人生の応援歌

新潟市から車で4時間ほど離れた地方都市に旧友を訪ねて行ってきた。
関西風にKやんと呼んでいた彼は40年ほど前、青春、真っただ中の頃、ロサンゼルスで一時は私とルームメートでも有った。我々の仲間の中では早い時期に帰国して、婿養子として結婚して、今はS氏と名前が変わっている。彼が帰国してからも4回ほど会っているが、私が帰国後、落ち着いて時間も取れるようになったので、懐かしい友人を1泊で訪ねていった。

地方都市の外れに住み、幼稚園を経営している事は知っていたが、実際に生活の場を見せてもらうのは初めてである。我々の間では話を面白くするために、「Kやんは養子に入って玉の輿にのり、幼稚園の園長になった」という事になっていた。その実、彼は北関東の某地方都市の周辺に幼稚園、保育園を11か所も持ち、職員数2百数十人、園児千数百人の法人を経営する創業者でありトップの理事長である。

地元では何処に行っても、挨拶を受けるS氏、「Kやん、上手く過去を隠し、S氏として名前まで変えて地方の名士になり済ますとはね〜」「いゃ〜、それが一番たいへんでね〜」と,冗談を言い合える仲である。優しい男で、人間は基本、歳をとっても、偉くなっても、本質は変わっていない。

我々の年齢になると、まだ働いている人と、退職した人がいるが、いずれにせよ、もうすごろくで言えばアガリか、アガリが見える位置にいることになる。彼が今日まで大変な努力をして、運にも恵まれて来た事は想像できる。「もう少し頑張って、地盤を固くして次の世代に譲りたい」という。次の世代を育てる事も退職前の大切な使命である。

今回はなるべくお世話にならないつもりで行ったのに、何から何まですっかりお世話になって、お土産まで頂いて帰ってきた。我々はどんな仕事をしていても、頑張ってきた世代である。私も、『自分が動かなければ、周りの風景も、自分の人生も変わらない』、という人生観を持って過ごしてきた。

まだ働いている友人たちにもう一度、人生の応援歌を送りたい。そしてやがて、皆、肩書も外れ、ただのおじいちゃんとして健康に、残りの人生を楽しめたらと思う。