Holiday Season &エピソード 25

Holiday Seasonは厳密にはサンクスギビング以降から年明けまでであるが、アメリカでは10月末のハローインが終わると一斉にクリスマスのデコレーションが始まり、年が変わった1月の初旬にクリスマスデコレーションが外されるまで長いお祭り気分の季節が続く。

アメリカでのこの時期を懐かしむように私も日本でコロナ禍を縫うように各種催しものに参加している。

10月28日にはグランドホテルで上越のワイナリー「岩の原ワインを楽しむ会」が開かれた、毎年フルコースのディナーとワインが楽しみな催しである。今年も幾分規模を縮小て、花角知事を招いての開催であった。故郷上越市の出身者も多く参加しているので同窓会のような催しである。

              花角県知事

      さながら故郷の同窓会

 中央は司会をされたフリーアナウンサーの菊野さん、彼女もまた高校の後輩になる。

 

11月3日には夏のお祭りから延期されていた花火大会が信濃川の堤防で開催され、5日は高校の同窓会の新潟支部の総会でホテルイタリア軒で牛木新潟大学学長の講演があった。

11月3日には今年は夏の風物詩ならぬ秋の花火となってしまった新潟花火大会

妙高会はイタリア軒で講演と食事会

ホテルイタリア軒は我が家からすぐ近く、明治7年に来日したピエトロ・ミレオーレにより創業された日本最古のイタリアンレストランでもある。館内はいたるところに美しいステンドグラスが飾られている。

エピソード 25

私のアメリカの会社での退職時のタイトルはDirector - International Projects & Marketingであった。会社はCompanyであったが実際はカリーさん一族のFamily Companyであり、一族が全ての株を持つことで他資本による影響を受けずに1944年から続いてきたLA/LB港湾での老舗であり最大の物流運輸会社であった。90年代からは他州への進出もしていた。 

 

アメリカは人種のるつぼであると言われるが、厳密にいえばまだ人種は完全に溶けあってはいない。アメリカンインデアン以外のほとんどの人は数世代遡れば移民としてアメリカに来た人たちである。とり分けカリフォルニアはもともとメキシコの領土であったが米墨戦争の結果1848年にアメリカが1500万ドルで買い取った土地なのでメキシコ系の人口が多く、アジアからの窓口に位置し黄色人種も他の州に比べて多い。

よって大雑把に言えば白人、スパニッシュ、黒人、オリエンタル、が人種的な捉え方になる。私がアメリカに住み始めた70年代頃の日系人は3世、4世が主流であったので、私は其の中で永住権を持つオリエンタル系の日本人のニュー移民一世という事になる。

 

私は幸いなことにアメリカで暮らした42年間、一度も人種差別的な扱いに会う事は無かった。それは日系人の多いカリフォルニアに暮らしたせいもあろう。戦時中に強制収容所に収容された歴史を持つ日系移民が、戦後は勤勉で信頼される地位をアメリカにつくってくれていたおかげであった。さらに1980年代には日本の経済力も最強の時代であり、日本人、日本の会社、現地法人はお金に汚くなく、約束したことは損をしてでもきちんと実行するので、アメリカ社会での信頼は厚く、他の黄色人種の中でも特殊で優位な位置にあり、いわば一目置かれる存在であったと思う。

 

日本人であることがブランドであり、誇りである良き時代であった。その後、バブルの崩壊と共に日本経済の存在感はだんだんと薄れて行くことになるが、それでも日系の会社、現地法人はアメリカ社会で信頼のおけるビジネスパートナーであった。私は主にそんなハードウエアを持たない会社が信頼して仕事を任せてくれるアメリカの物流会社にあり、日本人の担当者が居て日本的なきめ細かなサービスが出来るという会社の窓口でもあった。

 

日系人社会は戦後子供の教育に熱心で、仕事を一生懸命にすることでアメリカ社会に食い込んで行った。それでもアメリカはやはり白人社会であり白人が社会の上部を占めていた。私のいた会社でも会社の幹部はやはり白人が多かった。それは教育を受ける機会の差であり、経済的に余裕が無ければ高校を出たら働かなくてはならない人が多かった。奨学金制度は進んでいたが、良い仕事を得るために大学に進めるのは裕福な家庭でなければならないと言う事実は、どうにもならない経済的階級社会を生んでいた。

 

日本で国民総中流社会と言っていた時、世界の現実は貧富の差があるのが当たり前であった。アメリカではおのずとその人の住む地域により家の値段も違い、良い地域には良い学校があり進学率も高く、いい仕事に就けるチャンスも多い。お店、マーケット、レストラン、百貨店等に全てランクがあり、一般的にはお金持ちの人たちが良くいく場所は、高かろう良かろうの場所であり、お金に余裕の無い人が好んでいく安かろうの場所とは異なった生活空間であると言えるのである。

 

参考までにアメリカ第二の大都会ロスアンジェルスのもともとの語源は「天使の住む処」である。ロスは日本でしか通じない略称で、アメリカではLA(エルエー)が略称である。LAは42年住んだ私の第二の故郷となり、今住む新潟市は第3の故郷になりつつある。

今週のミーちゃん

 

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