富士山ろくで子犬鳴く+エピソード 11

日本では10月から急速にコロナ感染者数がへり、世界的に見ても専門家も納得できる説明ができ出来ないと言う状況であるが、感染者減少というその事実だけを見れば、幸運であり、嬉しい事である。

しかし、南アフリカで新型異変株「オミクロン」が確認され、「懸念される変異株」としてデルタ株などに比べ再感染力が強く、世界中で感染増加の警戒すべき状況が始まっている。いくら水際対策を強化しても、デルタ株同様に、日本に入ってくるのは時間の問題で、新しい対策、ワクチンが開発されるまでの時間稼ぎだと言う。

 

それでも12月初め現在、まだ日本のコロナ感染状況は少なく、今までになく安全な状況に思える。新たな変異株が入ってきたら次のチャンスは何時になるか判らない。出かけるなら今と久しぶりの県外、静岡の友人のところへの旅行を決めた。

 

静岡県三島の駅に降りると、45年前の渡米早々に出会い、長きに渡り途絶えることなく一緒に過ごし、私より3年遅れで昨年アメリカから永住帰国したSさん、Sさんのお兄さん、そしてYさんと懐かしい顔ぶれが待っていてくれた。Sさんの幼馴染Yさんはアメリカに何度も来ていたし、お兄さんも6年前の退職後、アメリカに長期滞在したことがあったので、いずれも気心の知れた仲。

 

静岡県は中央に県庁所在地静岡市、その西には浜松、この2市が大きく、県の東部に位置する三島は、思ったより大きな街であるが、隣の沼津市はさらに大きく、それでも西部の浜松市には及ばず。県央の静岡市を挟んで東西の静岡県人は互いに腹に一物をもって接していると聞いたことがあるが、所詮は子犬の遠吠え。

帰宅後、調べたら静岡の県民性を表す面白い記述があった。

『東西に長い静岡県はもともと、伊豆、駿河、遠江(遠州)の3つの国から成った県で、三者三様の県民性がある。また、日本の東西の分岐点でもあるので、電気の周波数から、食文化まで静岡県内でもきっぱりと分かれるのが特徴。西日本、東日本どちらの性質も受け入れられる柔軟性を持ち合わせている。 また、いざ食えなくなったら、中部の駿河は優柔不断で、とりあえず人に乞うてしのぐ「駿河の物乞い」、西部の遠江は気性が荒く経済感覚がシビアなので「遠州泥棒」、東部の伊豆は何もできない「伊豆の餓死」と、性格を揶揄された』

念のため、三島は東部である。

 

宿の窓の目の前に日本の象徴富士山が姿を現す。昔からいろんな思いでこの山を見てきた人が居ると思うと感無量。その昔、富士山を見ながら歩いて東海道を行き来した人。戦時中、この祖国を守るため、富士山に見送られ、戦いに行った人。

三島は富士山からの地下水が溢れる水の郷。街中には多くの湧き水と、清流が流れ、紅葉の残る川沿いの散歩コースが良かった。

 

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珍しいカワセミ

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三島は水鳥の宝庫でもある

御殿場の宿の外にはクリスマスのライティングがなされ、食べ放題、飲み放題のプランで、クラフトビールが6種類もあり自分で注ぎ放題。Yさんが作ったと言う9杯の記録を私が破った処までは数えていたが、その後は判らず。

とりわけ長年の友であるSさんとは話が尽きない、私の人生で一番一緒にお酒を飲んだ人であり、40数年の長きにわたる、スキー、旅行、酒の上での失敗談、懐かしく、楽しい時間がアッと言うまに過ぎる。まだまだ門外不出の話が有るのだが、それはまた次の機会に。

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すっかりお世話になった楽しい数日間でした。有難うございました。コロナが収まったら、また富士山を見に行きます。

 

エピソード 11

冒険をする若者にも何度もあった。若い時に放浪の旅をした時にはヨーロッパでアフリカのコンゴ川をゴムボートで下りに行くという人に会った、その結果をアメリカであった旅人に「途中でリタイヤ」と聞いた。冒険をするには大胆さが必要だが、私は注意深く進む性格なので、初めて海外へ行った時から危険を伴う本物の冒険は出来なかった。中近東でも比較的治安が良いと言われたメインルートから外れなかったし安全意識を常に心掛けた。

インドからネパールに向かう時にその頃鎖国をしていたブータンへのかなり具体的な密入国の話が有った。もし、行っていれば、ブータンへ入った数少ない最初の日本人に成れたはずである。

 

私のいた会社の施設にコンテナの混載で着いた自転車を取りに来たこれから自転車で世界一周をすると言う若者がいた。彼の個人荷物を受け取るための手続きに私の名前を誰かかから聞いたと連絡を受けたので、いろいろと面倒をみてあげ、昼ご飯をご馳走してあげた。食事をしながら私がかってヨーロッパで経験した話や、放浪の旅の心構えのような事を話してあげた。

 

2年後、オーストラリアのバースからはがきが来た。「最終目的地であったオーストラリアのバースにゴールインいたしました。途中で盗難や体調を崩したり、いろいろありましたが、無事にゴールインできたのは旅の初めに小堺さんにお会いできてお話を伺えたことが大きな励みになりました。これから愛車を日本へ送り、帰国致します。有難うございました」と、あった。私は彼に「旅でお世話になった人には恩返しができないが、その自分が受けた恩は、何時かで他の人に返してあげて下さい。それを心掛けたら、必ず楽しい旅が出来るでしょう」と言っていた。

 

ハリウッドサインのあるグリフィススパークで日本人の旅行者に出会った事がある。 夏のグリフィスパーク天文台は夜景のきれいな観光スポットであるが、昼間は連絡のバスがあるが夜になると車で訪れる人は多いが帰りの便がなくなる。彼は終便を逃して困っている様子。何故かいつもそいう人を私は見つけてしまう。夜間に山の下のバス停まで歩いて、そこから便数の少ないバスを待って夜中に帰るのは危険である。困っている彼に話しかけた私は彼をハリウッドの宿まで送ってあげた。

一日一善は母の教え、せめて一週一善くらいはやってきたつもりである。先日、母は少ない年金からもう何年も「国境のない医師団」へ寄付を続けていると知った。100歳になる母の前では、私はまだまだ未熟な子犬であり、ひよっこである。

 

今週のミーちゃん、我が家に来て1年になりました。

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箱や袋があれば、入りたがります

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