9月のよもや話

2022年の熱い夏が終わり、9月10日は中秋の名月。そして新潟市でも16日から18日に3年ぶりの【新潟総おどり】が開催された。札幌のそうらんぶし、徳島の阿波踊りは有名で規模も遥かに大きい。だがこの新潟の「総おどり」はジャンルを問わないダンスフェスティバルとしては全国一の催しなのだそうである。こういうお祭りは気分を高揚させ、人々を幸せな気分にさせてくれる。冬に来ると言われているコロナの第8波が心配で、いまだに緊張感はあるが、世界的にはだんだんと日常の生活が戻っている。コロナの終焉も近いのであろうか?

そして、21,22日はO君 Fさんと何時もの寺泊のカニの宿金八へ一泊旅行。行きと帰りに長岡の国営越後丘陵公園によって3時間くらいパークゴルフをする。今では我々の親の世代が夢中になったゲートボールが廃れ、パークゴルフがいま高齢者のレジャースポーツとしてブームになりつつあるという。ゴルフより簡単に参加でき、確かに面白い。近くに施設があればもっと来たいと思わせるスポーツである。ここは特に国営なので210円で道具を借りて一日中プレーできるのであるから驚きの安さである。

25日に自転車で海岸近くの道路を走っていたら,関屋浜の駐車場から飛び出てきた柴犬の子犬がパニックのように道路を力走して飼い主の追っかけを振り切って逃げていく。結構交通量のある道路の両車線の車が停まってくれて、飼い主が子犬を捕まえる応援をするが、飼い主は追い付けず、どんどん距離が離されていく。ここは自転車に乗った私の出番と犬を追う。100mくらい追って子犬の先に回り込み、車道に出て道を塞いで追い立てると、犬は方向転換して飼い主の方に走りだし、追い付いた飼い主が飛びつくように確保して無事に捕獲。こういう状態で行方不明になってしまう犬は多い。

 

飼い主の男性が何度も私に頭を下げて感謝し、停まってくれていた車からも私に親指を立てたThumbs upのサインで何か言ってくれる。何を言ってるか聞き取れなかったが、Thumbs upされたら気のせいかGood Job!と聞こえた。一日一善、一日一犬で、一犬落着でした。

 

27日は高田の実家に日帰りの帰郷。本籍を新潟市へ移すための書類を市役所で受け取り、100歳の母とお寿司の昼ご飯を一緒する。だいぶ歩くのが不自由になっており心配であるが兄夫婦の介護で幸せに暮らし、ぼけずに普通の会話が出来ている。兄弟の中で一番心配をかけてきた私、日本に帰国して以降、毎年頻繁に顔を見せに行けるのはせめての親孝行かと思っている。

 

今年は台風が多く、9月には次々と台風が発生して日本を襲うが、私の住む地方は台風の影響も少なかった。多雨風とともに秋の気配が始まる。信濃川沿いをサイクリングしていたら、土手の桜の枝が一部紅葉が始まっている、小さな秋を見つけた。

 

27日に安倍元首相の国葬が開かれ賛否両論で国を挙げての大騒動になった。これまでも岸田首相の判断は軽率で、後で世論に押されて慌てふためくケースが多い。

しかし当日まで反対運動が続くのは違うのではないかと思う。外国に招待状迄出して中止はできない。死者を尊ぶのが日本人の心。どうせ翌日からは嘘のように反対運動は収まるのであるから、反対デモは前日までにして、当日は静かに送るべきだったと思う。

国葬反対の運動よりも国葬の基準がないために起こった今回の騒動は、与党野党ともに早急に国葬の基準造りをすることが政治家のすべきことだと思う。何事にも次の選挙のために目立っておこうというスタンドプレーの好きな政治家が多すぎると思うのです。

 

9月の最終日にアメリカのダウ株価は500ドルも下落し、2万9000ドルを割った。当然日本の株価も追従することになる。昨日アメリカの友人から、ついにカリフォルニアでのガソリン代がガロン7ドルになったと聞いた。リットル、円に換算するとレギュラーが253円、ハイオクが265円になる。私がいたときにはまだ3ドル前後であったからすごい値上がりである。

日本は年内は政府が石油元売り会社に補助金を出していて、高騰を防いでいるが、いつまでも続けられる政策ではなく、ウクライナ戦争が続けば来年はアメリカのような価格になると思っていなければならない。今のアメリカのガソリン価格は大体日本の1.5倍である。

アメリカで一年の半分は離週ごとにマンモスにスキーに通っていた私は、往復で約40ガロンのハイオクを使っていたので、今計算してみたら一回マンモスに行くたびに4万円近くのガス代がかかることになる、大体が一般の人でもアメリカでは走行距離は日本の数倍はあり、このガソリンの値上がりは、ひぇ~~である。

コロナ禍と、ロシアの所為で世界は今、物価上昇と、収入はそれほど増えず、貧富の差が広がり、治安が悪化し、部品が作れないための物不足で、このままウクライナでの戦争が続き、中国依存の体質が続けばますます経済は悪化し、後進国から飢餓が蔓延し、失業者が増え、世界恐慌に進みそうである。この危機に世界には独裁者はいても、有能な指導者はいない。

エピソード23

GメンとはGovernment man・あるいはGovernment officialというと政府関係者、公務員を示す俗称の呼び方であるが渡米直後、リトルとーきょうに暮らしていたとき、日系3世の学生と知り合った。その彼は大学卒業前の就職活動をしており、彼の希望は「駐日アメリカ大使館」」であった。最終面接まで進んだ彼にCIAからコンタクトがあり日本のアメリカ大使館に送るからCIAの職員にならないかと打診されたそうだ。結局彼は最終面接で落ちたが、私にそんな秘密を話す口の軽さが災いして落ちたのかと思った。しかし、友好国日本へ送られる外交官にもCIAの職員が混ざっているのだから、敵対する国なら外交官のほとんどはスパイ的な活動をしていると思って間違いないだろう。

 

その後 就職をして、ある日FBIのバッジを見せてGメンが私のオフィスに訪ねてきた。その数日前に私の施設から荷物を乗せて東部に向かったドライバーが荷物と共に行方不明になっていて、その後テキサスで射殺死体になって見つかったと聞いていた。そのドライバーが最後に寄ったのが私のところで、実際に私は其のドライバーと会って、弊社の作業現場に行って荷物を受け取るようにと指示していた。FBIの人は「その際に他の同乗者は居なかったか?おかしな様子はなかったか?」などと事情聴収して帰って行った。殺人事件にクロスインカウンターした瞬間だった。

 

私が仕事上頻繁に接触のあった税関員達もGメンであった。アメリカの役人は一人一人がかなりの決議権を持っていて、上に相談なしで決定できる裁量が大きい。よっておなじ様な件でも、あるオフィサーはOKだったのに、同じようなケースなのに他のオフィサーに当たるとNoという場面も何度か経験した。アメリカの役人はそういう意味で融通を効かせてくれることもあり、日本の役人のお堅いイメージとは違う。しかし汚職を防ぐため2年くらいで担当部署が変わって行く。

 

役人に限らずアメリカの会社組織は日本と違って何でもかんでも上司の了解を取らなければならないと言う組織ではない。日本のように上司に伺いを立てないと決まらない社会では決定が遅れ先へ進まない。アメリカでは社内でもここまでは貴方に決定権があると言う職種職権分けが自然に出来ていて、一人一人に職務内での決定権が与えられていた。

アメリカで警官に交通違反で停められて、現場で決定権のある警官の判断で、時には融通を効かせてもらい、そのまま許してもらったことも長いアメリカ生活では1度2度ではない、、、。3度あった。

 

今週のミーちゃん

かわいいが、最近反抗期。時には偉そうに我を通そうとする。抱っこしようとすると猛烈に反抗して両手をつっぱねる。お仕置に餌を減らそうかと思うと、ある時は自分から私のおなかの上に載ってきて愛想を振りまくのである。猫心と秋の空に翻弄されるこの頃である。


 

 

 

帰国して5年・後半 

帰国して5年のパート2です。あくまで私の場合で主にアメリカに暮らす友人に向けた私見レポートなので参考までに。

 

アメリカの方が一部の商品を除き物価は高い。日本の方がお金をかけないで生活をしようと思えば可能かと思う。都会部なら外国人が驚くほど時刻表通りに運航されている安い鉄道・バスがあるので、車が無くても大概困らずに暮らせる。また食事も贅沢をしないで工夫すれば美味しく安くあげられる。方々にある100円ショップ(実際は全てが100円ではないが)で日常品が買えるし、衣類もバーゲンなど上手く使えば最低限の物は驚くほど安く揃えることが出来る。

 

しかし、日本でアメリカでの時と同程度の生活をしようと思ったら、思いの外お金がかる。旬の物があるし、どこで何を食べてもハズレが無く美味しいのでつい、余計なものを買ってしまう。アウトレットのブランド物にはアメリカほどのお買い得感は無いし、有名デパートに行ったら、見てくれ機能が同じようなものが高級品になると3倍~10倍の値段で売られている。日本の野菜・果物は元々アメリカの倍くらいしていて、さらに高級なものになればシャインマスカットの葡萄一粒1ドル、高級メロン一個80ドル、バナナ一本8ドルなり。上質のものは上限なく高いものがある。

 

四季のある日本では衣類、靴類は断捨離をしないとどんどん増えて行く。世界で一番気候のいいエルエーでは、年間を通じて同じ服装でOK で、冬になればその上に一枚長袖を重ね着すればいいと言う感じだった。しかし日本ではその季節用に買った衣類は極端に言って数か月しか着られない。3か月たつと、次の季節用の衣類が必要になる。同じ気温でも湿度が違うと着る物も違う。春と秋は同じくらいの気温かと思うが、日本には「流行」があり、季節の色などにもこだわりがある。

 

私は帰国に当たり衣類の3分の2を捨ててきた、この5年間でもう量的には3倍増えて元の量になっている。確かに日本の四季の自然は美しいが4通りの衣食住が存在する。昔、日本に住んでいた時はこれが当たり前に思っていたのかと思うが、カリフォルニアの気候に甘やかされた私には日本の気候は湿気が高くて雨が多く、新潟の曇り空の多さにはうんざりする事もある。取り分け高齢者には毎日変わる気候の変化に身体が付いていけず、衣類での細かい調整が必然である。

 

アメリカの年金は日本のそれよりかなり良いと思う。しかし、物価の上昇分に見合う収入の増加はしていないので、アメリカの生活も段々と影響が出ていることだろう。日本でも日本の年金だけで暮らすのはかつかつで厳しいと思う。だから退職後、給料が下がっても働きたい人が多く、恵まれたサラリーマンであれば系列の会社で退職後も何年か働く場所が用意されるが、正社員でない身分の多くの人は体の動く限りは働き続けないと生活が出来ない事になる。それでも働けない人には、生活保護という最後の砦があるが、これも不正受給など問題が多い。

 

昔と比べ、何をやっても批判する人が居る社会になっていると感じる。除夜の鐘や盆踊りがうるさいと文句を言う人、コロナワクチンの接種を妨害する人、心無い言葉で他人を傷つける人、詐欺事件が横行し、自分勝手で他人への迷惑を考えない人。そういう人は一部であるが、SMSや時にはメディアでもそのマイナーな意見を取り上げ、持ち上げる勢力がいる。テレビの情報番組はあらゆる意見のオンパレードで昔のような良識を伝える場ではない。

 

日本にはマイカードというアメリカのソウシャル・セキュリティーナンバーに当たる国民ナンバー制度がある。しかし、「個人情報の侵害だ」と反対する勢力があり、いまだに45%くらいの普及率から増えず、政府はいろんな特典を付けて習得を推進している。

 

マイナンバーカードを申請すれば5000円、公金受け取り口座と関連つければ7500円、健康保険と関連つければ7500円などである。それでも申請率45%の低さの一番の問題は国民はマイナンバーが無くても暮らせるからで、個人情報の国家管理だと言う声にも押されている。将来的に100%を目指しているそうであるが、そうであればこれは信じられない時間と税金の無駄遣いである。

 

アメリカでは銀行に口座を開きに行けばS.S.ナンバーを聞かれるし、仕事をして給料を受け取るためにもS.S.ナンバーを提出しなければならない。正式な書類にはフルナンバーが使われ、本人確認的な書類には下4桁だけが問われることもある。それによる不正、問題は聞いたことが無い。

 

日本で暮らす身分であれば行政の効率化の為、国がマイナンバーの習得を義務付けたらいい。国の存在は個人情報以前の話だと思う。反対する人はよほど後ろめたい不正を働いている人なのではと勘繰りたくなる。マイナンバーカードが行き渡れば公的機関でのコストカットになり、不正も防ぐことが出来るそのメリットは大きい。

 

今、日本国の財政は国債発行による大赤字の借金体質から抜け出せず、赤ちゃんから老人まで国民一人あたり1000万円の借金を背負っている。給料は上がらず、一人当たりの国民所得は韓国より低くなり、ゆとり教育の弊害と少子化で甘やかした結果、全体的な教育水準は落ち、かっての教育国の栄光はない。国家公務員に優秀な人材が集まらず、経済力は落ち続け、これから先も明るい生活の展望は見えてこない。

 

視察という名目で税金を使って海外旅行をしている政治家たちはいったい何を視察して、何を学んできているのだろうか?報告書を提出するだけでは何の役にも立たない、日本より優れているシステムを学び、改革して欲しい。アメリカで日本からの政治家の視察の様子を何度か見聞きしたが、そのほとんどの実態は税金を使った単なる観光旅行である。

 

税金を払っている平均的な日本国民は普段はつつましく暮らして貯蓄して、たまに外食をしたり、温泉に行ったり、旅行に行ったりすると言うのが現実かと思う。それでも都市部に住んでドル高の影響で実質増えたアメリカの年金とで幾分余裕のある生活が出来ている私は、コロナによる先行き不安以外は快適に暮らせていると言える。今思えば私のアメリカでの生活は仕事以外で自宅を出ればずっと外国旅行の様な生活だった。

 

日本帰国後、これまで中国、スペイン、イタリア、アメリカと海外旅行が出来た。これからもっと海外へ、と言う時にコロナが始まり、この歳で海外でコロナに罹りたくないので解放されていても今は自粛している。海外旅行は体力的に75歳までと思っているので、早くコロナが終息して、また海外に行きたい。

 

子供のいない私は、更にこれから齢を重ねて老いて行くことを思えば、歩いて15分というアメリカでは考えられない近距離圏内で買い物、飲食街、銀行、市役所・政府機関、大学病院などにアクセスでき、生活に必要な事が歩いて出来るこの街での生活はコンパクトで、老後はアメリカより暮らし易かろうと思っている。結果的にアメリカより歩く距離は長くなり、健康的な運動にもなる。

 

そして車が無いと続けられない趣味のスキーがあと何年出来るか。車が使えなく成ったら自転車、自転車が使えなくなったら歩いて日常生活は出来ると思うが、いよいよ歩けなく成ったら施設に入ることだろう。

それまで、より長く健康で過ごせたらと思い、ほぼ毎日いろんな有酸素運動を続けて体力維持に努めている。

いろんな世界を見てきた私の一番の願いは、平和で思いやりのある世界がこれからも末永く続く事である。

 

今週の愛猫ミーちゃん

スキー三昧 イン カリフォルニアスキー三昧 (skizanmai.com)

skizanmaiの日記 (hatenablog.com)

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帰国して5年パート1+ エピソード22

42年間住んだカリフォルニアから日本へ永住帰国して早くも5年が経った。

今回は、主にアメリカに住む友人に向けて、帰国後の日本でのこの5年間の生活で実際に感じた事を2回に分けて書いてみたいと思う。あくまで帰国後、日本の都市部に住む私の場合の私見であり違う意見もありましょうが以下は私が感じた事です。まず、基本的には私はほとんど毎年一時帰国していましたので、種々手続きを除いては、滞在の延長のようで日本で生活する事に違和感は無い。

 

アメリカと日本の物価をそのまま円換算で比較すれば、ここ1年の急激な円安ドル高により、それだけでもアメリカの物価は20%も上がっている事になる。為替の変動プラス物価高で日本の物価は今年になり輸入品を中心に値上がりをしてるがコロナによる影響もあり、景気は悪く収入は増えないので単純に値段を上げる訳にもいかないようだ。だからアメリカの物価より緩やかな上昇かと思う。

 

日々生活をすると、スーパーでの買い物で物価の違いは感じる。アメリカでは、野菜、果物、ビール、主食のパン・米は日本よりかなり安かった。ガソリンは、もともとアメリカの方がずいぶん安かったが、ロシアのウクライナ侵攻から上がり始め、アメリカでは今ガロン(3.78リッター)5~6ドルくらいと、かなり高騰していると理解している。

 

現在日本では政府が輸入価格の上昇に対して、国からの補助金を石油元売りに出して上昇分をカバーしてくれていて、今はリッター160円前後なのでガソリン代はアメリカの方が高くなってしまった。為替変動分を加味してもアメリカでの走行距離を考えると、このアメリカのガソリン代の上昇はかなりエグイと思う。電気ガス水道も日本は安いが、水道料金には水道料プラスその50%くらいの下水道使用料と言うのが付く事は帰国するまで知らなかった。

 

日本のサーブス業は言うまでも無く素晴らしいです。例えばマーケットで品物の売り場を店員に聞いたら、わざわざ品物のある処まで案内してくれる。お役所も各種手続きに行くと、融通は利かないが民間のサービス業のような丁寧な対応をしてくれる。

 

日本では公共サービスである警官、パトカー、白バイを街中ではほとんど見ない。それだけ日本は平和なのかと思う。アメリカでは当たり前に何処に行っても警官の姿を一日に何度も見たが、それが犯罪の抑止力になっていた。そしてアメリカの警官は容疑者に対してすぐに違反切符を切って、時には力には力、拳銃には拳銃で対抗する用意が出来ていたが、日本の警官は私はまだお世話になっていないがテレビなどで見ると、ともかく対応が優しくて丁寧だ。それに対し、日本人のモラルは年々悪くなっていて、自分さえ良ければ良いと言う考えの人も多くなっているように思う。

 

取り締まりが少ないため禁止されているエリアでのスケートボード、貝類などの違法捕獲、違法投棄、詐欺事件、交通違反などは全国的な問題です。警官は優しいだけでは舐められる、時には不正を働く者には厳しく当たって良いのかと思う。「死刑になりたかった」といって何の関係も無い人を道ずれにする事件が頻繁に起こっている。生活保護の不正受給や、モラル無きコロナ感染者は、罹っても症状が軽ければ、誰にも知らせずひっそりと暮らし感染を広げる人もいるようだ。少子化で兄弟が少なくなり、ビデオゲームで遊んでいては幼年期に人とのかかわりを学ぶ機会が無く、思いやりのある人間は育たない。

 

日本の国民年金、医療保険費・介護保険費は基本全国民の加入であり、その為の納付義務が生じる。保険料は所得に比例し、年間の保険料は思いの外高い。高齢者の医療費は2割負担で、普通に診察、処方箋を受けても支払いは千円くらいで済む。薬代も2割負担で数千円。その他、各市町村で毎年無料の血液検査、尿検査、肺がん、胃がん・大腸検査、の検診を受けることが出来る。これは素晴らしいシステムだと思うが、その折角の無料サービスも使わない人が多いと言う。

 

しかし、アメリカではちゃんとした保険を持っていても自己負担は大きい。大病をすればドクターからの請求書、検査代、施設の使用料など、何枚も請求書が送られてくる。しかし保険があって自己負担を賄えればホームドクターから専門医、メディカルセンターまで都会部では最先端の高度医療を受けることが出来る。

 

日本では異常が見つかり、かかりつけ医から病院に紹介されても地方の病院では対応に限度があり最先端の施設で治療を受けたいと思えば自分で動かなければならず、簡単ではない。かかりつけ医はともかくすぐに薬を出して、自分で断らないと処方する薬の種類がどんどん増えて行くと言うのが私の印象です。当然無駄になるお薬も多い。

 

そしてアメリカでは再診無しで何度か同じ薬の処方箋を受けられるリフィル処方箋が当たり前になっているが、日本も今年4月から導入されたそうだが医師会が慎重姿勢を示し医師の収入減にもなり「うちではやっていない」と言われるケースが多く、普及は難しいようだ。

 

日本ではあらゆるところにアルコール消毒液が置いてあり、お店に入る時などに自由に使える。今でも公共の屋内では飲食時以外はほぼ100%の人がマスクをしている。屋外でも90%の人がマスクをしたままである。それは他人がしているから自分だけしない訳にはいかないと言う国民性もあると思う。どれだけ効果があるのか疑問ではあるが、それが国民性というのであろう。

日本はこの20年間にゆとり教育などをしている間にすっかり国力を落としてしまった。教育、技術力で他国に抜かれ、そればかりか、民度も落ちつつある。一部の地域では運動会、盆踊りの音がうるさいと言う少数意見を取り上げ、中止してしまった所もあると聞く。

日本は伝統を守りながらも、もっと合理的で競争力のある社会を目指すべきかと思う。

 

エピソード22

70年代の終り、すし屋さんをしていた友人にパーティーのケイタリングで人出が足りないので手伝って欲しいと言われ、ベバリーヒルズの豪邸でのパーティーを手伝ったことがあった。大きな豪邸で、そんな家に入る機会はそうそうあるものではない。

 

主催者はハリウッドの映画界のドンであったが、その時私の知る時代より古い時代に活躍した人で名前を知らなかったが、作品名を聞けば誰もが知っているハリウッドの超有名監督、ウイリアム ワイラーの豪邸であった。『嵐が丘』、『ベン・ハー』、『ローマの休日』、などを監督して監督賞、作品賞で7つのアカデミー賞を取っていた。部屋数が何10もあり、そのほとんどの部屋と、庭がパーティーの為に解放されていた。

100人近くの招待客がいるパーティーであったが、私はそこで、寿司と日本のビールを提供するメンバーの一人として、お皿のかたずけや飲み物の提供を任されたが、それ以外の時間は、飲んで、食べて良いと言うエンターテイメントのハリウッドらしい緩い契約であった。

 

沢山ある部屋も自由に散策出来、部屋の中の飾り棚には本物のオスカー像が7体も飾ってあり、そのオスカーに刻まれた作品名で初めて主催者の正体を知った次第であった。それぞれの部屋は豪華な家具類で飾られ、それらの部屋の家具内装は2年ごとにインテリアデザイナーが総入れ替えをすると聞いて、またしても本当のお金持ちは凄いものだと驚いたのであった。

 

その他、そこまでの豪邸ではないが、友人がスクールボーイをしていたところに家人が居ない時に入らせてもらったことがあった。「ここの犬は私より豪華なステーキを食べている」と友人は嘆いていた。

 

追伸:

『British Journal of Sports Medicineによれば、2020年から2年間9つの研究機関が集めた、180万人、平均年齢53歳のリサーチの結果、毎日約20分、週に150分の適度の運動をしている人はコロナに感染するリスクを11%低下させ、入院の可能性を36%、重症になるリスクを44%、罹っても亡くなる可能性を43%も減らせると言うリサーチ結果が出たそうです。

 

アメリカのニュース専門サイト、FOX ニュースからの出典です。益々コロナの感染増加が続く中で何をすればいいのか?信じる、信じないはあなた次第ですが、おそらく信用できる機関のリサーチ結果です。皆さん、運動しましょう。ユーチューブのサイトでは室内で出来る自分に合ったあらゆる有酸素運動のサイトが見つけられますよ。

(289) YouTube

ウェブサイト:スキー三昧IN カリフォルニア:  http://www.skizanmai.com/

ブログ:スキー三昧の日記:        https://skizanmai.hatenablog.com/

今週のミーちゃん

テレビの前で

お気に入りの相棒

日本の政治家 + エピソード 21

安倍元首相が銃殺と言う日本ではヤクザ同士の抗争でしか聞かなかった方法で殺されました。銃社会でない日本でこの事件はショッキングであり、今回は安倍さんの業績を外交面に限って私なりの想う処を書かせていただきます。

 

外国に暮らすと日本で暮らす以上に日本への愛国心が強くなるのは大多数の海外生活者が言う事です。外国のインテリ層であっても、日本の首相の名前を言える外人は少ないです。そんな中でおそらく世界の外交で日本人で唯一人存在感を示し、多くの外国の政治家から一目置かれたのは安倍さんしか居なかったと思います。

 

安倍さんの登場まで日本の外交は日本人の為の発信をしてこなかったのは事実です。その間に、中国、韓国、北朝鮮が主張する意見が事実のように世界の常識となり、習氏に対しては理解不足による過大評価をする傾向がありました。その為アメリカのオバマ大統領、ドイツ、フランセ。イギリス、オーストラリア、インドなどのほとんどの国家元首は親中国の政策を取り始めていたのは皆さんの知る通りです。

 

ドイツのメルケル首相がその筆頭で、『習主席は反腐敗キャンペーンを展開していてクリーンな政治家だ』と、ある国際会議の場で持ち上げて、中国擁護論を展開していました。しかし、安倍さんの登場により世界が日本の主張に耳を傾けるようになったのだそうです。中国は国際条約を守らず、秩序を乱す国という見解を広く世界に広げたのは安倍さんで、今までの日本の首相の誰も出来なかった事でした。

 

元朝日新聞ワシントン特派員であった峯村 健司氏によれば安倍さんが初めてトランプ大統領と会った時「『世界で一番残虐なのは日本兵だ』とナチスドイツの軍人が言っていたそうで、その日本に100年も支配されていたのだから、中国人が反日感情を持つのも無理はないだろう」と言われたそうで。安倍さんはトランプ氏に、「誰からそんなことを聞いたのか?」と尋ねたらたら「先日会った習近平がいっていた」と聞き、「習近平の娘がアメリカ留学で使っている金額は習近平の給料より多い。そのお金は何処から出ているのか?」

 

「ロサンジェルスには中国の政府や高官の愛人が贅沢に暮らしている「愛人村」や、有力者の夫人らが生まれてくる子どもにアメリカ国籍を取らせるために出産目的で一時渡米して住む「妊婦村」がある。という切込みから、いかに中国と言う国と習近平が信用できない人物かを説いたそうです。実際私の住んでいたロサンジェルスカウンティーの隣の郡、オレンジカウンティにそういう地域があり現地で問題になった事がありました。安倍さんはアドバイザーから、外交に使えそうないろんな情報を得ていたそうです。

 

以来トランプ氏は誰よりも安倍さんの意見を聞きたがり、安倍さんはトランプ嫌いなヨーロッパの政治家とトランプの間でも、バランスよく、どちらからも頼りにされる存在となり、世界の首脳が、「安倍は、どう言っている?」と、聞いてくるのだそうです。これは安倍さんだからこそ出来た事で、安倍さんを何かにつけ批判している他の国内政治家には絶対に得る事の出来ない外国からの評価です。安倍さんの発言は的を得ていて、トランプ大統領への「中国の軍事化・領土拡張に注意、韓国文在寅大統領の意見は北寄りで信じてはいけない」などの助言は結果的に全て正しく、欧米の国家元首は安倍さんの外交手腕に注目するようになったのだそうです。

 

これほど世界の元首の心をつかみ外交で注目された政治家は日本には居ませんでした。中国政府当局者でさえも安倍さんに追悼の言葉を送り、「戦後初めて、対米追随ではなく、独自の戦略を持った外交を打ち出した日本の指導者だと評価しています。小泉純一郎氏ばりのイデオロギー色を発しながら、田中角栄氏のように実利的なアプローチも仕掛けてくる。なかなか手の内が読めずに苦労しました。ある意味で、われわれが最も恐れた日本の政治家でした」と言っています。

 

外交以外ではいろいろ問題があった事は承知していますが、外国に住む大多数の日本人にとり、安倍さんは経済一流、政治3流と言われた日本のスティタスを世界の外交の舞台で初めて高めてくれた存在でした。

首相を辞めてからも与党の実力者として日本を、延いては世界の過激な動きのブレーキ役としての存在であったはずの安倍さんの早すぎる喪失は残念です。冥福を祈ります。

 

それにしても、NHK党の比例代表制度で当選したガーシーなる詐欺罪で訴えられているユーチューバーの国会議員、当分ドバイに暮らし国会には登院しないそうですが、投票用紙に名前が書かれたことも無い人が国会議員になり、国民の税金から年間2000万円もの歳費が支払われると言う比例代表制なる選挙制度は世界でもまれなるご粗末な選挙制度だと思うのです。早く無くして欲しいものです。

 

エピソード  21

 

今年の初めに亡くなった元私の上司、カリー社長は父親の作った全米アメリカトラック協会の重臣であったが、その団体と相反する団体が有名なチームスターというトラック運転手の組合であった。チームスターはアメリカの最大最強の労働組合と言われており、元々はギャングであるマフィアが関係していた団体である。今でもマフィアと関係があると言われてるがマフィアは非合法組織であり、表には出てこない。

 

労働組合としてのチームスターは常にトラック業界でのオルグを進めており、私のいた会社のドライバーの中にもチームスターの関係者が入り込み、組合に入れば賃金、福祉が良くなるとドライバーを組織化しようとしていた。

私の居た会社は西岸最大手ながらドライバーはチームスターに入って居なかった。それはチームスターに入れば輸送賃が大幅に上がり、最大の犠牲者は一般消費者であり、ドライバーの取り分よりチームスターの吸い上げる金額が大きく、その分を直接ドライバーに支払う方がドライバーの生活は楽になると言うカリー社長の信念であった。

 

チームスターになるかならないかはその会社内のドライバーによる投票で決まるが、一貫して私の居た会社はドライバーに対し業界で一番高い賃金を払い、チームスターに加盟しても得をするのは組合幹部だけだと非組合を説いていた。

 

チームスターのオルグ行動による港湾ドライバーの大規模なストライキがあった際、対抗するトラック業界の代表であったカリー社長は何度かチームスターの代表と交渉を持った。チームスターの幹部は労働貴族であり、組合費として会員から集めたお金で交渉にはワシントンから自家用ジェットで飛んできていた。

 

何度かの交渉の過程で、チームスターの幹部たちと親しくなった社長は極秘に「もし、Cal. Cartage がチームスターになってくれたら、Cal. Cartage だけがLA/LB港湾に入れる唯一のトラック会社にしてあげる」と持ち掛けられたことがあったそうだ。その時社長は「私の目が黒いうちは、私の会社がチームスターに組織される最後の会社であろう」と、最後の最後までチームスターに入るつもりはないしその努力を続けると言い放ったと本人から聞いた。

 

チームスター全盛の時代には暗殺の危険もあったそうであるから、正にカリー社長は業界のリジェンドであった。

 

今週のミーちゃん

猫用のアイマスクは爪を切る時目隠しをすると大人しくなります

追伸:

とうとう日本のコロナ感染者数が国別で世界で一番になったそうです。マスクをする人の多い日本で何が起きているのでしょう?重症者、死亡者が少ないのが救いですが、皆さん気を付けてお過ごしください。

国営越後丘陵公園 +エピソード 20

新潟県の中越にある何度かパークゴルフで行ったことのある国営越後丘陵公園に紫陽花を見に行った。長岡市郊外にあり、家からは車で1時間少しかかる。広大な敷地の自然の中に、パークゴルフ場、ピクニックエーリア、スポーツエーリア、子供の遊び場、水遊び、バラ園、アジサイ園などがあり、今はバラがほとんど終わり、紫陽花の真っ最中。紫陽花の原種は日本に自生するガクアジサイである。

カナダのビクトリアを思い起こさせる花の寄せ植えポット

人間界も自然界も最近はままならぬ事が多い世の中である。

温暖化による線状降水帯では今まで経験した事のないような大雨に見舞われ、台風、地震など志願災害も何時起こってもおかしくない状態である。社会が安定しないと人の心も荒んでしまう。

 

安倍元首相が銃殺された。銃社会のアメリカから帰って、銃の無い日本の平和さをアピールしていたのに衝撃的なニュースであった。自分の生活が上手く行かないのを社会のせいにして、他人を巻き込んだ暴挙に出る輩が増える社会。安倍さんの冥福を祈る。

 

先日行った市内の日帰り温泉に七夕の竹があり、短冊がぶら下がっていた。短冊は近くの小学校低学年の児童達が書いたものらしく、ひらがなで子供らしい願い事が書かれていた。その中に目を止めた一枚があった、「おとうさんがいきかえりますように」小さな子供が今から人生のハンディーを背負っている。力強く人生を生きてくれることを祈る事しかできないが、世界の方々でコロナ、戦争に因って親を亡くした子供たちが増えている。民主主義を阻むロシアや中国を世界の価値観のルールを造る国にしてはいけない。

 

コロナもまた感染拡大し始めている。今、世界のほとんどの国ではコロナの為の行動制限が緩和され、「コロナ後」が実行され人々が動き始めている。だが気を付けなければならない事は重症者・死亡者数こそ少ないが何時の間にか日本は一日当たりの感染者数が世界でも最上位に入る国になっているのである。さらには同じ人が複数回感染するケースが増えているが、1回目より2回目、2回目より3回目と繰り返して再感染する事で重篤な後遺症や他の病気の悪化、死亡率が高まるかも知れないというニュースが出ている。

 

変異ウィルスBA.5は感染力が強く免疫をすり抜け、ワクチン効果は減少すると言う。この勢いで感染者が増えれば再び医療崩壊を招きかねない状況であり、急速な行動緩和はすべきではないと思うのである。

新型コロナ (COVID-19) リアルタイム情報 (coronaboard.kr)

 

先日、携帯に挟んでおいたプリペイドの路線バスの乗車バスを落として無くしてしまった。最近はバスに乗る機会も少なく、バランスが2000円を切っていたので、あきらめていたら、すぐ近くの新潟中央警察署から「拾得物として預かっておりますので取りに来てください」と、電話連絡があり、直ぐに行って受け取ってきた。『日本ではほとんどの落し物は帰って来る」という、アメリカでは信じられない神話が本当なんだと実感。まだまだ日本人も捨てた物ではないと、届けてくれた方に感謝、感謝。

 

エピソード 20  

もう半世紀前の70年代初め、中学生の頃から海外を見たかった20代前半の私は初めての海外がヨーロッパへの放浪の旅だった。横浜から船に乗ってソビエトを横断して北欧をヒッチハイクして、ヨーロッパを鉄道のユーレイルパスで移動していた。何度も夜行列車に乗って移動した。頭の中にはその頃はやっていた、かまやつひろしの『どうにかなるさ』という曲が聞こえていた。

「今夜の夜汽車で出てゆく俺だよ、当てなどないけどどうにかなるさ、あり金はたいて切符を買ったよ 、これからどうしよう どうにかなるさ、 見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ 、けれどもおんなじ暮らしに疲れて、どこかに行きたいどうにかなるさ、、」名曲である。

 

その後、中近東経由でインドへ陸路移動して日本へと帰路についたが、その頃海外を放浪していたバックパッカーにヨーロッパ人は居たが、東洋人のバックパッカーでは99%が日本人の若者であった。北欧では黒髪が珍しく、有名人並みにもてはやされた良き時代でもあった。

 

その後、90年代になって日本のテレビで放映された「進め!電波少年」の海外放浪の旅番組で脚光を浴びた猿岩石(有吉弘行)、パンヤオ、ドロンズなどを私もアメリカでそのころVHSなどに録画されたテレビ番組を2時間を2ドルほどで貸してくれるビデオレンタル屋さんがあったので借りて観ていた。

 

あの番組を見て感化されて海外に出かけた若者も多かったと思うが、私は彼らのさらに25年も前の70年代の初めにあのような世界放浪の旅を経験をしていたのである。その頃は団体でない海外旅行は冒険であり、まだ私の周りに海外へ行ったことのある人はいなかった。そんな時代の海外旅行はTV番組の様に本当に困ったら助けてもらえる状態ではなかった。ガイドブックと現地で出会った旅行者からの情報で自分の責任と判断で先に進んだ旅であった。毎日が冒険心と好奇心に満ち、様々なところで出会った人達との交流が新鮮で心地よかった。

 

最初の旅から海外の魅力にハマって、その後、アメリカに渡り42年も暮らし38か国を訪れる事になるとはその時はまだ思っても居なかった。アメリカに来て少し暮らしてみて分かったのは、日本では第一次オイルショックで節電が叫ばれ、トイレットペーパーが品不足になっていた時に、エルエーのダウンタウンのビル群には夜中でも煌々と照明が付けられていた。聞けば、「外から見えるので、泥棒除け」とのこと。物があふれるアメリカには圧倒的な豊かさがあり、そこで生活する事はその恩恵を受けることが出来るという事であり、暮らすなら豊かな国が良いと思ったのであった。

 

バイトをしながらの学生でもアパートにはプールが付いていたし、中古の車が買えた。アパートにも車にも日本ではその頃は珍しかったエアコンが付いていたし、何よりも一年中カリフォルニアの青い空が見られるのは気持ちが良かった。70年代のカリフォルニアは大好きなロックの音楽が絶え間なくFMから流れ、毎週位大ヒットする新しい曲が流れてきた。その頃は只、アメリカに少しでも長く居たいと観光ビザから学生ビザを取り、卒業後はその流れで日本に帰るよりはアメリカで就職をしたいと思い、まずは日本レストランで働きながら永住権を取った。

 

永住権を取ってからは、結婚して時代の流れで80年代半ばの日本の経済力に後押しされ仕事にも恵まれ、気が付けば42年も不自由なく異国で暮らせたのは、世界で一番豊かな国で暮らす時代と場所の恩恵を受けることが出来たからであり、移民の国アメリカは移民に寛容であった。元々アメリカ人はアメリカンインデアン以外は全て移民であり、私は先人の築いた勤勉な日本人のイメージに助けられてか、アメリカでは一度も人種差別的な行為は受けたことが無かった。

 

そして、私の場合、50歳代半ばには既に退職したら日本に永住帰国しようと決断していた。それは、「日米両国での帰国の手続き作業は想像以上の気力と体力が必要で、日本に帰るなら70歳までですよ」と言って下さった人が居た事と、退職する年齢に近くなると、親しい友人たちの中にもぼちぼちと日本に帰る人が出て来て、老後の生活を考えたからである。

そのままアメリカで暮らすのは車を運転出来る間は良いが、やがて車を運転できなくなったら、行動範囲が狭くなり、子供のいない私たち夫婦はいつか一人になりアメリカで介護施設に入って、望郷の思いを抱きながら毎日アメ食を食べさせられるのも寂しい老後で嫌だと思ったからである。

 

10年くらいかけての周到な準備の後、66歳で退職して、2017年に日本へ永住帰国できたのはいろんな意味でタイミングもよく、両国の良いとこ取りが出来て、正解であったと思っている。日本に帰ってきた友達、アメリカに残った友達、その他、今でも大勢の友達とインターネットで繋がっている。

私よりも更に前の戦前に満州、南米などに移民として移住していった人達は、凄く苦労された事は今でも語り継がれている。私がアメリカへ移住して暮らした42年間は幸せな最も平和な時代であり、無事に日本へ永住帰国できたのはある種の『移民物語ハッピーエンド』であった。

 

世界を見て来て、コロナ禍後の世界情勢を想うと今世界は再び間違った方向に行きそうで怖い。民主主義の危機を感じる。ロシア、中国、北朝鮮など覇権国家を世界のルーラー・支配者にしてはならない。

人々は独裁者の為に戦うべきではない、独裁者に洗脳されることなく自らの自由を守るために戦うべきである。

70歳を越え、すっかり老人の年齢になった今後は、社会に貢献しつつ、願わくば残りの人生を少しでも長く健康に過ごす事が出来たらと思っている。

 

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ブログ:スキー三昧の日記:       https://skizanmai.hatenablog.com/

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極安ツアー + エピソード 19

幾分コロナの落ち着いてきた6月半ば、いつもの3人組で大湯温泉湯元ホテルに一泊旅行。まずは長岡の越後丘陵公園でこれが3度目となるパークゴルフ。写真では一見普通のゴルフのドライバーの様に見えるこのクラブ、実はパークゴルフはこの一本だけを使ってする高齢者用のミニゴルフと思っていただけばいい。コースは9ホールが4コースあり、それぞれのホールは最長でも96m、ほとんどが50m前後で、ボールも大きいが、ホールカップの直径も20cm以上と大きい。

この長岡市にある広い施設はパークゴルフ以外にもいろいろあり、市民の憩いの場となっているが、実はここは国営であり、入園料が一人210円(シニア)、他に駐車料金がかかるがFさんが年間パスポートを持っているので、今回はかからない。しかも、この210円はパークゴルフの代金も、クラブ、ボールの使用料も含まれていて一日中プレーしていても良いという驚きの値段。

結局2時間少し昼食を挟んで9ホールⅹ5コースを廻って、コンビニで買って来たお弁当をコ-ス横で食べる。お酒を飲まないFさんに申し訳ないが我々の昼食はビールとワイン付き。

 

大湯温泉湯元ホテルは伊藤園グループに属し、我々はこれが3度目。今回も格安のプランで、県民割引で5000円引きになり、更に私以外の二人が6月の生まれなので、2500円の誕生日割り引き、私はライン登録で1500円引き。更にいろんな場所で現金として使えるお土産クーポンが一人2000円貰える。よって、一泊、2食付き、食べ放題のビュッフェと夕飯の飲み放題が付いて、実質私は2000円、他の二人は1000円という申し訳ない程の破格の値段での温泉一泊旅行である。

 

客はほとんどが県内からの高齢者。温泉内で去年同じ場所で出会った地元から近い小千谷市からの二人組と再会。やはり彼らも6月生まれで、同じ割引を目当てに来ているのだが、温泉場でのまたの出会いは珍しい。夕飯はビュッフェスタイルで今回は『マグロ-かじきフェア』でマグロのお刺身など品ぞろいは豊富。ビール、地酒、焼酎も飲み放題。なにせ生ビールを2杯飲んだら、元が取れるという格安ツアー。

飲み放題と言っても、最近は飲む量は減った。それは年齢と共に当然だが、「お酒がまずくなったら、何処かに問題があるから医者に行った方が良い」そうである。O君は何人かお酒がまずくなったと言って重篤な病気が発見さえた人を知っているという。お酒が飲めなく成ったら楽しみが減るね。無理なく美味しいお酒を飲み続けたいものである。

 

翌朝、ビュッフェスタイルの朝食。O君はペットボトルに入った日本酒を持参。

宿を出て駐車場から出ようとしていると、ちょうど参議院議員の森ゆうこさんの広報車が通りかかり、「どうせ本人でないだろう」と言ってたら、拡声器で「本人でございます」と言うので車を停めて会いに行く。実はO君 Fさんの属する政治結社は森さんを押していて、Fさんはここに来る前日、250枚のチラシを配り、明日も駆り出されて応援に行く予定がある。森さんに労いの言葉を頂き、一緒に写真を撮ってもらいご満悦の二人。

まずは270年前江戸時代後期に建てられた大庄屋目黒邸へ。先に同じ敷地にある民族博物館を見学。昔の農工具、雪国の生活用品などは我々の世代がかろうじて実際に観た覚えのある展示物の数々であり、我々より下の世代にとってはすでにお伽話の世界になるのかもしれない。茅葺の母屋は今でも毎日囲炉裏で薪を燃やし、その煙で屋根を燻蒸して保存している。

日本のミケランジェロと言われた幕末の名匠石川雲蝶の作品のある西福寺開山堂を見学に行く。朝から今日はいっぱい飲んでいるのに、山門前の看板の告知には「山門を入るものは飲酒をするべからず、云々」と書かれている。あっ、O君は既に堂々と山門から入ってしまってますけど。品行方正な私は山門を避けて門の横から境内にはいる。

雲蝶が5年数か月で彫りあげたと言うお寺の彫刻絵画の装飾の数々は迫力満点で圧倒される。作品は撮影不可なので、ネットのサイトから取った写真をご覧あれ。

仏殿には礼拝の作法がかかれていたが、私の前にお参りをしたO君はどうやら車に財布を忘れてきたよう。それでもお賽銭を上げずに開山堂の見学の前後に2度もお参り(お願い?)をしていた。O君、私でも気づくのだから仏様はお見通しですぞ。品行方正な私はO君の分もと、100円のお賽銭を入れてお参り。

お酒が美味いうちは人生を楽しんで良いのかと思うが、世界には不自由な生活を余儀なくされている人も多い。私は基本はアメリカの年金で生活しており、円安により日米のいいとこ取りの生活で申し訳ない想いであり、寄付などしているが個人の力では大したことは出来ない。

年金生活者の多い日本も年々老人が暮らしにくくなっているように感じる。今までが良過ぎたのだろうが、税収が減ってるのに、コロナ、社会福祉、医療制度、海外援助と、こんなにもいろんな所での国の救済・援助を赤字国債で賄う状態が何時までも続くはずが無いのである。

早くウクライナにも平和が訪れる事を願う。

 

エピソード 19

以下は先日高校の同級生Kくんより彼が知る沖縄の「平良修牧師」の半生を描いた番組がNHKで放送(10年ほど前の再放送)されるので見て欲しいと薦められて観たテレビ番組の感想を彼に書いたものです。

 

感想:

私は宗教的な事より、一人の人間の生き方と思いながら観ていました。アメリカの黒人問題など、私の知る現実の画面もありました。世界には様々な人たちが様々な思いをもって暮らしています。

全ての人たちが幸福に暮らせることを願っていますが、今の世界にはウクライナの様に自分の意に沿わない暮らしを強いられている人は大勢います。私は宗教的や政治的な運動より、自分に出来る目の前の人に手を貸すなど「一日一善」を実践しています。それは今年100歳になった母の教えでもあります。

 

周りに困っている人が居れば素通りをせず、必ず声をかけます。手を貸してあげ、必要なら助けてあげます。脳溢血で半身不随で声が出なくなった従弟の成年後見人をしていますが、一人の人を助けるのに役所などに何十回も足を運び、手間のかかる仕事です。またある時は、スーパーでレジに並んだ前のおばあちゃんが「財布が無い」と、困っていましたので、その時の買い物を全額支払ってあげました。

 

ひょっとして、単に家から財布を忘れただけかもしれませんが、お礼を言ってくれましたから私はそれ以上は何も望みません。おそらくは一人暮らしだろうおばあさんが、欲しかったものを無事に買えただけでいいのです。お店のレジのひとが「お知合いですか?」と、驚いていましたが、そんな人が居てもいいじゃないですか。

 

同じ様な状況があれば、またためらわず同じことをするでしょう。今までの人生で私がお世話になった人達に十分なお礼が出来ていませんので、昔受けた恩を、他の人に返しているつもりです。意見の違う人との衝突の行動には必ずしもいい結果が伴いません。敵対行動には敵対行動しか返ってきません。もっと平和的にお互いを思いやる心に満ちた社会であって欲しい。それがわたしの願いであり生き方です。

 

日本では自分の善行は言わないのが美徳とされていますが、それではニュースで見る今の世は悪人ばかりと感じてしまいます。善意の行為は世間に広がる機会が有るべきです。こんな暗い時期であるからこそ、機会があれば私の様に思いを拡散したほうが救われると考える人も多いと思い書きました。そして善意の行為が広がる事を願います。

 

 未だ沖縄は行く機会がありません。

 

今週のミーちゃん

笹団子の笹を食べようとします

やっぱり高いとこが好き

リラックスしてます



 

 

 

 

花の都・五泉にて

五泉市は新潟市の隣に位置する「花の都・五泉」として観光客を誘致していて、水芭蕉、桜、チューリップ、牡丹、シャクヤクと季節ごとに様々な花が咲き競う。

4月後半から5月初旬に2度続けて五泉を訪れた。最初はいつもの3人で咲花温泉に一泊、牡丹の開花に早かったので1週間後の2回目はミーちゃんに留守番を頼み日帰りのドライブ旅。

今は牡丹の季節。連休の混雑を避け、早朝に出て、9時前に牡丹園に着くと、既に数台の車が停まっていた。

牡丹園の花は満開で30分後にはかなりの車が駐車場に停まっていた。早く来てよかった。大輪の牡丹の花は「立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、美女に例えられる存在感のある豪華な花である。

その後、吉清水で持て行ったペットボトルに湧き水を汲み、新潟秋葉地区にある白玉の滝に行く。ここは駐車場から狭い谷を100メートルも行くと森の中に落ちる滝がある。こんなにも近場にある別世界の様な落差15mの滝は(雄滝落差 15メートル、雌滝落差 7メートル)1200年代から山伏の滝行に使われて来た場所で、マイナスイオンいっぱいの水玉が光に白く輝き流れ落ちる様子が、滝の名前の由来だそうだ。

これは暑い夏にまた訪れたい簡単に行ける場所にあるのに、想像以上にきれいな滝であった。

そして、新潟市南区にある江戸時代に長く庄屋を務めた重要文化財に指定されている旧笹川邸を見学。米どころ新潟県には古くからの旧家のお屋敷が多く残っている。


我が家の周りでも連休でかなり観光客が動き出していると感じる。感染力の強い変異株BA.2が威力を拡げ、新しいBA.4,BA.5と、これから広がる可能性のある変異種が次々に発見、報告されているので、連休後間違いなく感染者が増えるだろう。そして、感染者がいる限り、新たな変異種は出続けるので油断禁物。人類はこれからもずっとコロナ株と付き合っていかなければならないのである。

 

今週のミーちゃん

笹団子の笹を食べるミーちゃん。お前はパンダか?熊猫と言うから同種かも