妙高を滑る  + エピソード 17

新潟市のローカルのスキー場も閉まり、もう今季のスキーは終わりと思っていたが、高田に一泊の帰郷をするのにスキーを積んで行き、3月22日に一日の日帰りスキー。

新潟市を早朝6時に出て、高田に荷物を降ろして、そのまま赤倉観光スキー場へ行く。

今年の冬は『山雪』で、平野部は既に雪が無いが、山間部は大雪であったため、スキー場の駐車場の横にはいまだに3m近い雪の壁が残っている。今日は快晴。昨日と明日の天気は良くないので、ドンピシャのタイミングでのスキーである。そして今回地元高校のOB同級生のスキー仲間からH夫妻とK君が一緒に滑ってくれた。K君は目の手術直後で、朝滑ってすぐに上がった。指導員の資格を持つH君には最近何度かアドバイスをもらっており、今回も丁寧な指導をしてくれた。9時半から滑り始め、天候が良いと春の雪はすぐにベシャベシャのジャーベット状になってくるのはしょうがない。

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それでも今の季節のスキーは嬉しい。3時までじっくりと滑って高田に帰る。今年の桜は遅い。日本3大夜桜と言われる高田城跡公園は26日から観桜会が始まるというのにいまだ蕾は硬いままで色も付いていない。駐車場への交通整理の人が暇そうにしている。久しぶりの大外れに、来てしまった人達は、見る桜も無くぼんぼりだけで、どうするのだろうか?

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今季18日目の滑降日数はかなり良い。まだ赤倉には雪がある。

そして今日、高田城跡公園の観桜会は1週間の延長が発表された。

 

エピソード 17

アメリカに渡った年にハリウッドのアパートに4人の仲間と住んでいた時。仲間が集まってその頃はやっていた「こっくりさん」をしたことがあった。そして、その時の仲間がこの後何年アメリカに住むことになるかをこっくりさんに聞いた。4人の同居人のうちKやんはあと数か月と言われた、Sやんは数年、Nやんはずっと住むでしょう。と言われ、私は惑わされたくないので聞かなかった。後で思い起こしたら、そのお告げは全て当たっていた。

 

私は占い事を好んで受ける方ではないが、人生で何度かは流れで受けたことがある。その結果を知り、根拠はないが、ある程度当たるものであると思っている。昔、日本で「あなたは遠くに行くことになります」と言われたことがあったし、アメリカで超能力を持つ人に友人が会う事があり、私の写真を見せて間接的に占ってもらったら「お金には困らない生活が出来るでしょう」と言われた。占いの嫌な事は忘れてもそういう事は覚えている。時が過ぎて、その結果を想えば、いずれもある程度当たっていた事になる。

 

Sさんとマンモスに向かう途中。何度も通いなれた395のハイウエー。その晩は闇夜であった。ビショップからは長い登坂になる。坂を上り始めた処で、道路を少し離れて、丘のようなところを登り、道路の横の丘の平坦になった処に車を停めて満天の星を見ながら二人で缶ビールを飲み始めた。星見酒で道路の反対側には暗闇の平原が広がり、その何もなさそうなところに2~3の動くライトがみえた。100mほど離れた処で人の背丈よりはかなり高いと思えるところにふわふわと浮く様な奇妙な動き。「あれ、おかしいねぇ」と、話していると左から右にかなりの距離を移動した後、消えてしまった。

帰りに気になって日中に同じ場所に戻ってみると、そこには平原などなく、人の歩ける場所ではない谷の風景があった。あの怪しいライトは何だったのか?

 

同じくアメリカで出会った友人が日本で経験した奇妙な話を思い出した。彼は名古屋経由で北陸の方面へコンサートの機材を運んでいる際、夜、円盤のような物が森の手前の草むらに下りるのを見た。一緒に車に乗っていた人と車を停めてカヤの生えた平原を走り見に行った。そうしたら10mほどの円盤が停まっていて、近づくと飛び立ち消え去った。一週間ほど後の帰り道に同じ場所に見に行った。同じ場所に車を停め、あの日、平原を真っすぐに走って見に行った場所に平原はなく、そには湖があった。そして湖の反対側に行ったら円形に草が生えていない場所があったと言う。「これは本当に本当なんだ」と彼は言っていた。

信じるも信じないも聞く人次第です。しかし、そんな経験を本当にしたと言っている人が居る事は事実です。

 

今週のミーちゃん

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狭いとこが落ち着くそうです

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シーズンの終り

3月2日、胎内スキー場に行く。雪は朝からべちょべちょの柔らかな春の雪。これでは雪解けも早そうだ。それでも硬く凍結した雪面よりはエッジが効いて遥かに良い。今日はランチを持ってこなかったので休みなく滑って早めに帰るつもり。胎内の一番ポピュラーなコースは長さが約1200m、傾斜が22度くらいでリフトに乗る時間は8分くらい。一気に滑り降りたら2分かからずに滑り降りる事になるが、リフト一本あたりの長さは乗り継ぎのある赤倉のリフトより長い。途中で止まらない滑りを3時間繰り返し12時半にはあがる。

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久しぶりのいい天気

シーズン中は週に一度滑りに行くのを目標にしている。混雑する週末は避けているので、毎週末、今度は何時行こうかと天気予報を見て予定を立てる。3月7日の朝、外は薄っすっらと雪化粧。胎内は12cmの積雪との知らせに急遽滑りに行くことに。

胎内では今月13日で今季のスキーを終了すると発表されていた。既に向かって右側のスキー場半分はシーズンが終わり閉鎖されていた。私のローカルスキーもあともう一回来たら今季は終了になりそう。今日の滑れるゲレンデは限られている。まだ比較的荒らされていないゲレンデの端をすべると、10cmほど積もった雪は重く、グルームされていない湿った雪は重くて滑るには手強い。

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行きはみぞれの降る天候

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新雪の残る斜面に自分のシュプールを刻む

今季の胎内のスキー場が3月13日に閉まる前の最後のスキー、混雑する週末を避け11日の金曜日に胎内へ向かう。家から1時間15分でゲレンデに立てるのは有難い。今日の気温は10度まで上がるスプリングコンデション。今日動いているリフトは一機だけ。ゲレンデは正面の2斜面だけなので、500円引きで4時間のリフト券が1500円という値段。アメリカと比べると日本のリフト代は驚くほど安い。たとえ値上げしてでも来期もオープンしてくれることを願う。9時15分から滑りだすと、日当たりのいい斜面からどんどん雪質が柔らかくなっていく。今日は春の柔らかな瘤とショートターン用のスキー板を持って来ている。

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珍しい快晴

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中央ゲレンデの横には滑りこまれて自然に出来た3本のバンプコース。一番最近出来たえぐれの浅いコースは難なく滑れるが、手入れのされていない古い残りの2コースは深くてとても身体が付いていけなくてギブアップ。

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完全なスプリントコンデション

途中で30分のランチを挟んでゲレンデに戻ると、滑っている最中に三島のSさんから電話が入った。Sさんは最近体調がすぐれないと言っていて、前日検査の為病院にいったと聞いていたので心配していた。4時間かけてのCT、血液・尿検査の結果は「特に問題は見つかりませんでした」という事で、厳しく言えば「おじいちゃん気のせいですよ」という事か、まずはやれやれ。しかし年齢と共に、加齢による体調の悪さも出てくることがある。Sさん日本へ帰ってからの気疲れか?お互いにもう若くないことを自覚してお酒の量も減らし、健康にまた再会できることを願い、ゲレンデからの電話を切る。

 

更に数本滑って、1時に上がるとストラバの記録は19本。昼直後の一本は記録し忘れたので、トータル20本滑った事になる。これで今季のローカルスキーは終わる。年が明けてからの短いシーズンで17日間のスキー三昧は私の中でもかなり良い記録である。日帰りでのスキーはコロナ禍の今できる数少ない安心して好きなことの出来る貴重な時間である。帰りに塩の湯温泉に寄ってかえる。海水位の塩分濃度のある熱めの湯はデトックス効果もあり、気持ちいい。

急に暖かい日々となり、帰宅して夏タイヤへの交換の予約を取る。

 

ここからはどうしても書きたいロシアのウクライナ侵攻に関する考察です。

オリンピックが終わった途端に、待っていたかのようにロシアがウクライナへの侵攻を始め犠牲者が増え続けている。世界は何度も戦争を体験して少しは賢くなって抑止力を備えてきていると思っていたのに、平和に暮らしていた人々の生活が僅か一週間の間に激変して戦場のど真ん中に落とされる様を目の当たりにする。何という事だろう。かくも簡単に一人の男によって戦争が始まってしまう。プーチン大統領は『我々はネオナチと戦っている』と世界中からネオナチ的行為を非難されている本人が言うのはまともではない。

 

プーチンはウクライナでの軍事行動で一切妥協せず、『この戦いが終わるのはウクライナがロシアの全ての要求を飲んだ時だけだ』と戦争を終わらせる意思が見えないうえに、核兵器の使用も仄めかしている。これは演習でありウクライナに侵攻するつもりはないと言っていた1月、2月に侵攻が始まっても市民を攻撃していない、と言っている。ずっと嘘をつき続け残忍な攻撃の手を緩めない最近のプーチンは、理性を失った精神的な問題を指摘する人もいる。

 

ロシアのメディアでは報道規制がかかり、国民はプロパガンダのような政府寄りの情報しか得られず、世界中から批判を受けるプーチンの周りはイエスマンばかり。最近のニュースでは「米国の支援を受けたウクライナの研究所が、コウモリのコロナウイルスのサンプルを使った実験をしていた」「アメリカと共同で化学、生物兵器を開発している」と主張。ロシアの外相が「ロシアはウクライナを攻撃していない」、ロシア軍が爆撃した小児病院については、最初は「ウクライナが攻撃したフェークニュースである」そして今日は「あの病院はウクライナの過激派に占拠されていた。患者はいなかった」とロシアの正当性を主張しているが、映像が真実を伝える。ロシア政府関係者の発言はプーチンに言わされているとしか思え無い子供の使いのような言い訳が続く。

 

情報が限られると世の中の何を信じれば良いのか判断が難しい事がある。

ロシアの人たちは情報管制を受け、政府に都合のいい情報だけを与えられ、「これはロシアをNATO、アメリカから守るための戦争だ」とほとんどの人が信じさせられているようだ。ロシアから引き上げる外国企業の財産を国営化すと言う暴挙に出て、ロシアにリースされている500機の航空機を没収するという目茶苦茶な行動に出て来るロシアは世界の嫌われ者になってしまった。一部の聡明なロシア人は気づいているが、反戦デモに参加した人の身柄が拘束されている。どちらに正義があるか正しい判断をして、反戦とウクライナ支持を表し続けて欲しい。

 

プーチンという一人の狂人により第三次世界大戦にまで戦火が広がる可能性がある。コロナとの戦いと同時に世界はロシアからの挑戦を受け、東西冷戦終結後最大の危機に直面している。ロシアの他にも一人の人間がすべてを決め国民に価値観を強いる独裁者的指導者がいる中国、北朝鮮とも日本は地理的に隣り合う国境を持っている。今の、日本はほとんどの人が戦争を知らない世代になっている。戦争を知る私の母親の世代はソ連が第二次世界大戦終りのどさくさに満州、樺太に攻め入り日本人をいじめた悔しい思いを忘れていない。戦争は我が国でも瞬時に起こりうるものだと改めて思う。平和ボケした日本国民に警鐘をならす出来事が今まさに隣の国ロシアが起こしているのである。

ソビエト連邦、中国、何処に行っても接触のあったほとんどの国民は親切であった。政治と宗教のイデオロギーの違いが紛争の火種となる。かって世界を旅していた時、「海外では政治と宗教の話は避けた方が良いよ」とアドバイスしてくれた人が居た。

 

ロシアの孤立化が進んでいるが、この状態を打開するために本当に核兵器を使うかもしれない。このままでは6月までしかロシアの経済は持たないと言われているが、ウクライナ全面占領は兵站を除いても50万人の軍隊の常駐が必要で事実上不可能と言われているので、今後侵攻を続けられなくなるロシアの経済破綻が先か、ウクライナの大幅な譲歩で停戦が決まるのが先か、それまでは激しい戦闘があるだろうと予断を許さない状況の下で状況は刻一刻と変化している。ロシアはウクライナ西部にミサイルを撃ち込み、ウクライナからの予想外に強い反撃で事態が長引き、世界の主流はウクライナを支持している事にプーチンは焦り始めている。早期の解決を望んでウクライナの話を聞く態度になって来つつあるとも言う。

世界中の人がウクライナへの支援を惜しまず、ロシアでも軌道を逸したプーチン離れが進み、早く平和な生活がもどる事を強く祈る。

最後に少しいい話を、ロシア侵攻の正当性を訴えるロシア国営放送の生放送の最中に「戦争を止めて、プロパガンダを信じないで」と、テレビ局スタッフが訴えたと言うニュース。ロシアの反プーチン派の人たちも逮捕覚悟で頑張っている。

露国営テレビでスタッフが「反戦」訴え 生放送中に - 産経ニュース (sankei.com)

 

今週のミーちゃん

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             二足立も出来ます

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           狭い処に潜り込むのが好き

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          女の子だもんお顔のお手入れ

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         ミーちゃんのファーコートは柔らかで肌触りが良い。

春の来る前に

 

連日山沿いに雪が降っている2月18日、また胎内に向かう。

昨夜積もった10cmほどの雪は私の家の周りでは朝にはすでにびちゃびちゃのシャーベット状になっている。曇り空で気温が高いのであまりいい雪ではなさそう。スキーには昨日の方が良かったかもしれないと思いながら、前回良かった正面右側の森の中に切られたコースに行って見る。前回と同じようなコンデションだが、今日はポールが立てられて既に滑った跡がある。それでも、見降ろした左側に残る雪面を滑り降りる。

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今日のスキー板はStockli アルファ、ショートターンに向き、新雪にも使っている

雪が降り出した。大降りの雪でリフトに乗るとウェアに雪が積もる。降りたての雪が少しコンデションを良くしてくれる。奥にある風倉第二ルフトの下にある圧縮されていないコースに入ってみると、荒れているうえの深い雪でポールを刺すと50cm以上埋まって行く。さすがにターンをするだけでやっと。オリンピックの影響か、ついつい頑張って滑ってしまう。結果は帰国後2度目のいい訳の出来ない転倒。起き上がるのが大変。

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昼くらいからはみぞれになりゴーグルに着いた雪が解けて水滴になる。それでも帰り際の数本は雲の間から陽が射してくれた。

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22日にまた胎内にいく。今日は胎内に向かう道中からずっと雪が降っている。日本海側の大雪がニュースになっているが、新潟の下越地方平野部だけが小雪である。これは佐渡が風上にあり、その影響で日本海側の新潟市周辺平野部だけがほとんど積雪が無い。山岳部はそこそこ積もっている。相変わらず駐車場に停まる車は全部新潟ナンバー。日中に一度圧縮された湿り雪は夜間に凍ってがりがりになる。今朝の積雪は3~5cmでスキーには物足りない量で滑ると下の硬い雪に当たる。今回は来るのをもう一日待った方が良かったか?ガリガリの硬いバーンは嫌だ。柔らかな新雪か、マンモススキー場で春先に10時には緩む雪の方がエッジが効いて滑り易くて良い。

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今日のスキー板はStockli SC オールマウンテンのスキー

雪のコンデション的には前回は一日遅かったが、今回は明日の積雪を待った方が良かった。一日早いタイミングのスキーであった。しかし明日は天皇誕生日の休日で混雑が予想される。胎内で最高のコンデションの雪に当たるのはなかなか難しい。

来週からは春めいた気候になってきそう。次に来る時には春スキーになりそう、降雪の中で滑る冬らしいスキーは今回が今季最後になりそうだ・

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車の中でランチをとり、午後からはかなり激しく雪が降ってきて、ゆっくりと雪が積もり始める。午後からは中級者コースは新雪でカバーされて滑り易くなって来た。気持ち良く雪上のターンを楽しむ。

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塩の湯に寄って温泉に入って帰る。入浴料300円は安い。客はほとんど地元民。塩の湯は熱い温泉として有名で、源泉が60度、かけ流しの温度は44度とある。身体を温度に慣らし乍ら入らなければならない。そしてその名の通りここの湯は海水と同じくらいの塩分濃度がある塩辛い湯である。ゆっくりと温泉に浸かって帰り道、雪の中を運転していると今日は熱燗が欲しくなって来た。帰宅後熱燗でいっぱい。

 

オリンピック

今回のオリンピックはカーリングを見ている時間が一番長かった。日本チームはスイスに負けて本人達はそれで終わったと思っていたら、インタビューの最中にスェーデンが韓国に勝って、日本が決勝トーナメント(4位以内)に行けると聞かされて、悔し涙が嬉し涙にドラマのような展開。そして決勝トーナメントで再びスイスと戦い、勝利。これで2位以内が決定した。一投で状況が逆転するスリルに、ずっとハラハラドキドキで応援していたので疲れる。

 

そしてカーリングの決勝が日曜に行われ、決勝戦は大差で敗れたが、2位の銀メダルが決定。最後は残念だったが、チーム力で期待以上に頑張って楽しませてくれた4人に、惜しみない拍手喝采。

平和の祭典ともいわれるオリンピック期間中は中国とドーピングに関するROCのごり押し的な存在感が気になったが、オリンピックが終わるのを待っていたようにプーチン大統領はウクライナへの侵攻を開始した。オリンピック憲章にはオリンピック、パラリンピック中の停戦を求め、ロシアもサインしていたそうだがプーチンはいくつもの約束を破っている。第二次世界大戦で終戦の決まった満州の日本人に襲い掛かったロシアの体質は変わっていない。ウクライナにしろ台湾にしろ、どちらの体制に付くかはそこに住む国民が決めるべきであり、大国が軍事力で強制すべきものではないと思う。

 

今日は2月22日のにゃんにゃんにゃんの猫の日。しかも2022年と6個もにゃんが繋がった猫好きには大切な記念日。帰ってミーちゃんを撫でる。しかし猫はこちらから近寄ると顔をそむけ、エサをあげる家内が居ない時には私にすり寄ってくる。可愛いいけど憎らしいのが猫。200年後の7並びの猫の日にも、猫と人とが心優しく共存している社会であって欲しい。

 

猫の日のミーちゃん

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深雪を滑る + エピソード16

オリンピックが始まり、毎日かなりの時間をテレビを観て過ごしている。疑惑の判定や不可抗力に近い失格や無得点。不可解なスピードスケートのフライイング、ワリエワのドーピング疑惑などネガティブな話題のオンパレードのオリンピックとなっている。もっと単純にスポーツ観戦を楽しめるオリンピックであって欲しいと思いながら観戦、応援している。そんな中、スノボーのハーフパイプで納得のいかない点数をつけられた新潟出身の平野歩夢の最終ランでの会心の逆転劇や、カーリングの藤澤五月の大逆転のミラクルショットなど、オリンピックには結果の裏に感動的なドラマが多々ある。

 

全国的に大雪がニュースになっているが、今冬の新潟市内は、頻繁に雪が降るが、湿った雪ですぐに溶ける。特に海岸に近い私の住む辺りは今年は10cm以上積もったことがない。その10cmの雪もすぐに消えてしまった。同じ市内でも海岸近くと、海岸から3キロほど内陸になる駅周辺とでは積雪はかなり違う。

 

そして、越後平野の外れ山間部にはもっと雪が降る。胎内スキー場に雪が降ったという知らせを聞き2月8日、新雪を滑りに行く。8日はもともと赤倉に滑りに行く予定だったが、まん延防止措置の適用により、新潟市に住む私は参加をキャンセルしていた。ローカルのスキー場は天候が悪い平日でも新雪を求めるコアな地元のスキーヤーが結構きている。

 

今日の雪質は湿った雪なので踏み固められるとすぐに硬くなるが、積もった状態で踏まれていなければ10cmほど積もった雪は滑り易い。正面のロマンスリフトの横にあまり誰も滑らない森の中に切られた狭いコースがある。一度グルームされた上に昨夜降った新雪が積もっている。滑るには丁度いい深さの雪で荒らされていない斜面に自分のシェプールを描ける機会はなかなかない。白い紙を目の前にした書道家の様に、この上にどう跡をつけるか、上から斜面を見下ろして、左側を滑り始める。

f:id:skizanmai:20220208102055j:plainターンに入る前にフワッとスキーの裏で新雪を感じ、外足で雪に乗ってターンに入る。吹き溜まりになった部分は結構深い。リズムを掴んで左右に気持ち良くターンを切る。

f:id:skizanmai:20220208102359j:plainこの一本だけの為にスキーに通ってもいい。至福の時であり格別の一本だった。

 

同じ斜面に戻り、上から見るとまだ右側に深雪が残る。

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新雪の2本目は一回目よりいくぶん細かいショートターン。滑り終えて下から斜面を振り返り、写真を残す。

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スキー場奥にある風倉高原のコースを滑ると雪質は他より良いが雪が降りガスってきた。新雪を数本滑れただけでも来た甲斐があった。来週も雪の予報だが13日に3回目のコロナワクチン接種を受けなければならないので週の前半は大人しくしていなければならないらしい。雪の降る間にまだ数回来たいと思いながら、山を後にする。

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追伸:3回目のコロナワクチンを13日に受けた、一回目、2回目はファイザーだったが、今回はモデルナ。私的には前回のファイザーの時と副反応は同じくらいの腕のだるさと腕を動かした時の筋肉痛のような痛さ。2日目には大分違和感も取れてきた。私にはモデルナでも心配はなかったようだ。自分の為、周囲の人の為、ファイザーを待たないで受けれる時に受けるべきだと思う。

 

エピソード16

アメリカで最もお世話になった一人である私が36年間働いた元California Cartage Companyのオーナーであり社長であったMr.Curryが90歳で亡くなられたと2月10日の朝アメリカの友人から連絡を受けた。私が働いていた間、81年の入社時から退職まで長きに渡りカリーさんがずっと社長であり、85年からは私の直接のボスとして、私にとり異国の地アメリカで恵まれた仕事の環境を与えていただき、安定した生活を築くことが出来たのはカリーさん無しでは出来なかったことである。

 

カリーさんの父親が1945年に創業したトラック会社をアメリカ西海岸最大の物流会社に育てたカリー社長は、さらに会社を大きくして会社組織を全米に広げていった。全米トラック協会の会長も務め、何かあれば業界の為に最初に行動する長年LA/LB港のレジェンド的なリーダーでありカリスマ性のあるジェントルマンであった。

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            私の退職祝いの会食にて。

2019年のカリーさんの退職に合わせ、会社は東部に本社のあるNFIの配下に合併されたが、もともと株式会社にすると株主に会社をコントロールされる事を嫌い、ずっとカリー一族の持つFamily会社として、自分の儲けより会社、従業員の生活を考えてくれる人であった。カリー一家はアイリッシュ系の移民でおじいさんがアメリカの大手石油会社ペンゾイルの初代会長であり、Cal. Cartage創業者のお父さんのニールさんは早くに亡くなったがケネディー大統領のブレインでもあった。LA近郊に牧場を持ち、ドバイの世界競馬ダービーの優勝馬を持っていた名家である。しかしカリーさんは、何時も周りが驚くほどいたって質素に暮らしておられた。

 

私は仕事に関してほとんど「あれをやれ、これをやれ」と、ボスであるカリーさんに指示をされたことはなく、私からの報告を受け、私の自由に仕事をさせてくれた。会社の看板とカリーさんの後ろ盾が無ければ私の今日は無かったと言えるほど私にとってカリーさんの下で働かせてもらったのは幸福な事であった。

 

日本人との交流も多く、カリーさんを惜しむ人は日本にも大勢いる。

最後までお元気で、大好きなゴルフをプレー中に倒れて病院に搬送され、亡くなったと聞いたのが、Mr. Curryを慕う人達へのせめてもの慰めです。

安らかに永眠ください。アーメン

 

今週のミーちゃん

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写真で見ると大人しく見えるミーちゃん、実は寝ている時以外はADHDでないかと思うくらい動き廻る。

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スキー繋がり+エピソード15

前から連絡のあったKさんと胎内で落ち合って滑る事になり、27日、胎内に向かう。Kさんの他にYさん、Hさん、が参加してくれる。彼らは2019年にイタリアのコルチナ・ダンペッツォにスキー旅行に行った時に偶然知り合った人達で、新潟市からのスキーヤーが偶然居たことに驚き、我々がベニスに行く前日に一緒になるはずのスケジュールであったが、その日に連絡先の交換をさせてもらおうと思っていた。しかし彼らはその日をスキー日でなくワインを楽しむ日にしたようで会えなかった。

 

ガイドの清水さんに託したメッセージが彼らに渡り、帰国後連絡を貰った。そして、なんとHさんは私のマンションの向かいに住んでいたと言う偶然。あの時、私が書いて託した一枚のメッセージが繋いでくれた出会いであった。

イタリア・スキー遠征 - skizanmaiの日記 (hatenablog.com)

 

帰国後、連絡を貰い、彼らが80年代の日本のスキーブームを作った映画「私をスキーに連れてって」のスキーシーンの監修をした海和俊宏プロを新潟市に招いた時は、私を誘ってくれて、一緒に会食をした。Yさんとは食事に出て、Kさんとは時たまメールのやり取りをしていたがコロナ禍となり、なかなか一緒に滑る機会が無かった。彼らはコロナ前まで毎年アメリカを車で走る旅行に行っており、スキーとアメリカの旅の話が出来る。

 

今日は曇り空で明日からは雪が降る予報。残念ながら雪質は期待できない。9時半からゲレンデに出て滑り始まる。5本ほど滑って約束の10時半前にロッジに入ると、Kさんと会う。レストラン前でYさん、Hさんに久しぶりに会い、ご挨拶。

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    前をいく3人、皆さん巧いベテランスキーヤー

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                Kさん

皆基本はスキー繋がりの仲間であるが、知って行くにつれ、皆さんなかなかの方々。やはり平日にスキーに来れるのは私のような退職者か、誰にも文句を言われない会長さん社長さんが多いよう。Hさん、Kさんは私より10歳ほど若く、会社の経営者。Yさんは私より6~7歳上で、数年前第一線を退いたそうだが、新潟県の経済界の重鎮で今でも噂では胎内市の半分は彼の物だとか(?)実際、胎内スキー場にも、古くから関わりスタッフ用のシーズン券を持ち、胸には胎内スキースクールの金バッチを付けておられる。「胎内スキー場は胎内市の公営ですか?」と聞いたら「半分はね」と軽く答えられたが、後で思ったが、あれは『残りの半分は私ね』(笑)という答えだったのかもと、思ったのであった。

 

昭和40年開設の胎内スキー場は、新潟下越地方では一番の規模のスキー場で、80年代のスキーブームの時はものすごい数のスキーヤーが訪れたそうで、その頃、雪面いっぱいにスキーヤーがリフトを待つ写真が食堂の前に展示されている。コロナ禍で下越に残る上級者も楽しめるスキー場は胎内だけとなった。ここが閉鎖したら気軽に日帰りスキーの出来る所が無くなる。今後も、営業を続けてくれる事を願うだけである。あ、これはYさんにお願いすればいい事かも。

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皆さん忙しい方たちで、午後から仕事があるそうで、早くに戻らなければならないそうで、すぐに鹿ノ俣ロッジに移動して食堂に入り早々の昼食がギンギスカン。この時間にノンアルビールでジンギスカンは初めての経験である。

 

食事の後、YさんとHさんは午後の予定の為、帰られた。少ししか一緒に滑れなかったが、わざわざ来てくれたことに感謝。Kさんも午後から会社に顔を出さなければならないそうで、それでも1時過ぎまで私と滑ってくれた。硬いコンデションの良くない雪だが、4本ほど滑った一番奥の風倉高原第1リフトの斜面は硬度があり雪質も他より良かった。少し雪が降り始め、気温が下がるのを感じる。私もKさんに合わせて1時過ぎに上がった。

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 胎内スキー場の全景

雪の知らせに2月2日に胎内にもどる。昨晩降った10cmほどの新雪が嬉しい。この雪の為に、天候が悪い中を胎内に通う。少し重いが、踏み固められる前の雪はエッジが食い込み気持ち良く滑られる。一人で滑る時は二通りの滑り方をする。じっくりと金子プロのレッスンを思い出しながら滑る時。そして何も考えずひたすら気持ち良くターンを楽しむスキー。それを交互に繰り返す。ほとんど休みなく3時間滑って駐車場で持って来たおにぎりを食べて、すぐ近くにある胎内パークホテルで温泉に入って帰る。

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風倉第二ペア下のコースは鉄塔の下を通る珍しいコース

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鉄塔の下にて

胎内には、ここを含め、私が入った事のある温泉が3か所ある。割安の公共温泉施設は何時も混んでいる。スキー場に近い胎内パークホテルの温泉は値段は800円と高いが、空いているので、ゆっくりと湯に浸かる。第二露天風呂からは遠くにスキー場のゲレンデが望める。

雪が降ってきた。この天風呂の半分は屋根が無く、顔に雪が降り注ぐ。これもまた良し。今週末はまた降雪の予報。この本格的な冬も今が盛り、今月末には桜の蕾も膨らみだし、春の気配を感じさせることだろう。冬が終わると、春の訪れももうすぐである。

 

エピソード15

世界は広くて狭い。

人との出会い、縁に驚く事がある。広い地球上での偶然の出会い。砂漠で一粒の砂同士が触れ合うような確率の中で記憶に残る偶然に驚く事があった。

エルエーでの日系社会では思わぬ人との繋がりに出会った「友達の友達は友達だ」という状況を何度か経験したことがあった。

 

アメリカで知らずに出会っていた女性で私のアメリカの投資アドバイザーをしてくれているCKさんは出身地が同じ故郷と後で知り彼女は高校の後輩でもあり、私の良く知る同級生で今はスキー仲間でもあるK君の従姉だった。

 

仕事で日本から私のオフィスを訪問した人が高校の後輩で、共通の知り合いが居た事もあった。故郷の人は世界でも方々で活躍している。

 

親友Sさんがサンタモニカで一時借りていた家の家主がKさんという千葉県の出身であった。その後、離婚して日本に帰国して数年で急死された、その時にアメリカに残っていた家族に日本からコンタクトしてきたのが、私がアメリカに上陸した翌日に日航のオフィスで会ったアメリカでの最初の友人であるTさんであった。二人は千葉県習志野の同じ町内で一緒に育った幼馴染であった。

 

その他、出会いで驚いたのは大和レストランで一緒に働いていたTHさんが、私の中学・高校の同級生であるSくんと京都の大学で親しかったと聞いた時、THさんは空手を教ええている空手家でもあり、常にカラダを鍛えていて、私がたまにフラストレーションを発散させたいと言うと、それもトレーニングと二つ返事でお腹を殴らせてくれたりしたのである。そして日本での同窓会の席で、アメリカで貴方を良く知る人に会ったよとS君に伝えた時は誰よりも驚かれた。

 

湯沢のSさんは私がマンモススキー場で偶然声をかけた人であったが、彼は私の親友三島のSさんの知り合いの私も知るKさんを日本から知っていて、Kさんを頼ってアメリカに来たという親しい間柄であった。

(ところで、親しい友人でもなかなか会える機会の少ない人が多いなか、この二人とは頻繁にマンモスに通い、長年密接な関係を保ち続けられたので、ここにもスキー繋がりのおかげが大いにあるのである)

 

2019年のイタリア・スキーの旅にも書いたが、全国から集まったスキーツアー客の中に、新潟市からの4人組のグループが居て、そのうちの一人は私のマンションの斜め向かいに住んでいた。

同じツアーで四日市から来ていたTさんの弟さんが東京で大手物流会社の引っ越し部門で働いていて、私がエルエーから日本へ引っ越す手配をしてくれた米国支店の引っ越し部門で働くスキー仲間でもあるKさんと頻繁にやり取りをする関係であった、などなど、「え!こんなところで繋がりがあったの?」という出来事は頻繁にあった。

 

70年代にヨーロッパ旅行中に会った、これからコンゴ川をゴムボートで下ると言っていた人の冒険の結末を中米で聞いたことも記憶に残っている。

 

初めて海外に出た時、確かに世界は地理的に大きくて、人間の繋がりでは狭かった。あれから更に文明は進み、インターネットで繋がった世界はより狭くなり、世界中の誰とでもすぐに連絡を取れるようになった。いままでも出会いを大切にしてきたが、おかげで偶然出会った人とも連絡を取り続ける事が出来、友達が増え続けている。一期一会の意味も時代と共に変わってきている様に思う。

 

今週のミーちゃん

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湯沢と妙高でスキー

久しぶりの長編です。

一月中旬、本格的な冬らしくなり、ローカルで滑って備え、待っていたスキーツアーに出発する。今回の主な登場人物はどちらもSさんなので湯沢のSKさんと三島のSMさんと記述する。元々、湯沢で三人で一緒に滑る計画をたて、「私は其のあと赤倉へ行くよ」と言ったら、SMさんも行きたいと言い、SKさんは私らの付き添いで行きたいと言う。

 

45年前にアメリカで出会った親友SMさんと、楽しい性格の持ち主SKさん。SMさんが一歳、SKさんが2歳、どちらも私よりわずかに年上。3人ともアメリカに35年以上暮らし、一緒にマンモスをベースにスキーをしていた仲。9年ほど前にSKさんがまず帰国し、4年前に私、一年前にはSMさんが無事に日本へ永住帰国した。日本で3人が揃うのはこれが2回目になる。気の置けない仲間であり、一番一緒に滑りたい二人なので、赤倉も行けたら楽しいのは判っている。

 

予定では1月15日から湯沢のSKさんの所に3泊して湯沢の石打丸山スキー場で2日間滑り、18日の朝、妙高赤倉観光スキー場へ移動して2泊で3日間滑り、20日に湯沢に戻り、まだ体力が残っていれば21日の午前中滑って解散。コロナ禍でのスキーツアーなので、いろいろコロナ対策は考えている。湯沢で3人集まったらまずは抗原検査をして安心してかってと同じように過ごしたい。

 

新潟県の山間部を含む地方は数日前から大雪に見舞われ、交通規制を受ける道路も出てきた。湯沢へ向け出発の朝まで雪が降っているが、新潟市内は気温は0度以上が多くて湿った雪でほとんど積もっていない。SKさんのマンションは湯沢石打丸山スキー場のすぐふもとにある。途中の道路状態が良ければ2時間すこしで着くはずである。SMさんは三島から新幹線で湯沢に午後1時ごろ着くと言うので、私は道路状態も落ち着くと思える10時少し前に新潟市を出る。

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         道路の右端を示すブルーに色付けられた高速道路

長いスキー旅行であり、湯沢から赤倉は3人分のスキー道具を乗せなければならないので結構荷物が増える。途中、少し速度制限を受けるも、雪に降られる事も無く、2時間半ほどで、湯沢に到着。三島のSMさんは12時58分に新幹線で湯沢に着くので、SKさんに連絡をすると、「既に駅の近くにいるので駅で会いましょう」と言う事になり、直接湯沢駅に向かう。

 

駅でSKさんと会って、しばらくするとSMさんも到着。久しぶりの再会を喜び合い、石打丸山のski in ski out の出来るSKさんのマンションへ着く。まずは、3人安心して密で過ごせるようコロナの抗原検査。少し、ドキドキしたが結果は3人とも陰性。これで安心して3人の時はマスクを外して過ごせる。3時から温泉ではないが大浴場に入り、4時から料理もプロ並みの腕を持つSKさんが美味しいつまみ、食事を作ってくれて宴会が始まる。マンモスのコンドで「いないないバー」と称しSKさんに料理を振るまってもらった日々を思い出す。

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SKさんの作品のほんの一部

そこでSKさんが衝撃の告白。「私、恥ずかしながらこの歳で、去年の暮れに結婚いたしました」という。聞いた瞬間「え?財産目当て?」と言う処だったが、人格者SKさんがそんなことをするわけがない。70代での結婚は、コロナ禍で結婚式はせず、婚姻届けだけ出したそうだが、お相手はSKさんが湯沢でやっている陶芸教室の生徒だった方。「え?生徒さんに手を出したの?」と言う処だったが、人格者のSKさんでもそういう事も有りらしい。老後を互いに支え合って暮らす事にしたと言うから、ともかく、暗い話の多い世間で、新年早々に聞く、おめでたい話。今は奥さんは埼玉の方の家にいるそう。御結婚おめでとうございます。

 

翌朝は晴天。私もSMさんも石打丸山で滑るのは初めて。SKさんの案内で滑り始める、朝の雪質はいい。気持ち良くSKさんを追う。SKさんは去年2度大きな手術をしている。彼の健康、体力を心配していたが全く心配なさそう、それどころか強力に他の二人を先導して引っ張り始める。

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石打丸山スキー場の夜明け

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ゲレンデ沿いに食事処が並ぶ

このスキー場のリフトは短めのが多数ある。それだけコースの種類も多いのだが、滑ったらすぐにリフトで休めるのがいいというSMさんは、暖かい三島に住み、帰国以来3年ぶりのスキーで、今日が初日。明日は、かなりの筋肉痛が予想される。そんな心配を無視するかのように、ガンガン飛ばすSKさん。早々とSMさんが不満を言う。「ちょっと、もっとスローダウンするよう言ってやってよ」「ここはトイレ作戦でいくかね?トイレ行きたくなってきたで、休憩に持ち込む?」SMさんと密談で計画を練る。

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         眼下に米どころ南魚沼の平野が広がる

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              SM さん(左)と私
ゲレンデ上に10軒くらい休憩、食事の出来るお店が並ぶ。居酒屋まであってそれぞれの規模は赤倉より小さめだが、これだけチョイスがあると嬉しい。「今は丁度混んでる時間だから」「もう少し」、「もう少し」と、なかなか休ませてくれないSKさん。「地獄の特訓だぁ」と、ペースの落ちるSMさんを、さらにシゴくSKさん。いろんなお店があるが、週末なので結構混んでいる。選んだのはイタリアンのお店で、パスタとビール。

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SKさん

f:id:skizanmai:20220116112413j:plain午後からは雪は幾分硬いが、今日の天候は悪くはない。これからまだ数日続くスキー、初日から飛ばし過ぎか。

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f:id:skizanmai:20220116092126j:plain部屋に帰って、混む前に大浴場へ。その後、お風呂の前に部屋で外した私の腕時計が無いとひと騒動。思わぬところから出てきた。これで安心して飲めると、ワインの買い出しにマーケットへ行く。今日は鳥鍋。SKさんが自分で作った鳥とサーモンの燻製など、『いないないバー』の再開で居酒屋のようなSKさんの料理が出て来るのでお酒が進む。

 

私の時計騒動に限らず、SMさんも、シャンプーが、眼鏡がどこかに行ったとひと騒動、なくしものを探す時間が増えるのは、老化の兆候か。大概何処からか出て来るから、これもまた受け入れないとね。

 

翌朝、「SMさん、身体の具合はどう?足が痛いでしょう?」と聞くと「全然」「あぁ、SKさんシゴキが足らなかったようですよぅ!」窓の外を見て「きれいな雪景色」心洗われる思いと言うSKさんに「ごしごしと洗わなないとね」と毒づく私。

 

朝から重く湿った雪が降っている。ゲレンデに出ると久しぶりの新雪で挑戦のし甲斐がある。そんなに深い雪でないので上の方は滑り易く、嫌いではない。月曜の今日は、昨日と打って変わった空いたゲレンデ。レストランも今日は空いていて何処でも選び放題。ゲレンデにある「居酒屋」での昼食は1000円でランチ定食にビールがついてくる。ここのスキー場は下に食事の出来る街が無いので、そのぶんゲレンデ沿いに様々なお店がならぶ。

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上に行くほど雪は軽くなり、10cmほどの新雪の中を気持ち良く滑れる。コースの横にはかなりの柔らかな雪が残っている。どんどん滑りたいSKさんと、何とか早く休みたいSMさんとの間で調整役をする私。

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           SMさん、やればできる子です

f:id:skizanmai:20220117094647j:plain2時半にはあがり大浴場へ。今日は週末も終わり、大浴場も我々を入れて6名とガラガラ、、、と思ってサウナに入ろうとしたら、入浴客がほぼ全て狭いサウナに集まっていて、サウナからは早々に退散。今夜も斎藤さんが美味しい食事を作ってくれる。美味い酒、気の置けない友人、最高の組み合わせ。先日やっと世間並みに電話をスマホに買い替えたSKさんはラインをセットして文明人の仲間入りする為に奮闘中。

 

18日の朝7時、湯沢から赤倉に向けて出発。外は猛吹雪。30cmほどの雪に埋もれた車を掘り出し、出発。視界も良くない。高田から妙高までは雪の為、高速が閉鎖されていて、下の道を行く。新井の道の駅はまだ開いていなくて、唯一開いていた「すき屋」で少し早い昼食をとる。晴れていたら3時間かからない距離を5時間半かかって妙高の金甚に着いたのは12時半。金子さんが待っていてくれて、手配していただいた格安の3日分スキーチケットを受け取りゲレンデへ。集合時間は1時から、1時半に変更になったと聞いて、なんとか間に合いそう。

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f:id:skizanmai:20220118074529j:plainゴンドラで上がり、エーテルで地元の仲間と合流。高校の同級生が中心のスキー仲間で、今日はH君夫妻と、K君、ゲストのM医師の顔ぶれ。金甚の金子プロにレッスンを受ける。レッスンは順番に滑りながらゆっくりとしたSMさんにもいいペース。今回のテーマは姿勢を低く外脚100%で入るターン。昨シーズンのレッスンを思い出し、さらに新しいレッスンを受ける。後でI君も加わる。

 

夕飯前に、距離を置いて、話す時はマスクをして、寒くても窓を少し開けて換気に努める、という条件の元、一番大きな部屋である我々3人の部屋でウェルカムドリンクと乾杯。陶芸、スキー、料理、アートと何でもプロのように器用にこなすダジャレのSKさんのマンモスでのBBQ用の肉を熊に食べられてしまった話。そういえばSMさんはマンモスでドア越しに熊と押しくらまんじゅうをしている。

 

SM さんはスキーでたまたまリフトで同席しただけの知らないアメリカ人を夕食に呼んで、私が日本食を料理してご馳走したことが何度もある。SMさんは外人受けが良く、スイスで会ったホテルやバーのオーナーに気に入れられ、以降のドリンクが無料になり仕事後の従業員の飲み会にまで招待された話。痛風がでても、松葉杖を突きながらメキシコのリゾート地にいったら航空会社、ホテルでVIP待遇を受けた話などなど。

 

我々の酒の上の失敗談から成功談まで、世界中での楽しい思い出の一部を披露して、驚かれるやら、呆れられるやら。今回は、私の用意できる最強メンバーの中からの二人であり、私が上手く寸胴鍋で煮込んで、かき混ぜて二人のいい味を出してあげるのですから、驚かれて当然でしょう。

 

翌19日は朝から快晴。朝日が妙高に当たり、SMさんは初めて目の前に観る妙高の姿を拝む。朝食時、「昨夜はうちのお年寄り連中が節操も無く酔っぱらって失礼がありましたら申し訳ありませんでした」と皆さんに謝ると、「皆さん、凄い人たちですね」と称賛(?)の嵐。とうぜん「あなたが一番酔っぱらっていたでしょうが」と先輩方からは非難の嵐。

先輩諸氏にも失礼いたしました、、かも。

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朝食の後、金子さんの入れたコーヒーをいただいてからスキーの準備

今日はホテル金甚に泊まったプロスキーヤー岡部哲也、丸山貴雄プロが、金甚のオーナーでありもとデモンストレーターの金子裕之さんと朝からSKITV用のビデオ撮りをすると言うので見学に行く。朝のコンデションは、私が日本に帰国して一番の雪と青空のスキー日和。目の前の新雪の斜面をすっ飛んでいき、更に高速ショートターンでショーオフするプロスキーヤー達。いいものを見せて頂きました。

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岡部プロが滑っているのですが、小さくしか撮れていない

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              撮影隊の皆さん

もともと我々のレッスンの予定が先にあったので、撮影終了後、プロの皆さんに「金子さんをお貸しして頂き有難うございます」と言われた。そして、11時から金子さんのレッスン。12時過ぎにランチを食べながら、アメリカにいるスキーヤーで友人のKさんにラインで挨拶。

午後からまた2時間近いレッスン。金子さんレベルのスキーレッスンを受ける機会はめったになく、誰もが経験出来る事ではない。イタリアスキーツアーで会った新潟市からのスキーヤー達と私も一緒に飲む機会のあった有名な海和俊宏プロとも交流のある金子さんとは、H君が長い付き合いで、我々はかなりの特別優遇を受けている。

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             金子さんのレッスン

今日は一番人気の第三リフトが停まってしまった。我々が乗っている時でなくて良かった。暫くして、ゆっくりと動き出したが、翌日も完全停止だった。

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エートルでランチ

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集合写真撮影

お風呂にはいり、夕食前後、今日も、寒くても換気をしっかりやり、話す時はマスク、を徹底して大部屋で乾杯。夜9時ごろから金子さんに招待されて、談話室モンブランで密にならない様に飲み会。

 

赤倉最後の日は、10時から金子さんが一緒に滑ってくれる。今朝は、ふわふわの『ザ・深雪!』という雪で、こんなふわふわの雪を滑れる機会はめったない。SMさんは3年ぶりで、今回が初滑りであり、5日間の連続滑りは堪えている。「もうマンモスの一年分を滑ったよね」というSMさんはマンモスには滑りに行くより飲みに行っていた方。さすがに五日連続は疲れるのも無理はなく、大人しい。参ったタヌキは目で判る、参ったSさん目で判ると、もう休みたい『休ませろ~ぅ』と、私に目で訴えてくる。「それではこれで、解散しますと」言われた時は一番元気になって、解き放されたポチのように駐車場へと降りていく。

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       金子さんが一緒に滑ってくれた

駐車場で、皆さんに、一緒に滑らせていただいたお礼を述べて、雪道を走り、湯沢に戻る。途中、今月2日に100歳になった、私の母親に顔を見せに高田の実家に数分間寄る。湯沢への道はほとんど雪道。無事に夕方まだ明るい内に湯沢のSKさんのマンションへ戻った。

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             雪の高田城の櫓層

最終日、今朝も湯沢の外はかなりの大雪。佐野さんはもう滑らないと言うが、私は目の前に雪とゲレンデがあるのに滑らないチョイスはない。シーズンチケットを持つSKさんが付き合ってくれて、ゲレンデにでる。深雪に入ると動けないほど湯沢の雪は赤倉に比べると重く湿っているのが実感できる。雪が降ったり、上がったり。時たま風が止むが、視界も悪く厳しい豪雪の中のスキー。2時間ほどのスキーで、11時に上がり。荷物を整理して、湯沢駅前でヘギそばをたべ、SMさんを駅に見送る。「楽しかったね、またね!」

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ヘギそば屋さんで

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SKさんをマンションにおろし、私は一人、雪の中を新潟市に帰る。長岡まではまた猛烈に雪が降っていた。

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世間離れした数日間を過ごしていたが、この一週間で、更にオミクロンの感染は広がり、日本中は大変な事になっていた。オミクロンは風邪ではない。甘く見ないで、来月の赤倉行はキャンセルして、しばらくは新潟市近郊のスキー行きで過ごすつもりである。3度目のワクチン接種まで、気をひき締めて過ごし、またの再会が出来るよう願い、一週間の楽しかった今回の雪国の物語はこれで終了です。

 

WEBサイト: スキー三昧 イン カリフォルニアスキー三昧 (skizanmai.com)

で2012年以前のスキーエッセイがご覧になれます。

 

スキーシーズン到来 + エピソード14

新年明けましておめでとうございます。やっとスキーシーズンが始まります。

 

今季の雪は変わりやすい天候で薄っすらと積もってはすぐに消える。雪が積もらず新潟下越地方ではスキー場がなかなかオープンしなかった。1月2日にやっと胎内スキー場がオープンしたと聞き、急遽3日に初滑りに行く。それにしても新潟市の天候はうんざりするほど曇りの日が多く、とりわけ冬季はカリフォルニアの青空が懐かしい。

我が家から1時間15分ほどで胎内スキー場の雪山に着く。

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今年の一月はコロナ禍ながら、スキーでは忙しい予定を立てている。コロナが極端に広がらなければ1月は15日から湯沢、赤倉と梯子スキーで旧友と6泊の予定があり、今回はその為のスキー用の身体の慣らし運転でもある。2日の胎内まだ全面オープンでなかったので、シニアは4時間券でなんと1500円であった。4時間はシーズン初めには充分な時間である。

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今日の雪はまあ~まあ~のコンデション。去年の滑りを思い出しながらの、筋トレ的なスキーになる。小雪が舞い始める。

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帰りに駐車場を出てすぐ、道路を横切る二匹の猿を見た。奥胎内では何度か見たことがあるが、私の故郷上越では、昔は居たそうだが私は見たことはなかった。そういえば昔、高田公園の中に動物が飼育されていて、日本猿や、今年の干支であるトラのつがいも居た。

 

10分の寄り道で、温泉、『塩の湯』で温まって帰る。我が家のお風呂は年末に栓が壊れてお湯を溜めれなくなり、27日に業者に連絡したら部品が入らず、修理は年が明けてからの6日と言われた。その為、年末年始はお湯につかれずシャワーだけ。寒い日はやはりお風呂が良い。久しぶりの温泉に浸かる。塩の湯は熱い温泉として有名で、42度くらいあり、入る時はかなり熱いが、入ってしまうと気持ちがいい。実はこの温泉、奥の方にさらにマニア向けの45度くらいの極熱温泉がある。前回トライしたが諦めた。今回はトライもしていない。

 

2日間空けて5日にまた胎内にいく。朝から雪が降っていて、スキー場に近づくに連れ、先日とは違った本格的な冬の風景になる。昨夜20cmほど積もったようで、降りたての雪質はかなり良い。そして、昨日まで筋肉痛で歩く事もままならぬ状態だったのに雪が良いと頑張って筋肉痛を忘れて気持ち良く滑れた。遠征前の、来週もう一度滑っておきたい。

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今やマスクはマスト

2月もスキーのお誘いが入ってきているが、新潟にもオミクロンが入り始めておるので、寸前まで様子見をしながら最終的に決めて行こうと思っている。

 

1月10日、3回目の胎内へ。15日から湯沢、赤倉への遠征計画があるので、身体を慣らしておきたい。パッとしない天候が続く日々の合間の晴天の一日。今日は成人の日の連休の最終日。チケット売り場に着くと、物凄く長い列。チケットを買うのに1時間くらいかかりそうで、係員に教えてもらい、穴場であるもう一つのチケット売り場のある鹿ノ俣ロッジに廻ってみたらすぐに購入できた。

天候はいいが、昨日の暖かさで溶けた雪が夜の間に凍結して、朝のうちは何処もがりがりのゲレンデ。それでも青空の元でのスキーは気分が良い。4時間滑って帰宅。

湯沢にいるSさんと電話で打ち合わせ。「湯沢周辺のスキー場ではどのように感染防止策をしてますか?」と聞いたら「リフトに乗る前に一回ごとにPCR検査をしております」と突っ込みどころ満載。相変わらずのダジャレ、冗談好きなSさん、再会が楽しみ。15日からは騙されませんぞ。

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メインロッジのチケット売り場は長蛇の列

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一番奥の風倉高原第一リフトもオープン

    今回も濃厚接触者はいない。15日からの遠征では、宿泊、食事、リフトと密になる場面も考えられる。マスク、消毒は勿論、出来るだけ密を避け、換気のいい状態で、注意深く楽しみたいと思う。                                                                                                                     

Episode 14

私の働いたアメリカの会社はコンテナで輸入するアメリカの大手小売店, ブランドメーカーの顧客を数多く持っ物流会社であり、ロサンジェルス・ロングビーチ港を合わせたアメリカ最大の港湾で20%以上のコンテナ輸送のシェアを持ち、数か所の物流倉庫と税関の検査場なども運営する会社であった。その中で私の一番の強みはアメリカのロジェステックに精通し、会社は他会社ではハンドルできないフラットラックなど特殊コンテナに載ったオーバーサイズの荷物のハンドルもでき、アメリカ西海岸のオフドックとしては最大の規模と設備を持つ会社で働いていた事であった。

 

会社の中でも私が居た施設は一番大きく、端から端まで1.5キロもあり、常に一日4000台くらいのコンテナやトラックの出入りがあった。

 

私のInternational Marketingの主な仕事は、プラント物のハンドリングであり、見積もりからコンテナの輸送、トラックへの詰め換え、全米への輸送迄、どんなカーゴでも一手に引き受けられ、アメリカサイドの輸送上の規則、コンテナへの固定作業などに精通し、日本系の商社、メーカー、ロジェステック会社の駐在員、現地社員に頼りにされ、様々なプロジェクトや特殊カーゴの動かしにかかわる事であった。

 

1980年代は輸入はパイプラインプロジェクトやアメリカ最初のCDの製造工場、半導体、家電メーカー、日系自動車工場、など様々な日系メーカがアメリカ国内や保税の効くメキシコ国境に工場を持つための生産ラインの設備を日本から送り込んで来た。その他、特殊なものではロス・オリンピックの公式CFSとして世界中からオリンピックに使う器具機材を受けた事、梱包を開けたら出てきた禁制の本物の2頭のトラのはく製、一大ブームとなった風力発電機、ロスアンジェルス交通局のメトロラインの車両の輸送、スペースシャトルの燃料タンク、など関わった思い出は多い。

 

輸出では東京ディズニーランド、大阪ユニバーサルスタジオ、日本、台湾への軍事車両、防衛設備、農産物、トヨタの博物館へ送る100台ものビンテージカー、予定通り届かないと紅白歌合戦がハイビジョン放送できなくなると言われた日本最初のハイビジョン中継車、などの多彩な荷物のアメリカサイドのロジスティックに関わった。毎日違う荷が動き、実物を見ずに書類上で動かす人の多い業界で、私の場合、営業から、輸送、トランスロードまで総括する立場であり、そのほとんどを事務所の外の作業現場のヤードに出れば実際にその荷物を見ることが出来たので面白い仕事であった。

 

90年代からは日系会社でもどんどん従業員の現地化が進み、西海岸に上がるカーゴの80%近くが日本絡みであったモノの流れはやがて韓国・台湾へ、そして2000年代には中国へと更に広く日本以外の他のアジアの諸国へと移っていき、雑貨類の輸入国では中国が圧倒的になっていった。しかし、私が退職する時まではまだ生産設備機械の性能は日本製がすぐれており、プラントプロジェクトは続いていており、アメリカでの韓国車も日本製の精密機械で製造されていたのである。

 

面白い時代に、面白いポジションで仕事が出来たのは恵まれた事であった。また、いい時代にいい場所で楽しい人生を過ごせたのは、それを許した両親と、周りの仕事仲間、縁あった友達・知人のおかげと感謝している。

 

今週のミーちゃん

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