心友 + エピソード 35

私にはお互いを親友と呼べる存在の親しい友人が、おそらくは10名ほどいる。それは付き合いの時間の長さでなく、人生のひと時を一緒に過ごし、一緒にいると心地よく、気心の知れた、心許せる心友達である。この多くの友人たちが居てからこそ、今まで楽しく暮らしてこれた。

 

70歳を越えると体調を崩す人も増えてくる。コロナ禍で長く会えなかった心友たちに

行動制限のなくなった今年は、会えるうちにと思い、積極的に会いに行っている。

 

そんな一人、Uは50年前、私が初めて世界放浪の旅行に出た時に旅の後半にアテネで出会った心友である。あの頃、世界中どこにでも旅する若者は日本人とドイツ人と言われていた。ヨーロッパでは定住している中国人と、観光地には団体旅行で来た日本人はいたが、旅をしているアジア人の若者はほとんどすべて好奇心旺盛な日本の若者であった。

 

そして、異国の地で出会った日本人はすぐに仲良くなった。あの時の旅の出会いが、私の友達作りの原点になっている。ロンドン留学の帰りのUとはそんな我々が一番輝いていた青春の時代に出会い、一緒にアテネから中近東を通り、祖国日本を目指した仲間であった。

 

その彼と、彼のロンドン時代の友人で私も何度も会っているSさんとの3人で9月中頃の先日、東京で再会した。Uは2か月前に15年前に受けた舌癌の再手術を受けていて前回は会えなかったが、今回は、会いに来てくれた。一見元気そうに見えるが、もう一度手術をすることになれば、直接口から食事が取れなくなり、胃瘻処置をしなければならないと言われているという。

 

懐かしい70年代の話で盛り上がる。青春真っただ中の中近東での旅行は今も私の心に強烈な印象を残している。Uとの一か月ほどのアテネからインドのニューデリーまでの列車と乗り合いバスによる旅は冒険心と、若さゆえの遊び心のある、記憶に残る旅であった。

 

バスの中でイスラム教の人たちのお祈りの後、我々もお祈りをして車内を盛り上げた、アフガンの兵隊さんを軽くからかい、今だったら撃たれているだろう、現地のメロンを買ってアミダクジで取り分を決め、ロンドン帰りの長髪を短髪にされ、ちょうど半世紀前、今よりも平和であった中近東の旅は、いまでも鮮明に我々の記憶に残っている楽しい旅であった。

旅から帰って羽田に着いたUの持ち金は迎えに来てもらうための電話代10円玉一つだった。そして彼よりも半月ほど遅れて帰った私もまた、高円寺まで帰る現金120円で羽田に帰国したのであった。旅から帰って彼はちゃんとした会社に就職したが、私はまた、その後42年間のアメリカ移住へと続くことになる旅にでた。彼とは私が帰国すると、何度か会っていた。

 

今回、駅での別れ際、「お互い、まだまだ、死ぬなよ。また会おうぜ」と心友に無言のエールをおくる。

 

『旅人、ユーラシアを往く』 (skizanmai.com)

で、その時の旅の全貌が読めます。

 

梅谷と私

イスタンブールにて

エピソード 35 肩の手術

 

約4か月前、私は新調した20インチのミニベロ自転車の初乗りで転倒して、右肩を打撲した。その時は痛くてしばらく動けなかったが、5分ほどで自転車で帰宅出来るくらいになり帰宅した。その後、肩はそこそこ動き、日常生活に大きな支障はなく過ごせていた。しかし明け方の疼きが安眠を妨げる。一定の方向へ無理に動かすと痛さを感じる。その状態が2週間経っても変わらないので、一応、整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらうと、「軽症です。時間はかかりますが、治るでしょう」と言われた。その際にも、MRIのある病院への紹介状を求めたが、先生は「この程度で病院へ紹介したら、笑われますから」、とまで言うので、そのまま何もせず様子を見ることに。

 

それから、さらに2か月がたち、朝方の痛みは取れない。3度目の診察でヤブ医者先生に強くお願いして、新潟県内では大学病院より肩の手術では実績が良い済生会病院の副院長でもある塩崎先生宛に紹介状を書いてもらった。数日後、塩崎先生の診察を受けたら、私の腕の動きを見て、まず言われたのが「軽症ではありません、年齢、行動歴を考えると、今のうちに手術をした方がいいでしょう」とのこと。そのあとのMRIの検査の結果は、やはり肩の腱板断裂で三本のうちの一本が切れているということだった。この塩崎先生、私がもともと高田の出身だと言ったら、「どちらの高校ですか?」と聞いてきて、話したら高高の後輩だそうで、心強い思いである。

 

早速、親しい仲間に、「塩崎先生の手術を受けることになりました。高高の同窓生だそうです」と、お知らせをしたら、アメリカLAのCちゃんから、「その先生、私の弟と仲のいいお友達かも、母に聞いてみるね」彼女は私の高校での友達K君の従妹であり、LAでの親しい友人で、彼女の弟は今はシンガポールに駐在している。「やっりぱそうだって、去年弟は帰国の折、新潟に行って一緒に温泉に行ってるって」世界は狭い、世間は狭い、新潟はもっと狭く、今新潟で一番身近にいるO君をはじめ、ここのコラムに登場する人物は皆、高高つながりなのである。

 

9月29日に手術を受けることになり、施術後筋が付くまで絶対安静で2週間の入院になるという。手術から1か月半は、装具(ギブスのような固定装具)を着けての生活になる。11月11日に装具を外してからは次第に運転など普通の生活が出来るようになるそうが、「完全復帰までは半年かかると思ってください」ということで、「スキーも春まで控えてください」と言われたが、来年の春は早く来そうな気配である。

 

今週のミーちゃん

暑い夏もファーコートを着て、暑そうですが、元気いっぱいです