春のおひな様 +エピソード32 LAの日系人

3月6日、胎内のスキー場が12日で閉まるので、滑りに行く。朝のうちは硬くてがりがりの雪面であるが、昼近くなると緩んできて滑りやすくなる。マンモスの春スキーに多く通った私はがりがりよりはべちゃべちゃの雪の方が好きである。

今の時期、滑りに来ているのはほとんどが近場からのベテランスキーヤーで上手い人たちばかり。また帰りは道の駅の公共温泉によって帰った。




8日にはいつものFさん、O君と城下町村上におひな様を見に行く。村上市では毎年、ひな祭りの前後に街の中心街の町屋で「城下町村上町屋の人形さん巡り」が催される。今回は54軒の町屋。商店が参加して各家が代々引き継いできたお人形を無料公開していた。

私は村上には何度か来ているが、人形巡りは初めて。Oくんは20年ほど前、この街で銀行の支店長として2年間赴任していたことがあるので、案内してくれて、何軒か挨拶のため昔通ったお店に立ち寄る。

村上は鮭が特産物でもある。


おひな様や人形のほとんどは京都で作られたものであり、中には江戸時代からの人形も公開されている。面白いのは江戸時代からのひな人形は笑っているのがあり、江戸以降の人形はすまし顔である。そして公家、侍の人形は細面の美男子であり、お付きの者は丸顔の田舎顔である。

帰りがけに胎内の「塩の湯」に、熱い温泉で何となく温泉効果が高いような気になる。


エピソード 32 LAの日系人

アメリカに暮らしアメリカの国籍、あるいは永住権を持つ日本に起源をもつ人が日系人であるが、アメリカではJapanese Americanと呼ばれる。戦後アメリカに日本から移り住んだ人たちは新一世と分類される。

 

今アメリカには混血も入れると日系人が145万人いて、そのうちが純血の日系人は約80万人。うちカリフォルニアに住んでいる純血の日系人は29万人で州としては最大とされている。私の暮らしたロサンゼルス郡には約13万人が住んでいる。

 

アメリカへの最初の移民は明治元年のハワイへに行った農園の作業員であった、戦前に移住し戦争中に強制収容所に入れられた人、日系人の名誉のためアメリカに忠誠を誓いヨーロッパ・イタリアの戦場に送られ、多くの犠牲者を出しながら包囲されていたテキサスの部隊を救い出した有名な442連隊など物語は多いが長くなるので興味があればネットで調べて欲しい。ここでは私が実際に会ったり、聞いたりした日系人たちの話をしたい。私は渡米してすぐLAのリトル東京とハリウッド界隈に暮らし、最初に出会ったアメリカ人の友達はリトル東京にいた日系3世達であった。

 

日系二世は親との会話は基本日本語であることが多く、親たちは最初は出稼ぎのつもりでアメリカに渡ったので、何時日本に帰っても困らない様、二世になる子供たちにも家でも日本語を話し、日本語学校に通わせ日本語の読み書きを教えたのでその人たちは完璧な日本語を話し理解した。今、社会で活躍しているのは4世、5世が主流であるが、3世になると日本語は聞くのは分かるが話すのは難しくなく。そしてアメリカ社会に溶け込み、どんどん他民族との混血が進んでいくのであるが、親には文化として日本のことを子供に伝えたい思いがあり、日系人も日本文化に積極的に触れ、日本人以上に日本的な精神、気持ちを持っている人たちが多かった。

 

また、学生の時に働いた大きな日本レストランには帰米二世と呼ばれる日本で教育を受けた二世が何人か働いていた。彼らは戦前に親から日本に送られて日本で教育を受けてアメリカに戻った日系人である。戦後日系人は教育に熱心で、仕事に励み、人種的にはアメリカでかなり優位な経済状態にある。

 

原則アメリカで仕事をするためには働けるビザを取るがビザにはいろんな制限があり永年延長するのは難しくなってくる。やがて永住権を取りアメリカで仕事を続け、市民権を取り一世となっていく。

 

私と同年代にアメリカに渡り、いまでも住み続けている仲間たちは永住権のままの人と、アメリカ国籍に変えた人とがいるが、市民権を取っても選挙権が有るか無いかの違いくらいで、一般的には日本人の場合、永住権を持っていれば、市民権迄とる必要性を感じず、そのままの方も多い。それは日本の政治経済が安定したしっかりとした国だからだが、他国からの移民は一刻も早くアメリカ国籍を取ることが将来の安心に繋がると考える人が多い。

アメリカに残った私の友人たちの子息はほとんどが純血日本人であり子供の時から親との会話は日本語を使い、日本語と英語を不自由なく話せる子が多い。中には日本語が話せる子息たちが日本で英語を活かして就職し、両親はアメリカに残ったと言う逆転生活をしている人も多いのである。またCAとNYに離れて暮らす家族にとって、CAと日本の距離感はそんなにNYと変わらない時代になっている。

 

有名な日系人としては、日系人初の閣僚となったノーマン・ミネタ運輸長官、442連隊で活躍後上院議員となったマイケル・イノウエ上院議員、スタートリックのジョージ・タケイ、ハワイ州知事ジョージ・アリヨシ、芸術家ノイサム・ノグチ、私の尊敬する1964年の東京オリンピ開催に尽力し、日系人の為の敬老ホームを設立したフレッド・ワダhttps://www.ifsa.jp/index.php?wadaisamu

その他、アメリカで暮らす新移民の人たちなど有名無名の多くの特出した方々がいるのである。今の日系人、日本人がアメリカで安心して生活できるのは、そうした先人たちの勤勉さで日本人、日系人が信頼を得れるようになったからである。

 

今開催中のWBCで大活躍して注目されているヌートバー選手も日系人であり、私の住んだトーレンスの北にありLA国際空港のすぐ南に位置するエルセグンドの出身である。LA郡のなかではエルセグンドはそんなに多く日系人の住む処ではないし、父親が日本語を話さないので、家では英語だけが使われる環境で育ったため日本語を話せないのであろう。しかし、他の日系人同様、日本人的な性格、考え方はしっかりと母さんから伝わっているはずで、これからのさらなる活躍を期待する。

 

今週のミーちゃん

笹団子の笹が大好きなミーちゃんです「頂戴、頂戴」と迫ってきます。