秋雨の伊豆にて

アメリカで40年以上一緒に過ごしたSさんが東伊豆に引っ越したので、コロナが幾分下火になる傾向がみえている10月半ばに訪ねて行ってきた。例によって、「ぜひ一緒に連れて行って」という3年前アメリカに私と行って、3週間Sさんのところに滞在させてもらったO君も一緒。計画を立てた時から台風の心配をしていたが、滞在中は曇りが多く後半は雨も降ったが、何とか持ってくれた。

 

今年の7月にSさんが買ったマンションは、300数十ユニットある80年代後半に建てられたリゾートマンションで、眼下に相模湾から伊豆七島を一望できる高台に建つ建物。室内はリフォームされ新築の様にきれいになっている。リビングの大きな窓からは海と自然豊かな裏山が見える。風のある日は白波を見て、穏やかな日には風光明媚な静止画のような海が見られる。遥かなるその海上を、ゆっくりと行き来する船のある風景がいい。

大島を望む

西方からの東京湾への入り口でもあり、大島との間の海を船が行きかう

風景を守るため、裏山の斜面までマンション管理会社の所有になっているそうで、山側には緑深い自然が残っている。海側には太平洋に浮かぶ大島など伊豆七島が並んで見える。海風が強い日にベランダに洗濯物を干すときには裏山まで飛ばされることがあるので注意が必要だそうで、それを知らなかったSさん、布団を干しておいたら、風で持っていかれて、幸い(?)建物の下から巻き上がる風が空中を舞う布団を数階下の階のベランダへ運び戻してくれたことがあったそうで、管理人から階下の住人に連絡してもらい取り戻したそうだ。今は強力な洗濯ばさみとアマゾンで注文した洗濯スタンドを待っているそうだ。

 

裏山では猿と鉢合わせすることもあるので、「洗濯物を拾いに行って出会った時には視線を合わせなうように」、など新しい土地では知っておかなければならないことも多い。

テニスコートと裏山

館内には天然温泉、ジム、プール、無料で使えるマッサージチェアー、テニスコート、ビリヤード、麻雀室、レストランなど必要なものはほぼ揃っている。常住者はほとんどが高齢者なので終日の館内はどの施設を使うにもがらがらである。若い年代は少なく、週末に少し見る程度で、テニス好きの佐野さんはなかなかテニスのメンバーが集まらないのが不満のよう。

 

毎日、天然温泉の大風呂に入り、ジムで運動して、海の見える窓辺に10台並んだ無料で使えるマッサージ機で体をほぐす。私らの滞在中は曇っていて見れなかった海から上がる朝日の写真が後日送られてきた。アメリカ西海岸でも、新潟でも美しい夕日は見れても海から上がる朝日を見ることはなかったので、滞在中、海から上る朝日を見たくて毎日早朝の外を見ていたが今回はチャンスに恵まれなかった。

いつでも無料で使えるマッサージ機

各種の新聞が読めるロビー

自然に恵まれた環境であるが、一番近くで買い物のできるマーケットは歩いて行けるとこに「成城」があると聞いていたが、散歩好きのSさんが歩いて行ける距離と言うのが曲者であるが「そんな高級マーケットがあるとは、さすがリゾート地」と思っていたのであるが、10分ほどのところにあるそのマーケットへ行ってみたら、あの高級マーケット「成城石井」とは似てもつかない「せいじょう」という看板を掲げる古くからある小さな町のマーケットであった。成城石井と思いこんだ私が悪いのでしょう。

 

マンションから5キロほど海を見ながら山を登るときれいに整備されたクロスカントリーのコースがあり、散歩にはうってつけの場所。

       江戸時代の灯台、ペルーもこの灯台の明かりを見たのかも       

海の見える場所に、沖縄出身のおばあが運営するカフェレストランがあった。秋雨の中で雨宿りの様に寄って海を見ながら沖縄そばをいただく。Sさんも初めてだというこのカフェレストランからの海が絶景でS さんお気に入りのお店になることでしょう。それにしても滞在中は、さんざん歩かされ(失礼、歩き回り)、最初はマッサージのし過ぎかと思ったフクラハギの筋肉痛は、山登りの所為であった事を知る。山歩きには靴底の固いシューズが必要。

雨宿りでランチをとりながら雨が上がるのを待つ

カフェからの風景

最後の夜は施設の中にあるレストランで金目ダイの煮つけなどを食べたが、Sさんも友人が来た時しか使わないという結構高級感のあるレストランで、料理は美味く、なかなかの腕のある料理長と推測した。

伊豆半島は学生の時に車で一周して以来で、わずかな記憶しかない。今回縁あって訪れることができたのはSさんのおかげ。伊豆東海岸への起点は新幹線の駅のある熱海からであったが、東京から直通で下田まで行く「伊豆の踊子号」という手段もある。熱海から伊東までは海岸にヤシの木が植えられて、アメリカのウエストコーストに似ていないこともない。車のないSさんのために?マンションからは専用のシャトルバスが運行されていて、駅、買い物などに連れて行ってくれる。その他、違うシャトルがこの辺で唯一の総合病院まで連れていってくれるので、贅沢を言わなければ車がなくとも暮らせる。

地元の漁港で海を見るSさん

Sさんの生活は昔から質素なシンプルライフ、それでいてここでは贅沢な雰囲気の中で暮らせている。都会暮らしではないが、頻繁に友人の訪問もあり、シンプルライフを過ごすにはいいところを見つけたね。

 

湯沢のSさん、私、そして東伊豆のSさんと退職後逐次にアメリカから帰国した人達の生活の収入の基本はアメリカからの年金であり、今のドル高の恩恵を受けて暮らしている。反面1ドル150円は日本の経済力の弱さを示すものでもあり、円で計算したらアメリカの最低時給は日本の3倍にもなり、円安も幾分行き過ぎかと思う。

 

コロナ、気候変動、戦争で世界中が不景気になると、国民の良識でバランスの取れていた日本社会でも、自分勝手な規則やぶりや犯罪が増えてくる。それを罰する規則も整っておらず、罰も甘いやり得の社会に思えるニュースが続く。世界中になかなか安住の地のない時代になってきたのが心配なこの頃である。

 

エピソード 24

カリフォルニア最大のスキー場、マンモススキー場へは30年近く通い続けた。

マンモスの僕らの向かいのコンドユニットの持ち主はサンディエゴの年金生活者のカールであったが、奥さんも不動産屋を営み、優雅な生活を送っていた。その頃毎年、サンクスギビングにはマンモスで僕らと合同で晩餐会をした。顔の広いカールは、いろんな人を連れて来ていてそのサンクスギビングディナーは毎年多彩な顔ぶれで面白かった。

 

元地方裁判所の判事、息子の嫁であるスエーデン人のモデル、元海軍の戦闘機パイロット、元海軍潜水艦の乗組員。元海軍の戦闘機パイロットは、映画のトップガンのように日本で富士山を見ながら戦闘機で飛んだ話。潜水艦に乗っていたエリックは日本の海上自衛隊と小笠原諸島周辺で合同仮想戦闘をした話など面白い話をいくつか聞いたが、退役軍人である彼らはそれらの戦闘機、潜水艦の機密とされている事に関しては、退役後も漏らしてはいけないと言う承諾書にサインさせられていて、「その潜水艦はどのくらいの深さまで潜れるのか?」「日米どちらが勝ったか?」などと聞くと、「それは教えてはいけない事になっている」と口をつぐむのであった。日本の自衛隊は優秀だそうで、訓練後の自衛隊員とのBBQ交流などを懐かしむ様に話してくれた。

 

カールは大概、サンディエゴの釣り仲間からマグロを貰って、大きなアイスボックスに入れて一頭丸ごと持って来てくれた。マグロはいくらでも釣れるが、アメリカ人はどうやって食べたらいいかあまり知らず、せいぜいツナ缶を造る業者に安く売るくらいで、「サンディエゴに来れば幾らでも貰ってあげるよ」とカールは言っていた。1メートルくらいあるマグロを料理の得意な私は普通の包丁一本で下ろし、刺身、から揚げ、アビージョ、ステーキなど自分で開発したのを含め、10種類以上のレセピを持っていた。

楽しかったスマンモススキー場でのいくつものシーンを今も思い出す。

 

今週のミーちゃん

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