2回目のワクチン接種+エピソード1

6月6日の午前中、2回目のワクチンを受けた。これで安心と言うわけでなくワクチンの接種を受けても感染する人はいる。しかし、一般的には接種した方が症状が軽く、重症化する確率も小さくなると言われている。

10時に会場に着くと、今回は一回目と二回目の接種者が居るので、前回よりは混雑しているが、それでも密集という感じはない。注射を打ってくれた看護師は一人で4ブースを受け持ち、かなりのベテランとお見受けし、手際が良く、注射針が刺さったのが判らないくらい上手い。たまにそういう職人的な人がどんな分野にもいる。前回同様、帰りに500円のタクシー券がでた。今日は便利な自転車だったし、あまり使う機会はないが、地域活性化のため、何処かで使うつもりである。

新潟県はそれでも接種が上手く行っている方。市町村によりかなり差があるり、上越市は新潟市よりも早い。全国的に大都会ほど予約が取りにくい状態が続いている。イギリスでは3回目の異変株に対応する新しいワクチンを予定していると言う。大人数が早く接種を受ける程、効果も大きいそうだが、日本でも国産のワクチンが普及するまで、この騒動は続きそうである。

接種を受けて6時間ほどになるが、今の処、際立った違和感、痛みは無し。

当日12時間後:

少し肩のだるさを感じるが、今の処一回目の時と大きな違いは無いように感じている。

接種翌朝:

腕を動かすと痛い。動かさなければ痛くなく、大したことない痛さではあるが、もしこれから腕を動かさなければならない仕事に行かなければならないとしたら、少し痛さを我慢すれば出来るだろうが、丸一日は結構きついかもしれない。体温36.4度で変わりなし。

接種翌日、昼:

痛みもほとんどなく、腕を上げたり、重い物を持たなければ問題なし。人により症状は違うでしょうが、私は全般的に軽度の痛みはありましたが、一度目と大きくは変わらず。皆さんも早く接種を受けられますように願い、これで報告を終了します。

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さて、今回からブログの文末にエピソードを載せてみます。
 

エピソード1

1975年の3月下旬、私は初めてアメリカに足を踏み入れた。その直後、アメリカはベトナム戦線から撤退する。サイゴンが陥落しアメリカ大使館の屋上からヘリコプターで最後のアメリカ関係者が引き揚げる歴史的瞬間をアメリカに着いて間もない私はリトル東京の安宿のロビーのテレビで見ていた。

 

70年代の中ごろから音楽界ではウエストコーストブームが起こり。それは80年代初めまで続いて、観光ビザを学生ビザに変えたロック音楽好きの私は夜中もラジオを点けっぱなしでお気に入りの音楽を聴きながら青春を謳歌した。語学学校で出会ったEは腰まで長髪を伸ばした目立つ風貌で、彼と頻繁にロックのコンサートに行っていた。Eは日本でも学生の時からアルバイトで音楽関係の仕事をしていて、出会った時は、フリーランサーのスタジオエンジニアを名乗っていた。フルサイズのアメ車に乗っていて、まだ車を持っていなかった私を送ってくれた。ウエストコーストの中心都市ロスでは毎日新しいヒット曲が生まれ、毎週のように名のあるミュジシャンがコンサートを開いていた。席を選ばなければ末席は学生でも買える値段で、彼の影響で一緒によくコンサートに出かけた。

 

長年のあこがれローリングストーンズのコンサートに初めて行ったのも彼とだった。アナハイムの野外ステージで僕らの席はステージから一番遠い席であったが、一通りの演奏が終わって、アンコールになった時、突然Eが「高志、いくよ!」と声をかけるのでついていくと、観客が立ち上がりアンコールで騒然となった会場で警備員の目を盗み次々と柵と席を乗り越えて、混乱の中を前へ前へと進み、やがてステージの真ん前まで行ってしまった。

 

アンコールのステージの前ではかなりの観客が駆け寄り熱狂している状態。気が付けば僕らはミックジャガーが5mほどの目の前にいる最前列まで接近していた。一番安い席からここまで来たのは僕らだけ、現場を知りコンサート慣れしたEのファインプレー。

 

その後、結婚して家内と同じようなシチュエーションがあったが、家内はビビッてステージ前まで行かないでギブ。今はもっとセキュリティーが厳しくなっているが、昔はアンコールになると熱狂的なファンが席を立ってステージに押し寄せる光景を目の当たりにした。そして私もその中の一人だった。

 

ウェストコーストで開かれた名のあるミュジシャンのコンサートはほとんど行ったが、ある日、話題になっていたポールマッカートニーのウイングスのコンサートがあった。凄い人気でチケットが取れなかった。諦めていた当日の午後、Eが彼の持つコネクションで私の分もチケットを手に入れてくれたそうだが、その頃、携帯の無い時代で私に連絡が取れなかった。今でも惜しいことをしたと思っている。

 

彼はその後、自分の音楽事務所を持ち、一時は日本の大手音楽事務所のアメリカ現地法人の責任者を兼ね、今はシルクロードの曲で有名なグラミー賞ミユージシャン喜多郎を抱える事務所の社長である。

 

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猫に跨る猫のミーちゃん

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テレビを観るミーちゃん

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               爪を研ぐミーちゃん