ラスト ラン  in Mammoth!

4月初めの日本への永住帰国を前に、いよいよ40年通い続けてきたマンモスへ最後のスキー行きの時が来た。
前回のマンモス詣での後、2月に日本へマンションの仮契約に帰り、引っ越しの予定が立て込んできたが、もう一度佐野さんとマンモスに行くつもりでいた。佐野さんは3月の1,2週にテニスのトーナメントのチケットを買っていたそうで、その後、私はいくつかの送別会の予定が入っていて、スケジュールが調整できず、最後のマンモス行きは佐野さんと一緒に行けなくなった。

一緒に行ってくれる人を探していたら、羽鳥さんが3月1日からマンモスに行ってるので、私が飛行機で来れば、帰りは車で送りますよ、と言われ 便乗させてもらうことにした。

3月2日の木曜日、夕方の飛行機でマンモスへむかう。かって自家用飛行機でマンモスに招待された事はあったば、商用飛行機でのマンモス行きは初めて。スキー板はすでに引っ越し荷物として、先日出荷しているので、マンモスにある佐野さんにあげたスキー板を使うつもりである。スキー靴とスキーズボンを入れたトランクだけで搭乗する。驚いた事に週日なのに80人乗りの飛行機はほぼ満席。久しぶりのプロペラ機である。


約50分ほどの飛行で夕暮れの雪山を観ながらマンモス空港に着陸。ゲートを出るとすぐに羽鳥さんがテニス仲間のYさんと迎えに来てくれていた。マンモスの街中は道路に雪は無いが、記録破りの1月の積雪の後も降り続け、前回より大量な雪で街は埋め尽くされていた。

シャモニーに着くともう一人、火曜から滑りに来ていて明日帰ると言うケンさんの友人ディアナが泊まっていて、今夜は共同使用。もと中学の先生で早期退職していると言う彼と会ったのは初めて。羽鳥さんの作ったカレーで一緒に食事をして、ワインを2本空けて、明日に備えて寝る。

朝になっても雪に埋まった窓からは陽が射さない。
朝、サンディ・エゴに帰るディアナと別れて8時半前にゲレンデに向かう。

外は快晴。シャモニーの屋根ではまた雪下ろしをしている。
長年通い、滑り続けたマンモスのほぼすべての場所に思い出がある。今日は私の滑りたいコースに付きあってくださいと二人にはお願いしてあるので、まずは16番から足慣らしのローラーコーストへ。リフトから見える8番リフトの上のオフピスト斜面、そして16番リフトの左側の急斜面はこのところ滑っていないが、10年位前は何度か挑戦した斜面である。


ローラコーストのまだ幾分硬い斜面を滑り、途中で2年前に脚の手術をしている羽鳥さんを気遣い、停まって様子を見ようとすると、羽鳥さん元気に私を追い越しノンストップで下りていく。

羽鳥さんと16番リフトの降り口で

Yさんは日本ではかなり滑って居たらしく、カーブスキーの前の古いモデルのスキー板で飛ばしていく。ローラコーストを2本滑って、5番から裏側の25番へ、そしてマンモスで一番長いリフト9番へ。


9番リフトから

この斜面をトラバスして埋まる様な手つかずの新雪の中を滑った事があった。ポールを刺しても何処までもズブズブと埋まって届かない程の深い新雪は後にも先にもあの時が一番深い雪でのスキーだった。そこで転んだら水中の様に上下が分からなくなり、息すると粉雪が肺に吸い込まれ、溺れるとこだった。雪が軽かったのでスキーを外して段々と周りの雪を堅めて脱出した思い出のスポットが見える。

9番リフトからマンモス正面にでて、火山性の毒ガスの出る脇をとおり、5番リフト乗り場へ降り、何時も通るミル・カフェへの道。

ミルカフェで小休憩、Yさんと

そこから2番リフトでマンモスに来るたびランチの拠点となったマッコイ・ステーションの見える処からミルカフェまで何本かスタンピーとマンボを滑る。2番リフトのこの斜面はマンモスで一番人気の広くて滑り易い中級斜面で回数的には一番滑った斜面。

ミルカフェの前、2番リフトのライン

マッコイ・ステーションでランチの後、ゴンドラに乗って山頂へ。

マンモス山頂

山頂から裏側の13番リフト乗り場へ。ここの風景の綺麗な休憩所アウト・ポストも何度も利用し、ワインを持ち込んで宴会もした。そこからスタンピーに戻り、どんどんキャニオンロッジへと戻る。


リフトで同乗した北海道のニセコ大好きというスキーヤーのスキーに張られたステッカー

帰りは何時もなら瘤斜面のアクトを滑る。何度もモーグルに挑戦した斜面。今日はほとんど瘤なし。

キャニオン・ロッジにおりて、もう一回思い出深い8番リフトに付き合ってもらう。ここからの私の好きなレッドウイングへ。ここの小ぶり瘤を滑るのが好きだったが、ここも今日はほとんど瘤なし。
今日は私の好きなコースを選ばせてもらい、二人をガイドするように、マンモス全体をカバーして3時まで滑り続けた。「よく知ってますね」、と言われたが、隅々まで知り尽くしたマンモスのコース。後、残すは一日。

シャモニーに帰って、休んでからジャグジーへ。そして、夕食はマーケットへ行って買ってきたステーキ。

土曜日の朝8時半前にシャモニーをでてキャニオンロッジに向かう。今日が私のアメリカ滞在中の最後のマンモスでのスキーとなる。

キャニオンロッジの横を通ってゲレンデにでる坂。積もった雪で大きな登り坂になっている。

いつもの様に16番からローラーコーストへ出て足慣らし。

16番を降りて、ここからローラコーストへ滑り出す

今日も晴天だが、少し風が有る。グルームされたゲレンデは風で硬くなり幾分ガリガリの雪になっているが、幾分固めのヘッドのスキーはこの状態で結構雪に食い込んでくれる。2本目はローラーコーストのスノーボード・パークに入ってみる。一般的にはパークの方が良く雪の管理がなされているが、昨夜は雪を造っていなくて、やはり硬い雪質だった。

5番からウオールストリートを滑ってミル・カフェに降りて2番リフトでマンボと、スタンピーアレイの下の広い斜面を滑る。今日は土曜、2番リフトはかなりの長いラインが出来ている。

「コーニスを下りて谷を下りるオリンピックコースから14番リフトへ向います」コースを説明して23番でマンモス最後の山頂に上がる。

23番リフト

23番でマンモス最後の山頂へ。後方にゴンドラの山頂ステーションが見える

今日の山頂は風が強い。リフトを降りて風に抵抗しながらコニースへ向かうと、Yさんが中々来ない、ポールを落として、取りに行ってる様に見え、ポールを拾ったのでOkかと思い、羽鳥さんと先にコーニスを下りる。谷に入る手前でYさんを待つが、何時まで待っても降りてこない。小高い丘で観えない方から下りたのかと、先を行く事に。

ここの谷間はあまり風の影響がなく、素晴らしいコース。そこから12番にのって、一本滑った後、メインロッジに向かう。途中でYさんに電話をいれると、メインのゴンドラの長いラインに並んでいると言う。我々もメインロッジに下りたが、ゴンドララインは長く外まで伸びているのでリフトであがる。
マッコイステーションで休憩してYさんを待つがまだ来ない。ゲレンデに出て、フェースの裏を滑り、表のフェースを滑る。時間的にはもう引き上げなければならない。


フェースリフト裏斜面へ

もう一本フェースリフトで表斜面へ

フェースリフトの表は、ウエスト・ボールに入る。下方に雪に埋まったマッコイステーションが見える。ウエスト・ボールはマンモスで一番の瘤斜面で深いコブ斜面ができる。ここでモーグルを一番滑れたと感じたのはまだ体力のあった10年くらい前か?最後のランは瘤もなく優しかった。

そのままミルカフェに降りようとして、5番のリフトラインにやっとYさんを見つけて合流。
行方不明だったYさんによれば、山頂で写真を撮ろうとしたら、手袋の片方を風で飛ばされ、諦めてメインロッジまで行って手袋を買っていたのだそうだ。でも、最後に合流できて良かった。
キャニオンロッジへ向けて移動していく。下にキャニオンロッジが見えてくる。

いよいよラストラン。ショートターンでキャニオンロッジに向かい下りていく。いろんな思いがよぎる感慨無量の熱いラストラン。とうとう斜面の終点へ。スキーを脱いで改めてマンモスの山を振り返る。

シャモニーに戻って、掃除をして、何度もお世話になったシャモニーを出発する。街中で何時もの「ラーメン屋」に寄ってラーメンをたべると、タカ君がオンザハウスでシュウマイを出してくれた。

マンモスに通って40年近く。取り分け佐野さんがシャモニーの所有権を持ってからの20数年間は毎年何度も通ってスキーとアフター・スキーを楽しんだ。いよいよマンモスにさよならを言う時が来た。395号線のフリーウエィに入る手前で車を止めてもらう。
いっぱいの楽しい思い出、マンモス有難う。マンモスよ永遠に! 

マンモスにお別れ。
Good Bye Mammoth!

車の窓からマンモスが消えて行く。
So Long Mammoth!


『スキー三昧INカリフォルニア』は、これにて最終回となります。
長い間、私のエッセイにお付き合いいただき有難うございました。42年のアメリカ生活の後、退職を機会に、4月の初めに日本に永住帰国いたします。住居はすでに新潟市内に決まっております。

一番のスキー友達、佐野さん有難とう。最後に一緒に滑れなかったね。今度は日本で一緒に滑りましょう。そして、たくさんの一緒にスキーをしてくれた仲間達、有難う。このエッセイを読んでくださった皆さん、有難う。

日本に帰ったら、また違う形で近況を発信していきたいと思います。
日本に帰ってもスキーは続けます。
それでは皆さん、お元気で!

小堺 高志  2017年3月8日

http://www.skizanmai.com/