極安ツアー + エピソード 19

幾分コロナの落ち着いてきた6月半ば、いつもの3人組で大湯温泉湯元ホテルに一泊旅行。まずは長岡の越後丘陵公園でこれが3度目となるパークゴルフ。写真では一見普通のゴルフのドライバーの様に見えるこのクラブ、実はパークゴルフはこの一本だけを使ってする高齢者用のミニゴルフと思っていただけばいい。コースは9ホールが4コースあり、それぞれのホールは最長でも96m、ほとんどが50m前後で、ボールも大きいが、ホールカップの直径も20cm以上と大きい。

この長岡市にある広い施設はパークゴルフ以外にもいろいろあり、市民の憩いの場となっているが、実はここは国営であり、入園料が一人210円(シニア)、他に駐車料金がかかるがFさんが年間パスポートを持っているので、今回はかからない。しかも、この210円はパークゴルフの代金も、クラブ、ボールの使用料も含まれていて一日中プレーしていても良いという驚きの値段。

結局2時間少し昼食を挟んで9ホールⅹ5コースを廻って、コンビニで買って来たお弁当をコ-ス横で食べる。お酒を飲まないFさんに申し訳ないが我々の昼食はビールとワイン付き。

 

大湯温泉湯元ホテルは伊藤園グループに属し、我々はこれが3度目。今回も格安のプランで、県民割引で5000円引きになり、更に私以外の二人が6月の生まれなので、2500円の誕生日割り引き、私はライン登録で1500円引き。更にいろんな場所で現金として使えるお土産クーポンが一人2000円貰える。よって、一泊、2食付き、食べ放題のビュッフェと夕飯の飲み放題が付いて、実質私は2000円、他の二人は1000円という申し訳ない程の破格の値段での温泉一泊旅行である。

 

客はほとんどが県内からの高齢者。温泉内で去年同じ場所で出会った地元から近い小千谷市からの二人組と再会。やはり彼らも6月生まれで、同じ割引を目当てに来ているのだが、温泉場でのまたの出会いは珍しい。夕飯はビュッフェスタイルで今回は『マグロ-かじきフェア』でマグロのお刺身など品ぞろいは豊富。ビール、地酒、焼酎も飲み放題。なにせ生ビールを2杯飲んだら、元が取れるという格安ツアー。

飲み放題と言っても、最近は飲む量は減った。それは年齢と共に当然だが、「お酒がまずくなったら、何処かに問題があるから医者に行った方が良い」そうである。O君は何人かお酒がまずくなったと言って重篤な病気が発見さえた人を知っているという。お酒が飲めなく成ったら楽しみが減るね。無理なく美味しいお酒を飲み続けたいものである。

 

翌朝、ビュッフェスタイルの朝食。O君はペットボトルに入った日本酒を持参。

宿を出て駐車場から出ようとしていると、ちょうど参議院議員の森ゆうこさんの広報車が通りかかり、「どうせ本人でないだろう」と言ってたら、拡声器で「本人でございます」と言うので車を停めて会いに行く。実はO君 Fさんの属する政治結社は森さんを押していて、Fさんはここに来る前日、250枚のチラシを配り、明日も駆り出されて応援に行く予定がある。森さんに労いの言葉を頂き、一緒に写真を撮ってもらいご満悦の二人。

まずは270年前江戸時代後期に建てられた大庄屋目黒邸へ。先に同じ敷地にある民族博物館を見学。昔の農工具、雪国の生活用品などは我々の世代がかろうじて実際に観た覚えのある展示物の数々であり、我々より下の世代にとってはすでにお伽話の世界になるのかもしれない。茅葺の母屋は今でも毎日囲炉裏で薪を燃やし、その煙で屋根を燻蒸して保存している。

日本のミケランジェロと言われた幕末の名匠石川雲蝶の作品のある西福寺開山堂を見学に行く。朝から今日はいっぱい飲んでいるのに、山門前の看板の告知には「山門を入るものは飲酒をするべからず、云々」と書かれている。あっ、O君は既に堂々と山門から入ってしまってますけど。品行方正な私は山門を避けて門の横から境内にはいる。

雲蝶が5年数か月で彫りあげたと言うお寺の彫刻絵画の装飾の数々は迫力満点で圧倒される。作品は撮影不可なので、ネットのサイトから取った写真をご覧あれ。

仏殿には礼拝の作法がかかれていたが、私の前にお参りをしたO君はどうやら車に財布を忘れてきたよう。それでもお賽銭を上げずに開山堂の見学の前後に2度もお参り(お願い?)をしていた。O君、私でも気づくのだから仏様はお見通しですぞ。品行方正な私はO君の分もと、100円のお賽銭を入れてお参り。

お酒が美味いうちは人生を楽しんで良いのかと思うが、世界には不自由な生活を余儀なくされている人も多い。私は基本はアメリカの年金で生活しており、円安により日米のいいとこ取りの生活で申し訳ない想いであり、寄付などしているが個人の力では大したことは出来ない。

年金生活者の多い日本も年々老人が暮らしにくくなっているように感じる。今までが良過ぎたのだろうが、税収が減ってるのに、コロナ、社会福祉、医療制度、海外援助と、こんなにもいろんな所での国の救済・援助を赤字国債で賄う状態が何時までも続くはずが無いのである。

早くウクライナにも平和が訪れる事を願う。

 

エピソード 19

以下は先日高校の同級生Kくんより彼が知る沖縄の「平良修牧師」の半生を描いた番組がNHKで放送(10年ほど前の再放送)されるので見て欲しいと薦められて観たテレビ番組の感想を彼に書いたものです。

 

感想:

私は宗教的な事より、一人の人間の生き方と思いながら観ていました。アメリカの黒人問題など、私の知る現実の画面もありました。世界には様々な人たちが様々な思いをもって暮らしています。

全ての人たちが幸福に暮らせることを願っていますが、今の世界にはウクライナの様に自分の意に沿わない暮らしを強いられている人は大勢います。私は宗教的や政治的な運動より、自分に出来る目の前の人に手を貸すなど「一日一善」を実践しています。それは今年100歳になった母の教えでもあります。

 

周りに困っている人が居れば素通りをせず、必ず声をかけます。手を貸してあげ、必要なら助けてあげます。脳溢血で半身不随で声が出なくなった従弟の成年後見人をしていますが、一人の人を助けるのに役所などに何十回も足を運び、手間のかかる仕事です。またある時は、スーパーでレジに並んだ前のおばあちゃんが「財布が無い」と、困っていましたので、その時の買い物を全額支払ってあげました。

 

ひょっとして、単に家から財布を忘れただけかもしれませんが、お礼を言ってくれましたから私はそれ以上は何も望みません。おそらくは一人暮らしだろうおばあさんが、欲しかったものを無事に買えただけでいいのです。お店のレジのひとが「お知合いですか?」と、驚いていましたが、そんな人が居てもいいじゃないですか。

 

同じ様な状況があれば、またためらわず同じことをするでしょう。今までの人生で私がお世話になった人達に十分なお礼が出来ていませんので、昔受けた恩を、他の人に返しているつもりです。意見の違う人との衝突の行動には必ずしもいい結果が伴いません。敵対行動には敵対行動しか返ってきません。もっと平和的にお互いを思いやる心に満ちた社会であって欲しい。それがわたしの願いであり生き方です。

 

日本では自分の善行は言わないのが美徳とされていますが、それではニュースで見る今の世は悪人ばかりと感じてしまいます。善意の行為は世間に広がる機会が有るべきです。こんな暗い時期であるからこそ、機会があれば私の様に思いを拡散したほうが救われると考える人も多いと思い書きました。そして善意の行為が広がる事を願います。

 

 未だ沖縄は行く機会がありません。

 

今週のミーちゃん

笹団子の笹を食べようとします

やっぱり高いとこが好き

リラックスしてます