コロナ感染減少+エピソード 8

この処、全国的にコロナ感染者数が減っている。今日の新潟市内の感染者は0。今のうちにいつものO君、Fさんと漁港のある寺泊へ一泊の旅行に行くことに。前回の月岡温泉といい、我々は上手く感染の減った処で動いている。これはたまたまではなく、感染状況を見ながら寸前に最終決定をしているからであろう。

感染が減少したとは言い、感染源不明のケースはあるし、海外でも感染は相変わらず増えているので状況は不安定で、終息にはまだまだ遠い状態である。

 

寺泊の海辺にある、『カニの宿きんぱち』何時も、コストパフォーマンスの高いプランを探してきてくれるO君が見つけてきた格安のプラン。二食付きで一室3人、県民割引で一人5370円、さらに2000円の地域クーポンをくれるので、実質3370円である。2時半にFさんが迎えに来てくれる。天候は良くないが、今回は自然を見に行くわけでないので、関係なし。O君を西区で拾って、海岸線を1時間ほど南西へ走ると寺泊に着く、ここは新潟県でも有名な漁港で海産物が安くて美味い。

 

寺泊水族博物館の隣、カニの宿きんぱちにチェクイン。コロナ禍でも宿は今日も満室のよう。お風呂に入ってから持参のビールで夕飯前に乾杯。お酒を飲まない(飲めない?)Fさんはウーロン茶。お酒を飲まない人もいるのに我々のグループのお酒の消費量が多いのはなぜか?

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食事は大部屋でのグループごとのテーブル。夕食の海鮮は美味い。宿の一番の売りであるカニは新鮮でりっぱな本ズワイ蟹が1尾ずつ付いた。美味しい料理にお酒が進むが、それにしても、最近歳のせいかすっかり酔い易くなっている私。

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早朝目が覚めたらFさんが居ない、4階にある展望風呂は朝6時半からのオープン。少しフライングして、もうお風呂に行っているようなので、我々も朝風呂に行く。展望風呂の窓から見える雨の日本海は鉛色で、もう冬が近いことを知らせているような景色である。

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チェックアウトして長岡に向かう。今回寄るのは、私は初めて行く山本五十六記念館と、すぐ隣の河井継之助。山本五十六元帥は日本連合艦隊の司令長官であった長岡出身の有名人物。あの時代の海軍で最後まで開戦に反対していた事は知っていたが、ヨーロッパ、アメリカと世界中を訪れており、アメリカには3年間暮らしていたとは興味深い。海外を知っていただけに戦争に反対の立場だったのだろう。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は私も若い時から聞いていた有名な言葉。ソロモン諸島でアメリカ軍の戦闘機に撃墜された時の飛行機の主翼の一部と座っていた座席が展示されている。

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河井継之助は幕末の長岡藩の家老で新政府軍と戦った人物。昨年、既に完成してコロナの為公開延期になっている河井継之助を描いた映画「峠」は来年公開される。

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お昼にも日本酒を一杯(いっぱい)帰ったら3日間は断酒しよう。

 

26日に眞子様が結婚される。銀行も使ったことが無いであろう眞子様は渡米して、生活基盤を作るため様々な問題をクリアしていかなければならない。まずは住居を決め、おそらく小室さんの務める会社がスポンサーとなっての永住権の申請の為の手続き、労働許可書の習得、永住権の習得、という過程を取らなければならない。そのほか、医療保険への加入、アメリカの運転免許証の習得、銀行口座開設、クレジットカードの習得、就職等、しなければならない事は多く、眞子様にはダメだったら帰国と言う逃げ道はない。

今回の一連の炎上震源地は限られた人たちによるという意見もある。小室さんの母親の件でさまざまなバニシュメント、そこまでして追い詰める必要があるのだろうか。いろんな意見があろうが、小室さんは3年前に『面倒な事は嫌だ』と婚約を解消できたはずだが、眞子さんを捨てることなく3年半の遠距離恋愛をやり遂げて結婚に至った誠意は、誰にでもできる事ではない。

またアメリカでは幾分自分のキャリアを誇張して職に就くのは当たり前の事。彼はこれから新しい職場で会社に必要な人であることを証明しなければ安定した仕事にはならない。実はそれがアメリカでは一番大変なことなのである。

そして、元婚約者の方も、もともと自分の意思で生活費と入学金を納得の上で援助したはずで、例え婚約解消になっても自分の責任もあると思う。今更これを問題にするのは男らしくない。小室さんが都合のいい事しか言っていないと言う意見同様、元婚約者も自分に都合のいいメディアとしかコンタクトを取っていない様にもみえる。

 

重箱の隅を突っつく様にあらゆる負の情報を集め、小室家への悪意のある書き方ばかりで誹謗中傷が未だ止まらず、都内ではユーチューバー主催の結婚反対デモまで行われている。皇族の身分を離れる時に支払われる一時金が国民一人当たり1円の負担だとか、真子様も何かと事を荒立て非難する人達を一時金を辞退することで納得してもらおうと考えたのであろうが、何をしても納得しない人がいる。いろんな意見があるのに、あたかもそれを国民の総意として拡散させるメディアは無責任である。国家公務員の退職金の様に、一時金は受け取られて良いお金だと私は思う。

 

この事態に対する外国のメディアの反応は「ほとんどネットいじめ」と伝えている。言う方は何の痛みも失うものも無く正義感を振り回すが、言われる方は複雑性PTSDになる程追い詰められ、大変な心痛を受ける。これは島国的で過度な干渉で、こんなことをしていたら皇室に嫁ぐ人が居なくなる。それは天皇制を維持することが出来なく成る事を意味する。

 

ノーベル賞を受賞した真鍋さんは米国では周りを気にせずやりたい生き方が出来ると言っているが、確かに眞子様は日本よりアメリカでの生活の方がストレスを感じることなく自由に楽しむことが出来る事でしょう。私は眞子さまのNYでの新生活が、静かで平穏な生活になるよう、幸せを願って、結婚を祝福してさしあげたい。

 

エピソード 8

私が70年代初め、ユーラシア放浪の旅で日本へ帰る中近東陸路の旅で出会い一緒にイスタンブールからインドまで旅をした仲間の一人Aさんは帰国後しばらくは商社に職を得てフイリピンに駐在したりしていたが、その後東京の英国大使館に転職して退職するまで働いていた。英国大使館は東京の外国諸国でも一番恵まれた一等地に建物を構えている。東京都千代田区一番町1は皇居とお濠を挟んだ半蔵門の前にある広大な土地にあり、なかには大使館の建物と数軒の一軒家が並んでいた。

 

私の友人Aさんはそこでメインテナンスの責任者をしていて、何時呼び出しがあるか判らないので、そのうちの小さな一軒家を使わせてもらっている数少ない日本人であった。そんな一等地の一軒家の家賃が月に3万5000円と言っていたと思う。80年代後半、私が日本に帰国した時、その彼の家に2回ほど泊まらせてもらったことがある。つまりイギリス大使館の敷地内に泊らせてもらったのである。その頃はセキュリティーもうるさくなく、夜、大使館の中を案内してもらった。その後、テロが警戒される時代となり、セキュリティーも格段と厳しくなり、そんなことは不可能になった。まだ平和な時代、Aさんと一緒ならほとんどチェックなしで中に入れて泊まる事も可能だったのである。イギリス大使館の敷地に泊った人はそう多くは無いはずである。

 

彼は90年代後半に大使館を退職後、中国人の奥さんと、娘を連れてアメリカロサンジェルスに移住してきた。私が帰国し、彼がアメリカに移住する事になるとはその頃は思いもしなかった。人生思い立てって自分が動き出せば変わって行くが、先は判らないものである。

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ミーちゃんは今月9日に一歳になった。人間でいえば20歳の成人式を迎えたことになる。我が家に来て10か月ほど、可愛い我が家の一員であるが、最近甘やかしたせいか、ちょっと態度がでかい。

 

コロナ禍にて +エピソード 7

 +外出自粛の続く中、三条のKyowaクラッシクカー& ライフステーションに行ってきた。この博物館はプラスチックの金型を作る共和工業株式会社のオーナーが集めたクラッシクカーと明治、大正、昭和レトロの日常品を展示している収納室的な博物館だという。やはり一番関心のあるのは車である。今は予約制で、私が行った時は客は私ら夫婦だけだった。

昔、最先端の車も今はクラッシックカーの分類で、20代で乗った事のあるブルーバードSSS、いすずベレット等、懐かしい車が沢山展示され、マツダ・コスモに試乗させてくれた。

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              スーパーカブ

30年ぶりのクラッチ車、年代物のコスモはシフトがなかなか入らず、セカンドギアで発進してくださいとのこと。構内のコースを5周。60年代半ばまでのほとんどの自家用車はその頃の平均初任給の年収の5倍もしていた事実には驚きを隠せない。その後、オート三輪ミゼット、スバル360など大衆車が生産され一般国民へ普及していく。ここには他にも、昔父親が通勤に使っていたホンダスーパーカブや、子供のころ見たり使ったりした懐かしい日常品も展示されており時間のたつのを忘れて過ごせる場所である。

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生活の歴史を体験できる「KYOWA クラシックカー&ライフステーション」/三条市|新潟県観光協会公式ブログ たびきち|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ (niigata-kankou.or.jp)

 

眞子様と小室さんの結婚が年内にも予定され、連日ニュースになっているが、4年間も結婚への思いが変わらずに遠距離恋愛が続いたと言うだけでも大変なこと、私は純粋に結婚を祝福して幸せになって欲しいと願うのです。世間ではすぐに『国民の税で、、』と言うが、皇室をもつ日本では、皇族方はいろんな公的機関の総裁等を務められ、自分の時間を犠牲にして公務をこなされている。真子様は一時金を辞退されるようだが、これは国家公務員が給料をもらい、退職金を受け取るのとなんら変わりはないと私は思うし、この先、病気、事故など海外で想定外の事に直面されるかもしれない、それでも眞子様には実家に帰ると言う選択肢はないのである。一時金は受け取っていいお金だと思う。

だいたいがこの『国民の税金でどうの』といちゃもんを付ける人たちはコロナ禍のストレス解消の為にSNSなどで発信しているように思えるし、その中には生活保護を受けたり、ほとんど税金を納めていない人達も含まれていると思う。外国で自分の生活基盤を安定させる事は簡単な事ではない。全てを用意してもらえる駐在員は別格で、スーツケース一つで渡米した留学生と言う立場から、渡米して3年少しでそれをやり遂げた小室さんは凄いのである。

安定した収入と生活基盤を得るまで私は6年かかったし、大体がそのくらいかかっている。小室さんの場合、まだ永住権の習得やら、医療保険、なによりも職場で自分の地位を確実なものにすることなど、クリアしていかなければならない事は多いが、異国の地でわずか3年間でその目標のため努力をしてここまでやり遂げて来たのは事実であり、誰にでもできる事ではないのである。SNSや一部メディアは重箱の隅を突っつく様に負の情報を探り集める。そんなことをして他人の幸福を邪魔する様な生き方はしたくない、私はお二人の結婚を無条件で祝福してあげたい。

 

東京での感染者が劇的に減っている。しかし、安心するのはまだ早い、ワクチン効果で無症状の検査に引っかからない人が増えているせいかもしれないし、一度油断したら、すぐに第6波がくるのは目に見えている。新潟市の感染は減ってはきたが、ここ数日は下げ止まりの様子を見せている。市内感染が一桁で安定したら、温泉なども考えようと思っている。

このウィルスは地球上から消滅することはないだろう。ワクチンが行き渡ったら次に考えられるのは治療薬や抗体ワクチンを使ったコロナと共存する社会であろうか。

参考までに先日発表になったデルタ株に対するワクチンの効果を示す数字を書いてみる。ワクチン未接種者は2回接種者より感染率が5倍、入院率が10倍、死亡率が11倍多いそうである。未接種者は治ってからも長く後遺症に悩まされる人も多い。この数字をみたらワクチンを受けない選択は考えられないのだが、世間にはいまだに頑なに受けないと言う人が居るのである。アメリカではワクチン接種、ワクチン接種証明書の提示を義務化する方向に向かっている。接種反対派は接種は個人の自由というが、感染して周りの人や、医療機関者に迷惑をかけない為にも、受けて欲しい。これもまた規制あっての自由であると私は思う。

 

エピソード 7

もう一つ、拳銃の話

Yamatoレストランで働いていた学生の時、T君と言う5歳くらい年下の男がいた。ある日、仕事の後、暗い帰り道を歩いていたら道路の反対側から黒人の男二人に呼び止められた。無視して歩くと付いてくる。「これは、まずいな」と小走りに逃げようとすると、追いかけて来る気配、と思ったら突然ピストルの音がして、お尻に衝撃が。撃たれたと思った彼はなんと『死んだふり』をした。熊じゃないんだから死んだふりはないだろうとおもうが、相手は「ああ、当たったか」と言うようなことを言って逃げていった。結果的に死んだまね作戦は成功だったのか。

幸い口径の小さな拳銃で、お尻にあたった弾は急所を避けていて、救急病院に行ったら、応急手当をしただけで、「そのままにしておきましょう」であったそうで、今でも彼の臀部には拳銃の弾が入って居るはずである。大体、口径の小さなピストルは殺傷力は小さく脅しの目的で持っているケースが多い。

その頃、彼はYamatoでも一番の若手でありながら、ちょっと愛嬌のあるが生意気なところがあり、皆からのイジられキャラだったので、数日休んだだけで仕事に戻った彼は「Tなら俺でも撃ちたくなるわ」などと変わらずイジられていた。

 

その後、20年くらいたって、Tがお店を持ったと噂に聞き、行って見たことがある。すっかりあのおもしろ生意気なキャラを封印し、いい寿司屋さんになっていた。そつのない接客が出来るようになっていたTに「あのキャラは何処で封印したの?」と聞いたら、「修行中にお世話になった大将が厳しく鍛えてくれたんですよ」と、言っていたが、あの銃弾がお灸になったのかとも思う。今もお尻に銃弾を抱えているだろうが、彼は今はどうしているだろうか。

 

喉の手術の為に2日間ほどUCLAの大学病院に入院したことがある。二人部屋に夜中に運び込まれてきたのは拳銃で撃たれたと言う黒人のギャングであった。隣で「手術代はロサンジェルス市が治安の為にかけている保険で賄える」と言うような話をしている。傷は大したことはなかったようで翌朝退院していった。アメリカはともかく入院期間が短い。盲腸くらいの手術なら日帰りであるし、手術が済んだらすぐにリハビリで追い出される。医療費が高いアメリカではなるべく医療費を低く保つため、入院は最短期間、薬も最低限必要な物しか処方しない。日本に帰って通院の度に新しい薬が増えていく。

 

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ミーちゃんも来月9日で一歳になります。

オリンピック + エピソード6

初めからケチのついていた東京オリンピックはコロナ禍での開催に方々から反対意見が寄せられていたが政府、都、IOCの下で7月23日に半ば強引に無観客という前代未聞の形で開会された。賛否両論があったが、開催された以上は日本でなければやれなかったと言われるコロナ禍のオリンピックにしたい。そんな想いで応援し続けた14日間のオリンピックは8月8日に閉会されるまで様々なドラマと感動を生んだ。

 

日本選手の活躍は素晴らしかった。白血病から復帰してきた池江選手の姿、卓球男女水谷・伊藤ペアの息を吞むような攻防、男子団体の橋本選手の個人総合金メダルを決めた鉄棒の演技、もう少しで世界に手が届きそうだったサッカー準決勝のスペイン戦、小さな身体で決勝まで進んだ女子バスケットチーム、オリンピックでなければ観れない感動があった。

開催前には政府は「復興オリンピック」とか、国民の理解を得ようとしたが、誰も納得する人はいなかったと思う。しかしアスリートに罪はなく、多くのオリンピアンがこの状態で日本がオリンピックを開催してくれたことに感謝している。今回の五輪は東京でなければ出来なかったのだと、オリンピアンは口をそろえて言う。そして終わってみれば、スポーツを通してアスリートに、「最後まで諦めない事の大切さ」と「困難に立ち向かう勇気」を見せてもらった。アスリートにも感謝である。これは今後人類がコロナと戦っていく上でも大切な教訓だと思う。

 

以下は新聞、テレビなどの専門家の意見の抜粋です。

開会してから閉会までに国内のコロナ感染者は3倍となり、閉会後も爆発的に感染が広がっている。その原因がすべてオリンピックのせいではないだろうし、タイミングを同じく広がりつつあったデルタ株の感染力の強さにもよる方が大きい。しかしオリンピックによるコロナ離れと気の緩みが起因していることもかなりあると言われている。

 

マスク・手洗いだけでは感染は減らせても防げない。ワクチンの効果は大きく、厚労省によれば接種が済んだ高齢者の場合、死亡率が5分の一に減っている。東京都での60歳以上の入院患者は7割から2割まで減っている。ワクチンを打つことで、自分の命だけでなく、病床のひっ迫を回避し、他の命を救う事が出来る。副反応は体の免疫が働いている証拠であり、ほぼ数日で収まる事をもっと知って欲しい。そして感染者が多いほど、もっと強力な感染力を持って重症度も高くなる新たな変異ウイルスが生まれてくる可能性が高まる。。

 

だんだんと広がりつつあるデルタ株は、まだ正確にはその実態がつかめていない。今迄のアルファ株より確実に感染力が強くなったのはわかっているが、実際何処までなら罹らないのかという線引きは出来ていない。ソーシャルデスタンスの距離を2mにすれば罹らないのか?それも狭い日本では不可能なことに思える。これからは飲食店だけでなく、ファーストフード店、コンビニ、デパート、スーパー、など、買い物での密状態で感染する可能性が高いと警告されている。そして、私も今までに方々で見ていた屋外での多人数によるBBQや、外飲みは感染源と特定されている。

 

従来のウイルスでは感染しなかったケースでも感染するようになってきているということか。ワクチンで本人の重症化や発症予防だけでなく、周りに感染を拡げない効果がある。私が6月に受けたワクチンの効力がいつまで続くかはデーターがなくてまだ正確には分かっていない。正体がわからなければ、最大限の防御を続けるのが自分の身を守る手段である。

 

自粛要請だけでは効果に限度がある。これかもワクチン不足が続き、ラムダ株などさらなる変異株が入ってくればコロナウイルスから身を守る武器を持たない戦いはまだまだ続く。ワクチンが一番感染防止効果があるが、さらなる換気の徹底、マスクを隙間なくする、手洗いをもっと徹底させる、重症化の予防が期待できる抗体カクテルの投与を一般的にするなどが当面出来る事。そして3回目のワクチンと、治療薬の開発を待つ。個人個人が諦めることなく戦いつ続ければ必ずやコロナに打ち勝つ時が来ると信ずる。

 

エピソード 6

その頃、LA(日本ではロスと言うようだがアメリカではエルエーです)では20ドル紙幣を別に用意しておいて、強盗に会ったら大人しく20ドル紙幣を渡せ、と言われていた。

拳銃を向けられた経験をしたのはハリウッドに住んでいた時。アパートで仲間とお酒を飲んでいてお酒が切れて夜の10時近く、近くのリカストアにビールを買いに行った。お店からビールの入った紙袋を抱えて外に出ると、建物の角から拳銃を向けた男が二人。"Do not move ! Freeze!"と、叫ばれた。すっかり強盗のホールドアップかと思ったら、警察の制服を着ているのに気づいて安心したが、すぐに目の前にパトカーが二台ブレーキ音を立てて停まり、更に4人ほどの警官が飛び出して来て、合計拳銃4丁と、ショットガン2丁の銃口が私の方に向けられている。

 

その場で手に持った荷物を降ろしてうつ伏せになるよう言われ、従うと、ボディチェックと荷物を調べられ、無線でやり取りしていたが、すぐに釈放。「なんなんだよ、なにも説明なく」と、怒ったが、「なんか映画の場面みたいだったな」と、強盗でなかったことで後になれば少し余裕。それが銃社会アメリカで私が唯一銃口を向けられた経験であった。

 

若いころはそんなことで警官をあまり良く思わなかった時期もあったが、今ではすっかり体制派となった私は、警官をみれば「あ、お巡りさん、ご苦労様でございます』と、最敬礼、低姿勢である。

自由の国アメリカでは規律を守ったうえでの自由であり、一部では日本以上に厳しい規制がある。公共の場での飲酒は昔から禁止されているし、かなり守られている。

 

80年代初めくらいまでのアメリカでは新年を迎える瞬間、空に向かって拳銃を打つ習慣があり新年になった瞬間からしばらくは拳銃の音が方々から聞こえていた。その後、落下する弾丸で負傷する人が居て、空に向かって銃を打つ行為はカリフォルニアでは不法になった。規則を破れば警官が飛んできて罰せられる。

実際、アメリカ人は家に拳銃を持っている人がどのくらいいるのか?周りに聞いてみたことがあるが結構持っているようだ。しかし拳銃を持っているために身が守れたという話より、拳銃を持っていたために人を傷つけたり、反撃を受けたという話の方が多いのである。拳銃の無い社会の安心感をアメリカ人は知らない。

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ミーちゃんのお友達

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猫あるある

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安心しきったこんな格好



 

 

オリンピック+エピソード5

コロナ禍で一年の延長となっていた東京オリンピックが本当に始まった。オリンピックの関係者、演出チームの解任、辞任が連鎖反応の様に広がったオリンピック。

人種差別や、障害者に対して言ってはいけない言葉という概念が遅れている日本で、私が予測したとおり、一度ボタンをかけ間違えたこのオリンピックは危機管理が出来ないまま後から後から問題が出てくると言うネガティブな状態の中で、半ば強引に開会された。

しかし、開始された以上、アスリートに罪はない。前回開催のリオ市長は「批判はあるだろうが、東京でなければ、日本人でなければ、開催すらできなかった。最高の大会にしてくれるはずだ」とエールを送った。未だに1964年の東京オリンピックの記憶の残る世代としては、始まった以上は成功して感動を若い世代に伝えて欲しいと思う。

 

すでに試合は始まり、いくつかのドラマが生まれている。体操のレジェンド内村には最後まで戦わせてあげたかったが、予想をしなかった鉄棒落下での予選落ち。

卓球混合ダブルスの水谷・伊藤組は準々決勝で最終セット絶体絶命の状態から7点差を追い付いてマッチポイントの取り合いになるゲームで、終始リードされていた日本組が死闘を制して準決勝に進んだ。見ている方が、「もうダメか!」と、思う事、10数回。それでも諦めなかった水谷。諦めない事の大切さ、記憶に残るいい試合を見せてもらった。

負けた人にとって時間は戻せないが、これ以上コロナ感染が広がることなく純粋にオリンピアンの活躍を見せて頂き、無事にオリンピックが終了することを祈りたい。

 

番外編:

それに付けてもオリンピック中の数々の韓国メディアの日本への無礼行為は目に余る。オリンピックのホームページの地図に文句を付け、安全を確認して使っている福島産の食材に文句を付け、反日の垂れ幕を選手村に持ち込み、開会式の誘導員の配置が旭日旗の形であったと文句を付け、五輪メダリストに渡される小さな花束で放射能汚染の恐れがあると書き立てる。ここまで言われたら笑っちゃうしかないが、いたって真面目に韓国人だけがそう思い込んでいるのだから始末に悪い。

太陽をデザインした旭日旗に似たようなデザインは世界中に昔から存在する。太陽を神聖なものとするアステカ文明のあるメキシコには45年前に私が訪れた時にも旭日旗に似たデザインが溢れ、方々で見かけた。韓国の徐ギョンドク教授は反旭日旗キャンペーンで世界中でそれらしき物にいちゃもんを付け続けている。

韓国次期大統領候補の李ジェミョン知事はオリンピック開催中に「独島(竹島)への日本の執着は軍国主義勢力が大陸進出の足掛かりとする為だ」との時代錯誤甚だしい発言。そもそも戦後サンフランシスコ条約を無視して強引に竹島を奪ったのは韓国であるが、韓国ではこれらすべて原因が日本側に起因するとされ、日本からの反論は「いちゃもんを付けてきた」である。何でも日本を悪者にしたい韓国のメディアに国民は常に反日教育をされている。少しでも日本寄りの意見を言う人は叩かれ、その関係改善の糸口は見当たらない。反日は韓国の活動源であり、そこから生まれるエネルギーがこれまでの韓国の発展を支えてきたのだから、当分この問題は解決されそうもない。

 

エピソード5

語学学校でもう一人記憶に残る友との出会いがあった。同じクラスになり親友となったHは築地の料亭の息子で、出会った時には既にゴルフ、カーレース、スキー、フェンシング、クレー射撃 釣り、ダイビング、料理と何でもこなす魅力的な異性にもモテ男であった。出会ったその日に一緒に飲み明かして意気投合し、一頃は毎日一緒だった。授業が終わればよく一緒に飲んだ。1ガロンの安ワインを買い鍋を囲み、冷蔵庫の中にアルコールが残っているうちはお開きにならなかった。

私が初めてゴルフをしたのも彼の誘い。打ちっぱなしをしたことも無い私をいきなりコースに連れて行き「高志ちゃん、ともかく前に進めばokayだよ」、てなこと言われて、その気になって、、それでも私は素振り(?)の練習を交えながら無事に前へ前へと進んだので確かに 結果All rightであった。

クレー射撃、ゴルフ、スキー、釣り、そして勿論、飲み会と一緒に楽しい時間を過ごした。私が初めてラスベガスにいったのも彼とで、カジノテーブルでの遊び方、カジノの劇場でのスマートなチップの渡し方など教えてくれたのもHだった。

 

毎日一緒だったのは今思い出せば8か月くらいであったと思う。その後、私はカレッジへ、Hは州立大学へ進み、卒業後彼は、サンディエゴにあった日系の会社で数年働いた後、日本へ帰国してソニーグループにはいった。数年後、彼の部署に部下として入ってきた新入社員が後にソニーの社長、会長になった平井一夫さん。平井さんが社長になったのならHがそのままソニーに残っていたら、、、、などと冷やかすのである。

 

彼はその後、ソニーを辞めて自分の会社を持ち、日本クレー射撃協会や、日本近代五種協会の理事、国際的なNPO Non-Violence Projectの日本の代表をしている。ここしばらく会っていないが、会えなくとも付き合いは続き、私が連絡すると忙しい中、必ず時間を作ってくれる。同じ時間を共有した仲間、会えば途端に40数年前の二人に戻り、ハメを外して飲み過ぎてしまうのである。

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日本頑張れ

 

Sさんご来県+エピソード4

アメリカでずっと親交のあった一番の友人Sさんを新潟に迎える。45年前、渡米翌年に出会い、仕事仲間であり、旅仲間であり、時にはルームメート、時にはスキー仲間として、途切れることなくアメリカで兄弟の様に過ごした友人である。

私が2年前、永住帰国後初めてロスに里帰り(?)した際にはO君と共に3週間もSさん宅に居候させてもらった。アメリカに住んでいた友人たちも定年などを機会に日本へ帰る人が増え、ついにSさんも去年の11月に静岡三島に永住帰国している。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧 - skizanmaiの日記 (hatenablog.com)

 

先日、O君、Fさんと湯元温泉に行った際、新潟県民向けのGoToキャンペーンがあり、4人そろうと更に安くなるので月岡温泉に行こうと言う話になり、もう一人を誰にしようかと言った時、Sさんの顔が思い浮かんだ。O君もアメリカでのお礼がしたいと言いつつ、なかなかその機会が無かったが、オリンピック前コロナがいくぶん抑えられている今を逃したら、次の機会はこの先何時になるか判らない。いいチャンスのように思え、「おお、それは良いね」という事になり、Sさんに連絡をするとすぐに「是非!お願いします」と返事があったので、予定を進めてきた。

 

その間に一時はほとんど感染の無かった新潟市でも今は一日5人前後と増加傾向にはあるが、そのほとんどが感染経路が判っており、新潟市は都市規模からして全国的にもかなり上手く感染を抑えている都市であると思う。

 

12日12時25分の新幹線で着くSさんを駅に迎えに行く。

新潟駅は改築中なので、迷わないよう前もって地図入りで落ち合う場所を知らせておいた。その新幹線西口改札口出口で待つがなかなか来ない。その後、やっと連絡があり、何故か万代出口を出た東横イン前に居ると言う。駅の地図で言えば対角線上の全く逆の位置。ともかく久しぶりの再会を喜ぶ。遠方より友来る。3泊4日を楽しもう。

コロナの感染予防はワクチン接種も済み、Sさんともラインでやり取りして,ずっと互いに注意して来ている。新潟滞在中は快晴を前提で予定を立てているので天候が心配。駅に来る途中も朝からかなりの雨だった。今日の月曜が一番天候不安定の日なのにサイクリングの予定を入れていた。しかし今回は全員が我こそは晴れ男という晴れ男の集まりのようなメンバーで、駅の外に出ると先ほどまで降っていた雨が止んでいる。気温も下がり、雨上がりの快適な気候となった。

まずは私の家でウエルカム・ドリンクのシャンペンで乾杯の後、サイクリングに出る。北方文化別邸、古町、知事公邸、白山公園、と走り、信濃川やすらぎ提に開いているスノーピーク出店のテント村で一休み。朱鷺メッセで錦鯉を見て、佐渡汽船ターミナル、みなとぴあ、イタリア軒、日本海、水族館を回るツアー。

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白山公園のハス

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県政記念館

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信濃川やすらぎ提

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本当は、ここで生ビールを飲むつもりであったが、財布を忘れてきていた。残念。

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ホテルオークラ

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朱鷺メッセのフォトスポット

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海沿いのサイクリングロード、微かに佐渡が見える

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          雨上がりのライドは気持ちがいい。

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5時45分にFさん、O君に迎えに来てもらって夕食へ。今宵はSさんの歓迎会。Sさんは我が家に宿泊。

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翌13日、朝、Sさんと1時間ほど海岸近くを散歩。そしてMBL大谷のホームランダービーを時間いっぱいまで見ていると10時にFさんが迎えに来てくれ、北方文化博物館へ向かう。ここは米どころ新潟の大地主で豪農であった伊藤家が全国から粋を集めて造ったお屋敷と庭園。私は今回2回目だが凄いお屋敷だ。アメリカ留学経験のあった8代目当主伊藤文吉と連合軍の責任者としてきたラルフ・ライト中尉が同窓生である事が判り、その友情によりこの豪邸は北方文化博物館として残される事になったと言う逸話は感動的である。

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30mの一本杉を使った豪華な造り

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見ざる聞かざる言わざる?

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最後の将軍、徳川慶喜の書

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  阿賀野川下りが次の予定であったが、乗り場に着くと、「増水の為、運休致します」のサインが出ている。またやってくれました。私はこれで3回目の運休で未だにここで船に乗れていない。前回は水量が少ない為と、その前が強風の為、本当に動いている事があるのか?運休の理由を毎回考えるのが大変であろう、などと勘繰ってしまうのである。

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川下りが無くなり、予定よりも早く月岡温泉に着いた我々は温泉街にある足湯に入る。足湯とはいい、若い女性との『混浴』にテンションの上がるシニアたち。3時になってホテル華鳳にチェックイン。月岡温泉のホテルは何処もかなりサービスのレベルが高い。更に一人1万円の県民割引が付き、2000円のお土産購入につかえるクーポンがもらえる。

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ウエルカムドリンクをいただき、チェクインの間、回りに飾られた美術品と、美しい日本庭園に目を奪われる。8階の部屋からは美しい田園風景が。夕方に1時間半、ゆっくりと温泉に入り、6時半からの夕食へ。宿泊の部屋ではなく、別の個室に食事が用意される。食べて、飲んで楽しむ。お酒が入るとO君は恥ずかしさが無くなり、長年受講料を払い続けている英語を使いたがる。時たま彼が造った英語が面白い。

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吹き抜けの中庭、一階部分には錦鯉が泳ぎ、館内を飾る美術品の数々

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大きな窓ガラスの向こうに田園が広がる

お酒を数本持ち込んでいたので担当の仲居さんに「持ち込み料を払いたい」と、言うと、「私は見ていませんから」と、言ってくれた。気持ち良く食べ、飲み続け、気が付けば10時近く、他の部屋の客は既に食事を終えてとっくに引き上げている。後片付けが遅くなるのに、我々の給仕をしてくれた仲居さんは催促をすることも無く、我々が気づくまで待っていてくれた。申し訳ない事をしたと全員反省。どこまでも一級のカスタマーファーストの気遣いとサービスに感心する事しきり。。

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夕食はのどぐろ、村上牛と新発田牛の食べ比べ。

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翌朝、朝湯に入って朝食後、ホテルの庭を散歩、建物の中も豪華だが、見事な日本庭園。

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10時にチェックアウトして城下町新発田に向かう。新発田藩下屋敷であった清水園、現在も残る数少ない江戸時代のオリジナルの建物。

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新発田藩は江戸時代一度も所替え無しの溝口家が藩主を務めたという珍しい藩。お城は内掘りの一部と表門、櫓、石垣が残されているのみ。昼食は市内にあるミシェラン・ガイドに載った「ついしん手紙」という変わった店名のレストラン。手ごろな値段でランチをだしている。

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                         ミシェランの味がランチで食べられる

新潟市へ戻って極楽湯、そして小嶋屋でお蕎麦のセットメニュー。へぎ蕎麦を出す小嶋屋は十日町川西のお店が発祥の地。一歳から10歳まで十日町で育った私は家でも蕎麦と言えば布海苔入りの十日町蕎麦であり、私のソールフードと言える。川西の小嶋屋蕎麦屋には幼少の頃より良く連れて行ってもらった。 

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 新潟最後の夜、SさんはO君宅へ宿泊。

Sさん新潟最後の日、10時にまたFさんに迎えに来ていただき、O邸へいきSさんO君を乗せて新潟のワイナリー、カーブドッジへ。午前中からワインテェースティングで心地よく酔う。天気は良いし、ぶどう畑に囲まれた建物や風景はなんとなくカリフォルニア風。

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県内一番のパワースポット弥彦神社に行って、参拝と森林浴。神社の周りは大木が茂り、涼しさを感じる。願い事の多いO君は神前で長時間のお参りというより祈願。県内で転勤の多かったと言うO君はこの辺りまで良く知っている。昼は彼のお勧めの寿司屋さんで満足感の高いランチのセットが900円しないで食べられた。なにせ、毎日の飲食責めで過食、過飲、この位の量の美味しいお寿司が丁度いい。お酒を飲めないFさんに感謝しつつ、またビールを頂く。

 

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新潟駅ビル内のお酒ミュージアムでは県内の111種のお酒を試飲できる。物知りのFさんは、歴史と女子アナに詳しいだけでなく、下戸なのに県内の酒蔵も良く知っている。Fさん以外の3人は旅の終りまでコロナに罹らないように内臓までアルコール消毒し続けちゃいました。

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駅ビルのお酒ミュージアム

退職して、一番時間が自由になる時期に海外にも行けずコロナ禍の自粛生活。コロナに対抗するにはワクチンしかないが、オリンピック直前の今になってワクチンが十分に入ってこないと言うお粗末さ。今は感染の広がりを見ながら近場の計画をたてているが、体力のあるうちに、早く自由に何処でも行けるようになって欲しいものである。

 今まで随分いろんなところに一緒に旅したSさん。新潟の旅を楽しんでもらえたことでしょう。また、何処かに行きたいね。それまで元気で過ごしましょう。

 

エピソード4

アメリカで学生の時に働いていたベバリーヒルスの隣接区にある「Yamato」は大きな日本食レストランで従業員が100人以上いた。ユニークな人が沢山居て、そこで、ずっと付き合う事になるSさんとの出会いなど、記憶に残る人たちと出会った場でもあった。Sさんは私より一歳年上で、Yamatoには私より数か月後で入ってきて「Sで~す。宜しくお願いします」と、給湯室で挨拶をしてきたのを、ついこの間の様に鮮明に記憶している。それに彼もまたアメリカの前にヨーロッパを旅していた金メダル保持者であった(『70年代初めまでにヨーロッパを旅した人は人生の金メダルを持っているようなものだ説による』渋沢栄一、福澤諭吉、森鴎外しかり、ふむ、ふむ、、、。)ので気が合った。

 

その頃のYamatoには日本全国からのユニークな学生、永住権申請者、アメリカ人と結婚した女性などが集まっていて、「私のパスポートは大日本帝国となってたよ」と言う年配のウエイトレスから、元ボクシングの東洋チャンピオン、剣道の日本選手権で上位入賞者、空手家、料理学校で講師をしていた人、オカマのMさん、アメリカで生まれて日本で教育を受けた帰米2世、それぞれがいろんな人生を送って、あの時、偶然「Yamato」が一緒に働く場所となった。取り分け従業員の半分以上を占める20代の同年輩の人たちには芸達者な関西人、沖縄県民など、キャラの濃い人がいっぱいいて、毎日が楽しかった。

 

紅花のロッキー青木と言えばその頃既にアメリカンドリームを実現した有名人であった。学生レスリング日本選抜で米国遠征し、そのままアメリカに残り、鉄板焼きの一大日本食チェーン「Benihana of Tokyo」のチェーンを作った有名人であり成功者だった。その頃は経営から離れ、スピードボートレース、気球レースなどで活躍していた。ロッキー青木は彼の最初のアメリカへの学生レスリング遠征のメンバーであったTさんがYamatoに居たので訪ねてきたことがあった。

私がヨーロッパであった人がニューヨークの紅花で働いていた時、風の様に表れて、サ~と引いていく嵐のような人であったと聞いた通り、サ~と来てサ~と去っていった。

 

ある時、いかにもとそのスジの者と思える風情の日本からの5人の客が来店した。日本で其の様な団体と付き合いのあった寿司職人のKさんが「あの方は浅草XX会の会長さんだぞ」

私がサーブしていると相棒の関西人Sやんが裏でぶつぶつ言っている。「てめ~ら人間じゃねえ」「Sやん、表に行って言ってきなよ」そんな勇気があるはずがない。

 

Kさんはその後、スペインに渡りレストランを開いたと人づてに聞いた。男気のある寿司職人であったが、コロナ禍のスペインでその後どうしているであろうか。

 

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番外編:我が家の箱入り娘 1

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箱入り娘 2

 

大湯温泉+エピソード3

新潟ではこのところ県でも市でも感染者が5人以下と良い状態が続いている。接種も進んでいるので、いつものO君、Fさんと一泊の温泉旅行に県内の大湯温泉、ホテル湯元へ行ってきた。

9時半に出発して、長岡のパークゴルフ場へ。ここは一人210円でパークゴルフが一日中楽しめる。私はこれが2回目の体験。前回の後、本を借りてパークゴルフなるものの攻略本を読んで、極意を掴んだと(笑い)思ったのであるが、あれからコロナ禍で2年間のブランクとなり、攻略のメモも無くし、何の極意だったか判らなくなっている。 

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スコアよりも、どう楽しむかである。雨と言われていた天候も持ってくれ、36コースを2時間半ほどで回り、軽い運動と昼のビールでパークゴルフを楽しんだのである。

長岡宝徳山稲荷大社の大提灯を見てそこから1時間くらい奥只見・尾瀬方面に走ると大湯温泉に着く。ここは以前にも来たところ。今回は県民割引が2000円、買い物などに使えるクーポン券が2000円付き、更に私以外の二人は誕生日月だったので2500円引きという特典付きである。夕飯の前に温泉で長湯。夕飯はビュッフェスタイルの食べ放題飲み放題がつぃている。久しぶりの温泉宿で、時間いっぱい飲んで食べて楽しんだ。

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翌日、早朝の温泉、朝食の後チェックアウトして長岡に昨年オープンした長岡花火館へ。と、、入り口に「本日閉館」のお知らせ。どうも我々はいい具合に天候には恵まれるのだが、休館日に出くわす。

そこから古民家の江口だんご本店へ、昔は信濃川の中州にあったと言う老舗。上品な甘みを抑えた団子と笹団子が美味しい。

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長岡生姜ラーメンを食べて、みつけイングリッシュガーデンで庭園をみて、爪切りのサワイで工場見学。一つ一つ手造りで丁寧な仕事をする職人さんの姿に感動。ここには新潟県の生んだプロレスラー、ジャイアント馬場が乗っていたと言うフルサイズのキャデラックのオープンカーが展示されている。アメリカでフルサイズのアメ車にも乗ったことがあったはずだが、改めて日本で見るとアメ車のフルサイズはバス路線しか走れないだろうと思うほど大きい事。70年代初めのオイルショックでアメリカでも小型車が主流となり、このサイズの生産は終わっている。

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内容の濃い二日間を楽しく過ごせた。このままのコロナ状況であればと、オリンピックで人が動き出す前にもう一度温泉の計画を立てている。

 

エピソード 3

1978年頃か、ハリウッドに住んでいた私は、その頃私が付き合っていた彼女の友達の旦那がハリウッドにあるレコーディング・スタジオのスタジオ・マネージャーをしていた。そのスタジオでピンクフロイドがアムバムを作っていて、その制作にかかわっていると言う話は聞いていたが、ある日、「ピンクフロイドのマスターテープを持ち帰っているから、聞きに来ないか?」と、連絡してきた。ハリウッド・ヒルにある彼の家に行くと大きな音響設備があり、4人だけでワインを飲みながら其の曲を聴いた。

                

「マスターテープから聴けるという事は、まだ世界中に数10人しか聞いた人がいないピンクフロイドのニューアルバムを聴いてるんだよ』と言われて、聞いた曲はコーラスやいろんな音が入った幻想的な曲で、アルバムになる前の曲を聴く機会を得れた幸運と、贅沢な時間に感謝した。

                

それはその後アルバムになって世に出て、ピンク・フロイド最大のヒットアルバムとなる『ザ・ウォール』であった。

Pink Floyd - Another Brick In The Wall (full version!) - YouTube

P̲ink Flo̲yd - T̲h̲e̲ W̲a̲l̲l̲ (Full Album)1979 - YouTube

その後、『Yamatoレストラン』でピンク・フロイドのメンバーでドラムのニック・メイソンからサインをもらう機会があった。

 

 

 

 

 

 

午後のウオーキング+エピソード2

西日本は何度か大雨に見舞われているが、新潟市はまだまとまった雨が無く、このままでは夏の水不足も懸念される。それでも一年で今が一番いい気温でもある。久しぶりに8.5キロを歩いた。

途中、新潟大神宮、そして何度か行った観光スポットでもある坂口安吾の『風の館』、旧日本銀行支店長宅『砂丘館』に寄る。どちらも古いお屋敷、観光客は少なくて空いていた。

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              新潟大神宮

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砂丘館

後半の2キロは西海岸公園の森の中。都会にいながら山歩きの気分を味わえる。

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自然の残った公園の中の道

そして海岸に出ると砂浜のゴミ集めをする若者の一団がいた。コロナ禍でもBBGで騒ぐ若者が居る中で感心な若者もまだ残っている事に安心。海からの気持ちのいい風にあたりながら、気分良く歩けた。

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8.5キロのウオーキング

ワクチンが広く接種できる状態になって来たが、若者の間ではまだ決めかねている人が36%,打たないと言う人が21%もいるとニュースで言っている。受けない理由が、副反応が若者ほど強く、新しい薬なので5年後に後遺症が出るかもしれない、不妊の可能性があると聞いた。など、いずれも専門家は否定しているのにSNSなどで誤情報が広まっているそうだ。しかし、若者でも罹ったら治っても後遺症が続いて悩まされている人がいる。ワクチンを打たない事による不利益の方が多い事を知って欲しい。

 

エピソード2

私がアメリカで学生をしていた時、センチョリーシティーというベバリーヒルスに隣接する都市計画で造られた一角にある大統領もエルエーに来ると泊まった有名ホテルの中にあった日本レストラン『Yamato』でバスボーイ、そして出世して(?)ウエーターをしていた。ダイニング、鉄板焼きテーブル、日本間、バーのある大きな日本食レストランで、初めて店内に入った時は圧倒されるような高級感のあるレストランだった。なんでも日本から大工を連れて来て、建築資材も全て日本から持って来て造られたという内部はお城の中の様な重厚で豪華な内装であった。

 

客層も豪華で、フロントには予約の際、いろんな情報が入るので教えてくれる。ある日亡くなったエルビスプレスビーの奥さんと子供と弁護士が来店したが、まだ小さかった子供は誘拐の可能性を防ぐため、マスコミにも顔を出していないので宜しくという事だった。エルビスが亡くなってすぐ、まだ娘のリサ プレスリーは小学生の低学年くらいに見えたが、プレスリーの莫大な財産を20歳になったら相続すると発表されたすぐ後で、誰もリサの顔を知らない時代であった。

 

店内に幾つも飾ってる調度品は全て日本で買い集めた文化財級の物ばかり。リサの時ではないが日本間に掛けて有った掛け軸に客の子供が色鉛筆で見事ないたずら書きをしたことがあった。あの時はさすがに日系人の社長は怒っていた。

 

私が見ただけでも、ジェームス コバン、ライフルマンのチャック コスナー 、アルパチーノ、ボナンザ(日本題カートライト兄弟)のロット グリーン、マーロンブランド、大平首相、三船敏郎、ピンクレディーなどなど毎日有名人のお客が来店していた。

 

私はロバートワグナーとナタリーウッドの夫婦にサーブしたことがある。ロバートワグナーにジョニ黒のオンザロックを頼まれたのを覚えている。仲良さそうに見えたが、それから数年後、エルエー沖にあるカタリナアイランドに浮かぶボートの上でナタリーウッドが水死して、ロバートワグナーが重要参考人とされたが今でも真相は判っていない。

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玄関のドアの前で置いていかないでと座り込んでアピールするミーちゃん