が多く、各地で雪崩による遭難者が例年になく多く報告されている。安全のため、ゲレンデから出ないスキーを心掛けている。

 

2月23日から2泊のつもりで妙高にむかう。今日は赤倉観光スキー場の駐車場で夕方から広瀬香美のコンサートがあるのは知っていたが、10時半に駐車場の前を通るともう満車になっていた。H君から情報を受けていたので、そのまま金甚ホテルに行って車を停め、リフトチケットを受け取ってスキー場へ送ってもらう。そこで渡されたチケットが23,24の2日分。あれ?と思い、すでに滑っているH君に電話して初めて、今回のスキーは一泊の予定であることを知る。メールでは「23・24日の一泊2日で」と、あったのを、私が良く読まずに勝手に23と24の2泊の宿泊と思っていたのであるから完全に私のミスである。しかし、仕事を持たない自由人としてはどうにでも変更可能なスケジュール。

 

ゴンドラ乗り場には長いライン。今日は天皇誕生日で祝日でもあった。我が家では天皇誕生日より、その前日の2月22日のにゃんにゃんにゃんの猫の日の方が有名である。今日コンサートをする広瀬香美はアメリカのトーレンスの私の家の近くに住んでいたので、マーケットなどで見たという話は聞いたことがあり、ちょっと親しみを感じる歌手である。

すでに仲間はネープルのレストランで早めの昼食中だったのでそこで合流。

 

午後1時から金子プロに2時間ほどレッスンを受ける。雪質は、朝のうちは良かったそうだが、午後からは踏み固められた雪。ゲレンデも今日はかなり混んでいる。黒部から参加しているH君の友人で内科医のM先生と地元から参加のI君は今日は日帰り。

金子さんのレッスンは私はターンにはいる時に肩から入っていると指摘され、肩を前に出さずに外側に肩を落とし、外脚に体重を乗せていく練習。永年身に付いた癖を直すのは大変で、コツをつかんだころにはシーズンが終わる。そして来シーズンには忘れていると言うていたらく。それでも楽しく滑れたらいいか。

今日最後のランで赤倉観光ホテルの下の混雑する緩斜面。前を滑っていた女性が転倒していて動かない。そばにいた私とH君夫妻が駆け寄るが動かないのでパトロールを呼ぶ。しばらく動けないでいた女性は我々と同じくらいのシニア世代で顔面を押さえて痛がっている。転倒場面は見ていなかったが、どうやら後ろからぶつけられたと言っている。そして、すぐにぶつけった人も戻ってきて謝っていた。東京練馬のスキークラブの仲間と来たそうで、赤観ホテルに泊まり、今まで世界中で滑ったことがあるとか、急にすごく話し始めたので大丈夫かと思うが、念のためパトロールが来るまで、またぶつかる人がいないように守ってあげる。

 

パトロールの人が救助用のそりを引いてスノーモービルで到着したので、あとは任せて、我々は下る。六華会の先輩たちもおっしゃっていたが、高齢になって体力的にはまだ滑れるのにスキーをやめると決めたのはぶつかられるのが怖いからだと言う人が多い。確かに高齢になるとカラダも硬くなり、骨も脆くなり骨折しやすくなる。斜面の上にいる人に回避義務があるが、スキーは急には停まらない。スピードを出していなくても後ろから高速で突っ込んでこられたら大怪我をするかもしれない恐怖感は私も何時も感じて注意している。

 

H君の車でホテルに戻り、温泉へ。今日は東京のスキークラブの学生が18人泊まっている。食事の後、部屋飲みをしていたら10時ごろ金子さんからのお誘いがあり、いつものフロント前のモンブランで軽く飲み会。

 

翌朝、荷物を車に積んでチェックアウトして10時から滑り始める。11時から1時間半のレッスンを受けて、昼食を食べて解散。帰りに関山にあるシロキヤで久しぶりに同級生K君と会ってしばらく立ち話。その後、高田の実家によって新潟市に帰ったのは7時近くであった。

エピソード31  ドン・クワバラ

最近、南米チリ領のイースター島で、干上がった沼から新たなモアイ像が見つかり、話題になっている。イースター島はチリの本土から3700kmも離れた太平洋に浮かぶ島で、観光地としても行くには不便なところで、そこを訪れる日本人も少ない。

私が渡米してすぐにLAで会った桑原さんは私より8歳ほど年上の人で、放浪旅行をする旅人としては、すでに珍しい年齢であったが、とても魅力的な人であった。桑原さんは私がアメリカに入って出会ったときにはちょうど南米から上がってきて、その後私も通うことになる語学学校エバンスに通っていて私がしばらく滞在したリトル東京の安宿に暮らしていた。

 

桑原さんは今から50年近く前、まだイースター島を知る人が少ない、チリが軍事政権だった時にイースター島に渡り、海辺の地元の漁師の処に居候をして暮らしていた。ある日、島にある有名なモアイの石像を見に行った。桑原さんによれば、島民の中でもごく限られた人しか知らない、乳房を持った女性のモアイ像が, 島のある所に埋まっているという。掘って確認した彼は、また、そっと埋め戻しておいたそうだ。数年後、新発見と騒がれる日が来るかもしれないが、謙虚な桑原さんは、自らも考古学者として世に出ることを拒んだのであった。

 

彼は一族のほとんどが医者という裕福な家庭に生まれ、医学部への受験に失敗した彼は、それでもかっては一流会社に就職していた。新入社員歓迎会では社長から直々に「君の今後の活躍に期待しとるよ!」と声をかけられ、会社勤めをはじめる。

 

しかしある日、仕事中にあさま山荘の実況放送に遭遇し、喫茶店でテレビの前から離れられなくなり、自分はサラリーマンに向いていないと思い始めていた。決定打は出張で名古屋の会議に行く時、新幹線の中に傘を忘れた、下車をしてすぐに気づき、発車のベルが鳴る中、彼は列車に飛び乗り、会議より傘を選んで京都まで行った。それが彼が選んだ人生であり、その日に会社に辞職届を出して、やがて南米へ向かうことになる。

もう何年も彼とは連絡が取れていない、どこかで元気に暮らしていることを願う。

さらに詳細を読みたい人は

http://www.skizanmai.com/natsunokaze.htm

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今週のミーちゃん

笹団子の笹が大好き