ワインを楽しむ+ エピソード12

今日9日は私の故郷、上越にある「岩の原ワインを楽しむ会」の開かれる日であった。コロナの状況に依っては中止されるイベントであったが、最近の状況を鑑み、無事に開催された。

同級生のS君が世話役を務めている事もあり、帰国以来毎年参加している。ホテルでのフルコースのディナーとワイン。最近はドレスアップして出かける事も少ないので嬉しい催しであった。

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エピソード 12

今年の12月8日は80年目の開戦記念日であった。アメリカでは12月7日がパールハーバー・ディーである。8日にNHKで真珠湾攻撃のドキュメントをやっていた。あの日、5隻の小型潜水艦が自爆した。それぞれに2名の軍人が乗っており、その時に亡くなった9名は最初の戦死者として9軍神と崇められた。そして、一人の若者が生き残り、最初の捕虜となったが、居なかった人として歴史上から消された。

 

「生きて虜囚の辱めを受けず」という教育を受けていた藤巻さんは「日本には帰れない、殺してくれ」と、望んだが、その時、名護という僧侶に出会った。この方は、真珠湾攻撃の30年前、日露戦争でロシアの捕虜になり、3年後に無事に日本に帰るとすぐに出家してハワイへ移住した方であった。「生かされているのは、生きるべき理由があるからだ。命を粗末にしてはならない」と諭された藤巻さんは段々と考えが変わって行き、ロスに移送されてからは同じ境遇の方たちを救う事に尽力し、アメリカで捕虜となったほとんどの人達が藤巻さんにお世話になり、救われたと、言う存在になった。戦後、日本に帰国して、トヨタ自動車に入り、英語力を生かし、アメリカにクルマを売り込む仕事をされ、その後ブラジルトヨタの社長を務め、1999年になくなられたそうだ。

 

さて、アメリカのハワイ、ロスなど日系人の多い処には西本願寺、東本願寺の別院などがあり、現地の人の心の支えとなって来た歴史がある。そこの僧侶は日本から派遣されていた。

学生の時アルバイトをしていたヤマト・レストランには多くの学生が働いていた。その中にハワイのお寺からUCLAに勉強に来ていた若い僧侶がいた。名前を忘れてしまったが、ヤマトでフロントをしていて、何度か私のハリウッドのアパートでマージャンをした仲であった。マージャンが強く、我々はそんな僧侶らしからぬ彼を嫌味と親しみを込めて「生臭坊主」と呼んでいたが、人間的にはとても魅力的な人物であった。元気ならば今はハワイか日本のお寺で僧侶をしているはずであるが、生臭坊主さんも私と同じ場面を思い出してどこかでほくそ笑んでいる事だろう。

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ミーちゃん、被り覆面、気に入らないご様子

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