暖冬

マンモスでの今季、初滑りです。サンクスギビングの4連休を過ごすためマンモスに来ている。

今シーズンの始まりは暖かくて雪が少ない。2週間くらい前に30cm位の雪が降ったが、その後はほとんど降っていない。11月中、ずっと温かかったので人工雪を夜間に作っても昼間には溶ける。この悪条件でどこまで頑張って雪を作ってくれたのか?

滑りは27日の9時半から。一部のコースしか開いていないので、とりあえずメインロッジへ向かうと、なんと手前のスタンピーアレーが開いている。予定外であるが、ここが開いているといないでは大違い。

パチワークのような人工雪だが、さっそく車を停めて用意をすると、隣の車から降りた赤ちゃんを抱いた男が、日本語で「おはようございます」と話しかけてきた。準備をしながら話すと名前をミッチーといい、北海道のニセコスキー場に1990年代の初めに5年間いたという。今はオーストラリヤ人が大勢住んでいるニセコであるが、そのころニセコに住んでいた外人は彼を含めて5人しかいなかったという。今日は6か月くらいの赤ちゃんを胸の袋に入れて滑るそうで、奥さんと3歳の息子はもうゲレンデにでているという。

「また、後で会いましょう」といって別れて、ゲレンデに出ると佐野さんが手袋がないという。間違いなく持ってきたというが、シーズン初日から忘れ物?と責めたてる。偶然佐野さんのリュックの中に山歩きに使う手袋が入っていたのでそれで滑り出した。

リフトから全体を見てみる。ブロ−ドウエーとフェースの裏が開いているのは知っていたが、スタンピーの他、マンボ、レースコース、とメインロッジ周辺はほとんど開いている。フェースの裏に行くとまだ雪は堅いが十分カバーされている。

2番リフトを降り、まだ滑り出す前に足を取られてこけてしまった。おい、おい、先が思いやられる。シーズン初めは足枷をしたように 足は重く、すぐに足に来る。5本滑って休みに入ると、佐野さんはマッコイに入る入口のドアが年々重くされているとのたまう。さらに最近案内版の文字も抜けているという。それは歳とともに衰える体力と、白内障のせいだが、認めたくない事実。佐野さんは、12月の半ばに白内障の手術が決まっている。

休憩の後ゲレンデに出ようとすると私のボケットからもう一組の手袋がでてきた。どうやら、私が佐野さんの手袋を自分のものと思って、持ってきたようで、これは佐野さんが初日から忘れ物をしたと決めつけた私が悪い。すみませんでした。

限られたコースなので、その後も2回ほどミッチーと会う。3度目には3歳になる子供を連れて滑っていた。3歳といい、もうすでに3シーズンくらい滑ったような立派な滑りをしているし、フェースの上までリフトで上がってくる。

フェースリフトで隣に座ったおじいさん、ストックリーの板を履いていたので、「全員、ストックリーだね」と話しかけると、「ユキを知ってるか?」と聞いてくる。嘉藤さんのことである。「もちろん。ユキは、今スイスにスキーに行ってるよ」ポールというその人は「俺はユキがストックリーを履くずいぶん前からこれを履いていた」という。嘉藤さんは昔マンモスでインストラクターもしていたし、マンモスで一番有名な日本人である。

昼からだいぶ滑りやすくなってきたが、初日は早々にあがり、買い物をして帰る。今日はサンクスギビングなので、ターキーはないが、鶏肉の鍋物である。そしてサーモンスキンのサラダ。オランダ製の少し高級なチーズが旨かった。