関西の旅・後半

 神戸新幹線駅のすぐ隣のANAクラウンプラザホテルの部屋からは異人街方面と六甲山の端がみえる。

翌日はウオーターフロントを散策するが、山陽新幹線の新神戸駅と、JR山陽線の神戸駅はけっこう離れていて、新神戸である山の手の駅は新幹線なのにかなりの田舎であった。こちらに戻らず山陽線駅から姫路に向かう方が無駄がないが、戻らないので荷物を持っての移動となる。私の荷物はリュック一つとショルダーバッグと傘。Sさんはさらに小さなリュックだけと身軽である。私のリュックは同じ大きさのローラーのついたキャリーケースより遥かにたくさん入る。ぎゅうぎゅうに詰め込んだリュックの重さは10kg近くあり、だんだんとリュックの重さが肩に食い込む。Sさんにお土産分の荷物を少し持ってもらう。

 

地下鉄で三宮に行き、歩いて神戸の中心街を散策。旧居住地の洋風建築など、異国情緒あふれる神戸はさすが聞いたと通りのおしゃれな街並み。もう1995年の阪神・淡路大震災の跡もなく、きれいになってちょっとカナダのバンクーバーの街並みを思わせる。今日は晴れていて歩いていても熱い。私は忘れないよう雨傘を持って歩き、Sさんはサングラス。カリフォルニアでは必要不可欠のサングラスも日本では夏でもほとんどサングラスをかけた人を見ない。ここ神戸の街はかっては山口組の本拠地として多くのサングラスをかけたヤーさんが行き来していたと思われるが、怖いもの知らずのSさんはサングラス姿で闊歩する。いちゃもんつけらたら重い荷物を捨てて逃げようね。

長くアメリカで暮らした我々はホテルなどのエレベーターでもレディーファーストの気持ちはあるのだが、日本に帰って狭いエレベーターの出入り口に立ちふさがってのレディーファーストは、迷惑なお年寄りに過ぎないことに気づき、最近は状況を読んでケースバイケースにしている。

 

ウオーターフロントを歩き、前日ハーブ園から見ても見つなけられなかった神戸ポートタワーを探すが目立つ建築物のはずなのに見あたらない。公園で掃除をしていた人に聞いたら「今ちょうど改修中で解体再建工事をしていまして、あそこに見える塔がそうです。」と言われ、みれば本来の半分くらいの高さのカバーをかけられた工事中の塔が有る。これではどこから見てもわからなかったはずと納得。

左が改修中のポートタワー

メリケンパークを歩き、オークラホテルのロビーで一休み、客のような顔をしてウエルカムドリンクを探したが、なかった。ハハハ。

南京街でビールと昼食。中華街のラーメンは400円と安い。しかし、頼んだ担々麺セットは上げ底ならぬ浅い平底の器で、見た目ほど量は入っていなかった。

南京街のメニュー

歩いて元町の駅に行き山陽本線の在来線で姫路に向かう。

姫路の駅から北へ700mくらいの正面に姫路城がみえる。

駅でSヤンと会い、駅とお城の中間くらいの絶好地にある彼のマンションへ。少し休んでお城へ観光にいく。

ここは国宝であり、奈良の法隆寺とともに日本最初の世界文化遺産になった建物で、大天守閣を中心にほぼオリジナルの3つの小天守、櫓、塀、石垣、堀、門など古い建築物が数多く残っている。6階の大天守閣まで登り、城下町を見下ろしお殿様気分を味わう。しかし、天守閣は最後の砦、普段は3の丸に暮らすお殿様がここまで追い詰められた時は、絶体絶命の不利な戦況の時でそう住み心地のいい場所ではない。


姫路の城下町は戦災に会って焼けた後、再興され道路は広くて美しい街並みになったが、お城は焼夷弾が落ちたのに不発で焼けずに残り、奇跡のお城と呼ばれたそうだ。それでもこの立派なお城を整備して後世に残すために大変な努力があったはず。姫路城は今まで見たお城の中でその規模とオリジナルの重厚な存在感は圧倒的であった。

お城の隣にある日本庭園・好古園は迷路のような庭園が続く。

その日はSやんのパートナーを交え、Sやんに夕食をごちそうになり彼のマンションに泊まる。姫路での費用は全部アップル株で財を成した彼が出してくれた。Sやんとの出会いはともに20代にLAのリトル東京であった。そして一緒に2か月間中米を旅し、ハリウッドのアパートでルームシェアをして、学校に通いながらベバリーヒルの近くの、センチョリー・プラザホテルの中にあった高級日本レストラン大和で働いた。その大和でSさんとも出会ったのであった。

 

Sやんのマンションは駅とお城のちょうど中間くらいの立地条件のいい場所で、生活圏は歩いてどこでも行ける。20年前から持つアップル株の高騰で働かずに裕福に暮らしている。部屋の中には観賞用植物、部屋を取り巻く水槽、トレーニング設備が所狭しと置いてあり、健康志向で食べ物と運動には彼なりのこだわりがある。しかし、道ばたに生えて居たら気づかないようなプラントが一鉢何十万もしたり、ベットのような大きさのルームランナーやジムなみのウエート設備など驚く物ばかり。

 

翌日は姫路市の裏山の上にある書写山に行く。ケーブルカーで上ると西の比叡山と称される円教寺を中心にした大規模な寺院群がある。昔、武蔵坊弁慶が修行をした寺だと言われていてべ弁慶が使ったという学問所や食堂、机が残されている。またその一角の山寺はトム・クルーズの「ラストサムライ」のロケ地として使われ、確かに映画の中で観た覚えのある建物がある。売店の店員さんによるとトム・クルーズは撮影の間、我々のようなケーブルカーでなくヘリコプターで山頂へ通っていたそうだ。

ラストサムライのロケに使われた建物

帰ってから、歴史好きの弟に電話すると、姫路城と故郷の高田城の関係を教えてくれた。江戸中期から最後まで高田藩を治めた高田城主榊原家はもともと姫路城の譜代大名であったが、将軍徳川吉宗の倹約令に従わず贅沢を尽くしたことで怒りを買い、姫路藩から越後高田に国替えとなった。立派な天守閣のある姫路城から、もともと石垣もなく、天守閣を作ることもなかった高田城への転封はさぞかし、都落ちの感があったことだろう。 

しかし、故郷のために言っておけば高田城に天守閣がないのは、そもそも天守閣の役割は、最後の防御施設としての武器庫、食料庫であり、高田城はもともと格式の高い徳川家康の六男忠輝の居城でありそのころはすでに天下泰平で天守閣の必要な乱世ではなかったからである。

数年後、中国の習近平は自分の時代に台湾でロシアと同じことをしようとしている事を我々は忘れてはならない。ウクライナ、コロナ、物価上昇と今こそ乱世の世の中である。

 

旅から帰って12日にコロナワクチンの6回目の接種を受けた。日本各地には外国からの観光客が大勢何の制限もなく入りつつある。中国ではすでに第9波が広がり、今月中に6500万人が感染すると予測されている。日本でも当然感染が広がってくる。今のとこ日本の重症者、死亡者が他国より少ないのはワクチンの効果であるという。しかし感染者の総数が増えれば、日本は超高齢社会で感染者数に比例してが死亡者も増えてくる。その犠牲者はほとんどが高齢者で、高齢者や基礎疾患のある人は新型コロナワクチンの接種をというのが厚生省、尾身元会長、専門の医師たちの意見である。これもまた自分を守るための危機管理だと思う。

 

今回台風に対する危機管理をしながらの旅は、前半は緊張感のある旅であった。初めて訪れる土地がほとんどであったが、様々な人に助けられ、無事に楽しい時間を過ごして帰ることが出来た。

お世話になった皆様、ありがとうございました。