Sさんご来県+エピソード4

アメリカでずっと親交のあった一番の友人Sさんを新潟に迎える。45年前、渡米翌年に出会い、仕事仲間であり、旅仲間であり、時にはルームメート、時にはスキー仲間として、途切れることなくアメリカで兄弟の様に過ごした友人である。

私が2年前、永住帰国後初めてロスに里帰り(?)した際にはO君と共に3週間もSさん宅に居候させてもらった。アメリカに住んでいた友人たちも定年などを機会に日本へ帰る人が増え、ついにSさんも去年の11月に静岡三島に永住帰国している。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧 - skizanmaiの日記 (hatenablog.com)

 

先日、O君、Fさんと湯元温泉に行った際、新潟県民向けのGoToキャンペーンがあり、4人そろうと更に安くなるので月岡温泉に行こうと言う話になり、もう一人を誰にしようかと言った時、Sさんの顔が思い浮かんだ。O君もアメリカでのお礼がしたいと言いつつ、なかなかその機会が無かったが、オリンピック前コロナがいくぶん抑えられている今を逃したら、次の機会はこの先何時になるか判らない。いいチャンスのように思え、「おお、それは良いね」という事になり、Sさんに連絡をするとすぐに「是非!お願いします」と返事があったので、予定を進めてきた。

 

その間に一時はほとんど感染の無かった新潟市でも今は一日5人前後と増加傾向にはあるが、そのほとんどが感染経路が判っており、新潟市は都市規模からして全国的にもかなり上手く感染を抑えている都市であると思う。

 

12日12時25分の新幹線で着くSさんを駅に迎えに行く。

新潟駅は改築中なので、迷わないよう前もって地図入りで落ち合う場所を知らせておいた。その新幹線西口改札口出口で待つがなかなか来ない。その後、やっと連絡があり、何故か万代出口を出た東横イン前に居ると言う。駅の地図で言えば対角線上の全く逆の位置。ともかく久しぶりの再会を喜ぶ。遠方より友来る。3泊4日を楽しもう。

コロナの感染予防はワクチン接種も済み、Sさんともラインでやり取りして,ずっと互いに注意して来ている。新潟滞在中は快晴を前提で予定を立てているので天候が心配。駅に来る途中も朝からかなりの雨だった。今日の月曜が一番天候不安定の日なのにサイクリングの予定を入れていた。しかし今回は全員が我こそは晴れ男という晴れ男の集まりのようなメンバーで、駅の外に出ると先ほどまで降っていた雨が止んでいる。気温も下がり、雨上がりの快適な気候となった。

まずは私の家でウエルカム・ドリンクのシャンペンで乾杯の後、サイクリングに出る。北方文化別邸、古町、知事公邸、白山公園、と走り、信濃川やすらぎ提に開いているスノーピーク出店のテント村で一休み。朱鷺メッセで錦鯉を見て、佐渡汽船ターミナル、みなとぴあ、イタリア軒、日本海、水族館を回るツアー。

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白山公園のハス

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県政記念館

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信濃川やすらぎ提

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本当は、ここで生ビールを飲むつもりであったが、財布を忘れてきていた。残念。

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ホテルオークラ

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朱鷺メッセのフォトスポット

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海沿いのサイクリングロード、微かに佐渡が見える

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          雨上がりのライドは気持ちがいい。

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5時45分にFさん、O君に迎えに来てもらって夕食へ。今宵はSさんの歓迎会。Sさんは我が家に宿泊。

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翌13日、朝、Sさんと1時間ほど海岸近くを散歩。そしてMBL大谷のホームランダービーを時間いっぱいまで見ていると10時にFさんが迎えに来てくれ、北方文化博物館へ向かう。ここは米どころ新潟の大地主で豪農であった伊藤家が全国から粋を集めて造ったお屋敷と庭園。私は今回2回目だが凄いお屋敷だ。アメリカ留学経験のあった8代目当主伊藤文吉と連合軍の責任者としてきたラルフ・ライト中尉が同窓生である事が判り、その友情によりこの豪邸は北方文化博物館として残される事になったと言う逸話は感動的である。

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30mの一本杉を使った豪華な造り

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見ざる聞かざる言わざる?

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最後の将軍、徳川慶喜の書

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  阿賀野川下りが次の予定であったが、乗り場に着くと、「増水の為、運休致します」のサインが出ている。またやってくれました。私はこれで3回目の運休で未だにここで船に乗れていない。前回は水量が少ない為と、その前が強風の為、本当に動いている事があるのか?運休の理由を毎回考えるのが大変であろう、などと勘繰ってしまうのである。

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川下りが無くなり、予定よりも早く月岡温泉に着いた我々は温泉街にある足湯に入る。足湯とはいい、若い女性との『混浴』にテンションの上がるシニアたち。3時になってホテル華鳳にチェックイン。月岡温泉のホテルは何処もかなりサービスのレベルが高い。更に一人1万円の県民割引が付き、2000円のお土産購入につかえるクーポンがもらえる。

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ウエルカムドリンクをいただき、チェクインの間、回りに飾られた美術品と、美しい日本庭園に目を奪われる。8階の部屋からは美しい田園風景が。夕方に1時間半、ゆっくりと温泉に入り、6時半からの夕食へ。宿泊の部屋ではなく、別の個室に食事が用意される。食べて、飲んで楽しむ。お酒が入るとO君は恥ずかしさが無くなり、長年受講料を払い続けている英語を使いたがる。時たま彼が造った英語が面白い。

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吹き抜けの中庭、一階部分には錦鯉が泳ぎ、館内を飾る美術品の数々

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大きな窓ガラスの向こうに田園が広がる

お酒を数本持ち込んでいたので担当の仲居さんに「持ち込み料を払いたい」と、言うと、「私は見ていませんから」と、言ってくれた。気持ち良く食べ、飲み続け、気が付けば10時近く、他の部屋の客は既に食事を終えてとっくに引き上げている。後片付けが遅くなるのに、我々の給仕をしてくれた仲居さんは催促をすることも無く、我々が気づくまで待っていてくれた。申し訳ない事をしたと全員反省。どこまでも一級のカスタマーファーストの気遣いとサービスに感心する事しきり。。

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夕食はのどぐろ、村上牛と新発田牛の食べ比べ。

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翌朝、朝湯に入って朝食後、ホテルの庭を散歩、建物の中も豪華だが、見事な日本庭園。

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10時にチェックアウトして城下町新発田に向かう。新発田藩下屋敷であった清水園、現在も残る数少ない江戸時代のオリジナルの建物。

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新発田藩は江戸時代一度も所替え無しの溝口家が藩主を務めたという珍しい藩。お城は内掘りの一部と表門、櫓、石垣が残されているのみ。昼食は市内にあるミシェラン・ガイドに載った「ついしん手紙」という変わった店名のレストラン。手ごろな値段でランチをだしている。

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                         ミシェランの味がランチで食べられる

新潟市へ戻って極楽湯、そして小嶋屋でお蕎麦のセットメニュー。へぎ蕎麦を出す小嶋屋は十日町川西のお店が発祥の地。一歳から10歳まで十日町で育った私は家でも蕎麦と言えば布海苔入りの十日町蕎麦であり、私のソールフードと言える。川西の小嶋屋蕎麦屋には幼少の頃より良く連れて行ってもらった。 

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 新潟最後の夜、SさんはO君宅へ宿泊。

Sさん新潟最後の日、10時にまたFさんに迎えに来ていただき、O邸へいきSさんO君を乗せて新潟のワイナリー、カーブドッジへ。午前中からワインテェースティングで心地よく酔う。天気は良いし、ぶどう畑に囲まれた建物や風景はなんとなくカリフォルニア風。

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県内一番のパワースポット弥彦神社に行って、参拝と森林浴。神社の周りは大木が茂り、涼しさを感じる。願い事の多いO君は神前で長時間のお参りというより祈願。県内で転勤の多かったと言うO君はこの辺りまで良く知っている。昼は彼のお勧めの寿司屋さんで満足感の高いランチのセットが900円しないで食べられた。なにせ、毎日の飲食責めで過食、過飲、この位の量の美味しいお寿司が丁度いい。お酒を飲めないFさんに感謝しつつ、またビールを頂く。

 

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新潟駅ビル内のお酒ミュージアムでは県内の111種のお酒を試飲できる。物知りのFさんは、歴史と女子アナに詳しいだけでなく、下戸なのに県内の酒蔵も良く知っている。Fさん以外の3人は旅の終りまでコロナに罹らないように内臓までアルコール消毒し続けちゃいました。

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駅ビルのお酒ミュージアム

退職して、一番時間が自由になる時期に海外にも行けずコロナ禍の自粛生活。コロナに対抗するにはワクチンしかないが、オリンピック直前の今になってワクチンが十分に入ってこないと言うお粗末さ。今は感染の広がりを見ながら近場の計画をたてているが、体力のあるうちに、早く自由に何処でも行けるようになって欲しいものである。

 今まで随分いろんなところに一緒に旅したSさん。新潟の旅を楽しんでもらえたことでしょう。また、何処かに行きたいね。それまで元気で過ごしましょう。

 

エピソード4

アメリカで学生の時に働いていたベバリーヒルスの隣接区にある「Yamato」は大きな日本食レストランで従業員が100人以上いた。ユニークな人が沢山居て、そこで、ずっと付き合う事になるSさんとの出会いなど、記憶に残る人たちと出会った場でもあった。Sさんは私より一歳年上で、Yamatoには私より数か月後で入ってきて「Sで~す。宜しくお願いします」と、給湯室で挨拶をしてきたのを、ついこの間の様に鮮明に記憶している。それに彼もまたアメリカの前にヨーロッパを旅していた金メダル保持者であった(『70年代初めまでにヨーロッパを旅した人は人生の金メダルを持っているようなものだ説による』渋沢栄一、福澤諭吉、森鴎外しかり、ふむ、ふむ、、、。)ので気が合った。

 

その頃のYamatoには日本全国からのユニークな学生、永住権申請者、アメリカ人と結婚した女性などが集まっていて、「私のパスポートは大日本帝国となってたよ」と言う年配のウエイトレスから、元ボクシングの東洋チャンピオン、剣道の日本選手権で上位入賞者、空手家、料理学校で講師をしていた人、オカマのMさん、アメリカで生まれて日本で教育を受けた帰米2世、それぞれがいろんな人生を送って、あの時、偶然「Yamato」が一緒に働く場所となった。取り分け従業員の半分以上を占める20代の同年輩の人たちには芸達者な関西人、沖縄県民など、キャラの濃い人がいっぱいいて、毎日が楽しかった。

 

紅花のロッキー青木と言えばその頃既にアメリカンドリームを実現した有名人であった。学生レスリング日本選抜で米国遠征し、そのままアメリカに残り、鉄板焼きの一大日本食チェーン「Benihana of Tokyo」のチェーンを作った有名人であり成功者だった。その頃は経営から離れ、スピードボートレース、気球レースなどで活躍していた。ロッキー青木は彼の最初のアメリカへの学生レスリング遠征のメンバーであったTさんがYamatoに居たので訪ねてきたことがあった。

私がヨーロッパであった人がニューヨークの紅花で働いていた時、風の様に表れて、サ~と引いていく嵐のような人であったと聞いた通り、サ~と来てサ~と去っていった。

 

ある時、いかにもとそのスジの者と思える風情の日本からの5人の客が来店した。日本で其の様な団体と付き合いのあった寿司職人のKさんが「あの方は浅草XX会の会長さんだぞ」

私がサーブしていると相棒の関西人Sやんが裏でぶつぶつ言っている。「てめ~ら人間じゃねえ」「Sやん、表に行って言ってきなよ」そんな勇気があるはずがない。

 

Kさんはその後、スペインに渡りレストランを開いたと人づてに聞いた。男気のある寿司職人であったが、コロナ禍のスペインでその後どうしているであろうか。

 

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番外編:我が家の箱入り娘 1

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箱入り娘 2