スキーシーズン到来 + エピソード14

新年明けましておめでとうございます。やっとスキーシーズンが始まります。

 

今季の雪は変わりやすい天候で薄っすらと積もってはすぐに消える。雪が積もらず新潟下越地方ではスキー場がなかなかオープンしなかった。1月2日にやっと胎内スキー場がオープンしたと聞き、急遽3日に初滑りに行く。それにしても新潟市の天候はうんざりするほど曇りの日が多く、とりわけ冬季はカリフォルニアの青空が懐かしい。

我が家から1時間15分ほどで胎内スキー場の雪山に着く。

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今年の一月はコロナ禍ながら、スキーでは忙しい予定を立てている。コロナが極端に広がらなければ1月は15日から湯沢、赤倉と梯子スキーで旧友と6泊の予定があり、今回はその為のスキー用の身体の慣らし運転でもある。2日の胎内まだ全面オープンでなかったので、シニアは4時間券でなんと1500円であった。4時間はシーズン初めには充分な時間である。

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今日の雪はまあ~まあ~のコンデション。去年の滑りを思い出しながらの、筋トレ的なスキーになる。小雪が舞い始める。

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帰りに駐車場を出てすぐ、道路を横切る二匹の猿を見た。奥胎内では何度か見たことがあるが、私の故郷上越では、昔は居たそうだが私は見たことはなかった。そういえば昔、高田公園の中に動物が飼育されていて、日本猿や、今年の干支であるトラのつがいも居た。

 

10分の寄り道で、温泉、『塩の湯』で温まって帰る。我が家のお風呂は年末に栓が壊れてお湯を溜めれなくなり、27日に業者に連絡したら部品が入らず、修理は年が明けてからの6日と言われた。その為、年末年始はお湯につかれずシャワーだけ。寒い日はやはりお風呂が良い。久しぶりの温泉に浸かる。塩の湯は熱い温泉として有名で、42度くらいあり、入る時はかなり熱いが、入ってしまうと気持ちがいい。実はこの温泉、奥の方にさらにマニア向けの45度くらいの極熱温泉がある。前回トライしたが諦めた。今回はトライもしていない。

 

2日間空けて5日にまた胎内にいく。朝から雪が降っていて、スキー場に近づくに連れ、先日とは違った本格的な冬の風景になる。昨夜20cmほど積もったようで、降りたての雪質はかなり良い。そして、昨日まで筋肉痛で歩く事もままならぬ状態だったのに雪が良いと頑張って筋肉痛を忘れて気持ち良く滑れた。遠征前の、来週もう一度滑っておきたい。

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今やマスクはマスト

2月もスキーのお誘いが入ってきているが、新潟にもオミクロンが入り始めておるので、寸前まで様子見をしながら最終的に決めて行こうと思っている。

 

1月10日、3回目の胎内へ。15日から湯沢、赤倉への遠征計画があるので、身体を慣らしておきたい。パッとしない天候が続く日々の合間の晴天の一日。今日は成人の日の連休の最終日。チケット売り場に着くと、物凄く長い列。チケットを買うのに1時間くらいかかりそうで、係員に教えてもらい、穴場であるもう一つのチケット売り場のある鹿ノ俣ロッジに廻ってみたらすぐに購入できた。

天候はいいが、昨日の暖かさで溶けた雪が夜の間に凍結して、朝のうちは何処もがりがりのゲレンデ。それでも青空の元でのスキーは気分が良い。4時間滑って帰宅。

湯沢にいるSさんと電話で打ち合わせ。「湯沢周辺のスキー場ではどのように感染防止策をしてますか?」と聞いたら「リフトに乗る前に一回ごとにPCR検査をしております」と突っ込みどころ満載。相変わらずのダジャレ、冗談好きなSさん、再会が楽しみ。15日からは騙されませんぞ。

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メインロッジのチケット売り場は長蛇の列

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一番奥の風倉高原第一リフトもオープン

    今回も濃厚接触者はいない。15日からの遠征では、宿泊、食事、リフトと密になる場面も考えられる。マスク、消毒は勿論、出来るだけ密を避け、換気のいい状態で、注意深く楽しみたいと思う。                                                                                                                     

Episode 14

私の働いたアメリカの会社はコンテナで輸入するアメリカの大手小売店, ブランドメーカーの顧客を数多く持っ物流会社であり、ロサンジェルス・ロングビーチ港を合わせたアメリカ最大の港湾で20%以上のコンテナ輸送のシェアを持ち、数か所の物流倉庫と税関の検査場なども運営する会社であった。その中で私の一番の強みはアメリカのロジェステックに精通し、会社は他会社ではハンドルできないフラットラックなど特殊コンテナに載ったオーバーサイズの荷物のハンドルもでき、アメリカ西海岸のオフドックとしては最大の規模と設備を持つ会社で働いていた事であった。

 

会社の中でも私が居た施設は一番大きく、端から端まで1.5キロもあり、常に一日4000台くらいのコンテナやトラックの出入りがあった。

 

私のInternational Marketingの主な仕事は、プラント物のハンドリングであり、見積もりからコンテナの輸送、トラックへの詰め換え、全米への輸送迄、どんなカーゴでも一手に引き受けられ、アメリカサイドの輸送上の規則、コンテナへの固定作業などに精通し、日本系の商社、メーカー、ロジェステック会社の駐在員、現地社員に頼りにされ、様々なプロジェクトや特殊カーゴの動かしにかかわる事であった。

 

1980年代は輸入はパイプラインプロジェクトやアメリカ最初のCDの製造工場、半導体、家電メーカー、日系自動車工場、など様々な日系メーカがアメリカ国内や保税の効くメキシコ国境に工場を持つための生産ラインの設備を日本から送り込んで来た。その他、特殊なものではロス・オリンピックの公式CFSとして世界中からオリンピックに使う器具機材を受けた事、梱包を開けたら出てきた禁制の本物の2頭のトラのはく製、一大ブームとなった風力発電機、ロスアンジェルス交通局のメトロラインの車両の輸送、スペースシャトルの燃料タンク、など関わった思い出は多い。

 

輸出では東京ディズニーランド、大阪ユニバーサルスタジオ、日本、台湾への軍事車両、防衛設備、農産物、トヨタの博物館へ送る100台ものビンテージカー、予定通り届かないと紅白歌合戦がハイビジョン放送できなくなると言われた日本最初のハイビジョン中継車、などの多彩な荷物のアメリカサイドのロジスティックに関わった。毎日違う荷が動き、実物を見ずに書類上で動かす人の多い業界で、私の場合、営業から、輸送、トランスロードまで総括する立場であり、そのほとんどを事務所の外の作業現場のヤードに出れば実際にその荷物を見ることが出来たので面白い仕事であった。

 

90年代からは日系会社でもどんどん従業員の現地化が進み、西海岸に上がるカーゴの80%近くが日本絡みであったモノの流れはやがて韓国・台湾へ、そして2000年代には中国へと更に広く日本以外の他のアジアの諸国へと移っていき、雑貨類の輸入国では中国が圧倒的になっていった。しかし、私が退職する時まではまだ生産設備機械の性能は日本製がすぐれており、プラントプロジェクトは続いていており、アメリカでの韓国車も日本製の精密機械で製造されていたのである。

 

面白い時代に、面白いポジションで仕事が出来たのは恵まれた事であった。また、いい時代にいい場所で楽しい人生を過ごせたのは、それを許した両親と、周りの仕事仲間、縁あった友達・知人のおかげと感謝している。

 

今週のミーちゃん

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