六華会の集い・雪のある限り

2月12日から2泊で高田高校の同窓会の六華会で作るスキー仲間と、赤倉で滑ってきた。

 

朝から快晴。8時に家を出て1時間半ほど高田の実家によって先月101歳になった母の顔を見てから、妙高に向かう。宿の「金型あかくら壮」に荷物を降ろして妙高高原駅に正午に着く東京方面からのグループを地元のメンバーと車で出迎える。懐かしい顔と数名の初参加者、後で加わる人も入れると総勢で24名(女性4名)の参加となった。コロナで3年間中止されていたこの会に参加するのは、私はこれが3回目になる。久しぶりに会う先輩方。参加しないと聞いていたY先生もスキーは無しだが一泊で顔を見せてくださった。高校でお世話になったY先生は私の父の教え子でもあると言う縁のある方である。私の帰国を待って一緒に滑ってくださった後、一応スキーを上がられている。

ホテルの前から道路に出た坂道は凍ったら車には有名な難所である

    ゲレンデへ出発前にホテルの玄関で記念撮影

初日の今日は午後からゲレンデに出て4時まで滑る。快晴であるが雪質は荒れて良くはない。それでも皆さんと滑るのは楽しく、赤倉温泉側で皆さんのペースに合わせて滑る。基本集合時間以外は自由滑降で誰と何処を滑ってもいい。Y六華会会長をはじめ会の幹事の方々、そして地元のメンバーのご尽力で3年ぶりの開催となり、地元のKさんの手配による3日間共通の格安チケットが嬉しい。皆この日を待っていたのか思った以上の参加者数でスキーのレベルもバラバラであるが皆雪国の出であるからそこそこ滑る方ばかりである。

 

ゲレンデの近くをヘリが飛ぶ。後で知ったがスキーヤーが一人、バックカントリーの林の中で片方のスキーが木に突き刺さり宙づり状態で抜けなくなり、救助要請をしたそうだ。今年は雪質が重く雪崩も多く、バックカントリーによる事故が多発している。

 

夕食後、いつもはカラオケタイムであるが、コロナ禍のため、会長・校長・隊長・絶好調と多くの長のおられる中から氷河・雪氷の研究者である横山宏太郎隊長(京大山岳部OB、南極越冬隊を2度経験、第35次隊の南極観測越冬隊長)から二晩にわたり南極、ヒマラヤのお話とスライド上映をしていただく。横山さんは10数回もヒマラヤに行かれており、私も1972年にインドからネパールに入りカトマンズ、ポカラに行っているので興味ある話で沢山質問をしてしまったが内輪の催しなので丁寧に答えていただいた。

 差し入れ頂いた新潟の名酒が美味い

今宵は南極ナイトで越冬隊の生活、施設、装備、遠征などを解説いただく。その後も部屋で飲み会は続く。

 

Day 2

朝から雨模様。今日は昨日と違う赤倉観光サイドの駐車場から入る。こちらは私にとってはいつも滑っているゲレンデ。ゴンドラで上に上がるとガスっているが、パラパラと湿った雪が降っている。何とか視界も持ってくれた。

ガスで足元が見えないほどではないので雪質は悪いが十分楽しめる。私と同期のSさんは数少ない女性参加者。以前から彼女がこの会のメンバーと知っていたが、私がアメリカから帰国して参加するようになったときは怪我のリハビリのため、すれ違いであったが、今回やっと一緒に滑ることができた。

昨夜から宿泊者が1名増えている。87歳のI女史はなんと、当日まで日にちを一週間間違えていて、昨日駅集合の時間に来ないので、会長が電話をして、間違いが判明。そこからが超人的な行動力で、「今日中に赤倉の宿に直接参ります」と、実際に参加された。スキー組では最長老のIさんは相当滑っておられる方で、我々の一番タフな組に入っても、止まらずに滑ってこられる。高齢になるとスキーそのものよりぶつけられるのが怖いと皆さんおっしゃる。車のように高齢者マークがあったらいいのに。「背中に年齢を書いてあげたいね」と、ヘルメットとゴーグルで分からないが、実際の年齢を知ったら周りは驚くことでしょう。確か60歳から本格的にスキーを始められ、80代で準指を取ったとおっしゃったと思う。

突然の参加で明日は2時の列車で東京に帰り、夕方6時から10時まで銀座でアルバイトと言うので、よもや「キャバクラですか?」と失礼なことを言ったが、お友達のジャズ喫茶で頼まれてアルバイトだと言う。そのエネルギーには脱帽の思いである。

 

昼はゴンドラ前のベーカーリー&テーブルでスパゲティーやピザ。食処新潟のスキー場としてはもう少し美味い食事がゲレンデで食べれるといいのであるが。石打・丸山のゲレンデの食事は素晴らしかった。10数店舗ある石打のレストランは、すべて地元の街中にあるお店が冬の間だけ別館として営業しており、街中のお店と同じメニューを提供している。

3時に上がって温泉へ。妙高はどこに泊まっても温泉に入れるのがいい。コロナで一度に8名迄という入場制限があるが宿泊客は我々の団体だけである。

運動部出身の会員が多く、この中では私もちょうど中堅どころであるが、先輩方の前では世が世なら私などまだ使い走り。しかし、この会は六華会会長自ら「ご飯の量は?妙高盛り?金谷山盛り?」と、ご飯のよそいまでしてくださる。同室の私以外の4名は体操部のO先輩など全員私の3期先輩方である。彼らの同期であるY会長も頻繁に顔を出し、かえっていろいろ気を使って下さる。私も3回目の参加で、優しい先輩方の中で緊張も取れ、すっかり打ち解けて居心地がいいのでした。

 

食後、今日は横山さんの第2夜のヒマラヤ編のお話で、何度も行かれた中国、ネパール、ブータンに広がるヒマラヤの壮大な風景に圧倒される。その後も部屋に戻って大先輩で全日本スキー連盟理事・オリンピックフリースタイル監督であられた平井俊雄さんも参加されて飲み会はお酒が無くなり解散する真夜中まで続き、いろんなお話を聞くことができた。それにしても、皆さん、良く飲み、話、お元気なこと。

Day 3

夜中にも深々と雪が降り続け、昨日からの積雪は山頂部で37cmとなっている。

朝食後、「予定表に従って、9時出発します」と、会長から聞いたのが8時35分「予定表通り荷物の整理をして出発の用意をお願いします」いやいや、無理無理、これから雪に埋まった車も掘り出さなければならないし、大変、不可能、、しかし元体育会系、汗をかきながら車を掘り起こし、それでも9時半にはゲレンデに到着していた。

これだけ降ると、車を掘り出すのは朝からかなりの重労働。

今日のスキーは11時までで、宿に残る人も多く、7名が参加。あまり時間がないので、休みなく滑り今回一番の40cm近い新雪を楽しむ。会長が先頭を行き、止まる気配がない。先輩方によれば「会長はリーダーシップはあるが、後ろを見ないのよね」とのこと。なるほど!

ゴンドラ乗り場にて

右が会長

チェックアウトをするホテルの玄関には大きなごみ袋に入れられて、夥しい数の一升瓶、ワインボトル、ビール缶の残骸が山積みに、、、誰がこんなに飲んだのかと思うが宿泊客は我々のグループだけなのである。

 

東京方面に帰るメンバーを駅に送る前に、いつもの蕎麦屋さん『藪そば』によって昼食。

ここで昼食を取りながら上越タイムスの取材を受ける。女性陣にも年齢を聞いていたが、この集まりでは年齢をごまかすことはできない。

駅で再会を誓って別れ、帰りの道路は新井までは大雪であった。そこからは新潟市まで道路に雪はなく順調な走行。その夜から新潟にもぱらぱらと雪が降り始め、裏の公園もうっすらと雪化粧。皆さん無事に帰られ、楽しかった時間を思い出しておられることでしょう。

3日間のスキーで晴れ、雨、雪と変化にとんだ天候を体験したが、今期は全般に温かく雪は重くいつもより早い3月には雪解けの予感。いつか、地球温暖化でスキーの出来ない時代が来るのかもしれない。それでも雪のある限り、今を楽しみ、スキーを楽しむ。これが我々雪国で育った者たちの心意気であります。今回も、先輩方のお元気な姿に勇気づけられました。歳を取っても先輩方のように若い人達の目標になれるよう私も頑張って滑り続けます。

 

また、お会いいたしましょう。