Sさんご来県+エピソード4

アメリカでずっと親交のあった一番の友人Sさんを新潟に迎える。45年前、渡米翌年に出会い、仕事仲間であり、旅仲間であり、時にはルームメート、時にはスキー仲間として、途切れることなくアメリカで兄弟の様に過ごした友人である。

私が2年前、永住帰国後初めてロスに里帰り(?)した際にはO君と共に3週間もSさん宅に居候させてもらった。アメリカに住んでいた友人たちも定年などを機会に日本へ帰る人が増え、ついにSさんも去年の11月に静岡三島に永住帰国している。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧 - skizanmaiの日記 (hatenablog.com)

 

先日、O君、Fさんと湯元温泉に行った際、新潟県民向けのGoToキャンペーンがあり、4人そろうと更に安くなるので月岡温泉に行こうと言う話になり、もう一人を誰にしようかと言った時、Sさんの顔が思い浮かんだ。O君もアメリカでのお礼がしたいと言いつつ、なかなかその機会が無かったが、オリンピック前コロナがいくぶん抑えられている今を逃したら、次の機会はこの先何時になるか判らない。いいチャンスのように思え、「おお、それは良いね」という事になり、Sさんに連絡をするとすぐに「是非!お願いします」と返事があったので、予定を進めてきた。

 

その間に一時はほとんど感染の無かった新潟市でも今は一日5人前後と増加傾向にはあるが、そのほとんどが感染経路が判っており、新潟市は都市規模からして全国的にもかなり上手く感染を抑えている都市であると思う。

 

12日12時25分の新幹線で着くSさんを駅に迎えに行く。

新潟駅は改築中なので、迷わないよう前もって地図入りで落ち合う場所を知らせておいた。その新幹線西口改札口出口で待つがなかなか来ない。その後、やっと連絡があり、何故か万代出口を出た東横イン前に居ると言う。駅の地図で言えば対角線上の全く逆の位置。ともかく久しぶりの再会を喜ぶ。遠方より友来る。3泊4日を楽しもう。

コロナの感染予防はワクチン接種も済み、Sさんともラインでやり取りして,ずっと互いに注意して来ている。新潟滞在中は快晴を前提で予定を立てているので天候が心配。駅に来る途中も朝からかなりの雨だった。今日の月曜が一番天候不安定の日なのにサイクリングの予定を入れていた。しかし今回は全員が我こそは晴れ男という晴れ男の集まりのようなメンバーで、駅の外に出ると先ほどまで降っていた雨が止んでいる。気温も下がり、雨上がりの快適な気候となった。

まずは私の家でウエルカム・ドリンクのシャンペンで乾杯の後、サイクリングに出る。北方文化別邸、古町、知事公邸、白山公園、と走り、信濃川やすらぎ提に開いているスノーピーク出店のテント村で一休み。朱鷺メッセで錦鯉を見て、佐渡汽船ターミナル、みなとぴあ、イタリア軒、日本海、水族館を回るツアー。

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白山公園のハス

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県政記念館

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信濃川やすらぎ提

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本当は、ここで生ビールを飲むつもりであったが、財布を忘れてきていた。残念。

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ホテルオークラ

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朱鷺メッセのフォトスポット

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海沿いのサイクリングロード、微かに佐渡が見える

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          雨上がりのライドは気持ちがいい。

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5時45分にFさん、O君に迎えに来てもらって夕食へ。今宵はSさんの歓迎会。Sさんは我が家に宿泊。

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翌13日、朝、Sさんと1時間ほど海岸近くを散歩。そしてMBL大谷のホームランダービーを時間いっぱいまで見ていると10時にFさんが迎えに来てくれ、北方文化博物館へ向かう。ここは米どころ新潟の大地主で豪農であった伊藤家が全国から粋を集めて造ったお屋敷と庭園。私は今回2回目だが凄いお屋敷だ。アメリカ留学経験のあった8代目当主伊藤文吉と連合軍の責任者としてきたラルフ・ライト中尉が同窓生である事が判り、その友情によりこの豪邸は北方文化博物館として残される事になったと言う逸話は感動的である。

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30mの一本杉を使った豪華な造り

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見ざる聞かざる言わざる?

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最後の将軍、徳川慶喜の書

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  阿賀野川下りが次の予定であったが、乗り場に着くと、「増水の為、運休致します」のサインが出ている。またやってくれました。私はこれで3回目の運休で未だにここで船に乗れていない。前回は水量が少ない為と、その前が強風の為、本当に動いている事があるのか?運休の理由を毎回考えるのが大変であろう、などと勘繰ってしまうのである。

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川下りが無くなり、予定よりも早く月岡温泉に着いた我々は温泉街にある足湯に入る。足湯とはいい、若い女性との『混浴』にテンションの上がるシニアたち。3時になってホテル華鳳にチェックイン。月岡温泉のホテルは何処もかなりサービスのレベルが高い。更に一人1万円の県民割引が付き、2000円のお土産購入につかえるクーポンがもらえる。

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ウエルカムドリンクをいただき、チェクインの間、回りに飾られた美術品と、美しい日本庭園に目を奪われる。8階の部屋からは美しい田園風景が。夕方に1時間半、ゆっくりと温泉に入り、6時半からの夕食へ。宿泊の部屋ではなく、別の個室に食事が用意される。食べて、飲んで楽しむ。お酒が入るとO君は恥ずかしさが無くなり、長年受講料を払い続けている英語を使いたがる。時たま彼が造った英語が面白い。

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吹き抜けの中庭、一階部分には錦鯉が泳ぎ、館内を飾る美術品の数々

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大きな窓ガラスの向こうに田園が広がる

お酒を数本持ち込んでいたので担当の仲居さんに「持ち込み料を払いたい」と、言うと、「私は見ていませんから」と、言ってくれた。気持ち良く食べ、飲み続け、気が付けば10時近く、他の部屋の客は既に食事を終えてとっくに引き上げている。後片付けが遅くなるのに、我々の給仕をしてくれた仲居さんは催促をすることも無く、我々が気づくまで待っていてくれた。申し訳ない事をしたと全員反省。どこまでも一級のカスタマーファーストの気遣いとサービスに感心する事しきり。。

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夕食はのどぐろ、村上牛と新発田牛の食べ比べ。

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翌朝、朝湯に入って朝食後、ホテルの庭を散歩、建物の中も豪華だが、見事な日本庭園。

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10時にチェックアウトして城下町新発田に向かう。新発田藩下屋敷であった清水園、現在も残る数少ない江戸時代のオリジナルの建物。

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新発田藩は江戸時代一度も所替え無しの溝口家が藩主を務めたという珍しい藩。お城は内掘りの一部と表門、櫓、石垣が残されているのみ。昼食は市内にあるミシェラン・ガイドに載った「ついしん手紙」という変わった店名のレストラン。手ごろな値段でランチをだしている。

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                         ミシェランの味がランチで食べられる

新潟市へ戻って極楽湯、そして小嶋屋でお蕎麦のセットメニュー。へぎ蕎麦を出す小嶋屋は十日町川西のお店が発祥の地。一歳から10歳まで十日町で育った私は家でも蕎麦と言えば布海苔入りの十日町蕎麦であり、私のソールフードと言える。川西の小嶋屋蕎麦屋には幼少の頃より良く連れて行ってもらった。 

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 新潟最後の夜、SさんはO君宅へ宿泊。

Sさん新潟最後の日、10時にまたFさんに迎えに来ていただき、O邸へいきSさんO君を乗せて新潟のワイナリー、カーブドッジへ。午前中からワインテェースティングで心地よく酔う。天気は良いし、ぶどう畑に囲まれた建物や風景はなんとなくカリフォルニア風。

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県内一番のパワースポット弥彦神社に行って、参拝と森林浴。神社の周りは大木が茂り、涼しさを感じる。願い事の多いO君は神前で長時間のお参りというより祈願。県内で転勤の多かったと言うO君はこの辺りまで良く知っている。昼は彼のお勧めの寿司屋さんで満足感の高いランチのセットが900円しないで食べられた。なにせ、毎日の飲食責めで過食、過飲、この位の量の美味しいお寿司が丁度いい。お酒を飲めないFさんに感謝しつつ、またビールを頂く。

 

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新潟駅ビル内のお酒ミュージアムでは県内の111種のお酒を試飲できる。物知りのFさんは、歴史と女子アナに詳しいだけでなく、下戸なのに県内の酒蔵も良く知っている。Fさん以外の3人は旅の終りまでコロナに罹らないように内臓までアルコール消毒し続けちゃいました。

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駅ビルのお酒ミュージアム

退職して、一番時間が自由になる時期に海外にも行けずコロナ禍の自粛生活。コロナに対抗するにはワクチンしかないが、オリンピック直前の今になってワクチンが十分に入ってこないと言うお粗末さ。今は感染の広がりを見ながら近場の計画をたてているが、体力のあるうちに、早く自由に何処でも行けるようになって欲しいものである。

 今まで随分いろんなところに一緒に旅したSさん。新潟の旅を楽しんでもらえたことでしょう。また、何処かに行きたいね。それまで元気で過ごしましょう。

 

エピソード4

アメリカで学生の時に働いていたベバリーヒルスの隣接区にある「Yamato」は大きな日本食レストランで従業員が100人以上いた。ユニークな人が沢山居て、そこで、ずっと付き合う事になるSさんとの出会いなど、記憶に残る人たちと出会った場でもあった。Sさんは私より一歳年上で、Yamatoには私より数か月後で入ってきて「Sで~す。宜しくお願いします」と、給湯室で挨拶をしてきたのを、ついこの間の様に鮮明に記憶している。それに彼もまたアメリカの前にヨーロッパを旅していた金メダル保持者であった(『70年代初めまでにヨーロッパを旅した人は人生の金メダルを持っているようなものだ説による』渋沢栄一、福澤諭吉、森鴎外しかり、ふむ、ふむ、、、。)ので気が合った。

 

その頃のYamatoには日本全国からのユニークな学生、永住権申請者、アメリカ人と結婚した女性などが集まっていて、「私のパスポートは大日本帝国となってたよ」と言う年配のウエイトレスから、元ボクシングの東洋チャンピオン、剣道の日本選手権で上位入賞者、空手家、料理学校で講師をしていた人、オカマのMさん、アメリカで生まれて日本で教育を受けた帰米2世、それぞれがいろんな人生を送って、あの時、偶然「Yamato」が一緒に働く場所となった。取り分け従業員の半分以上を占める20代の同年輩の人たちには芸達者な関西人、沖縄県民など、キャラの濃い人がいっぱいいて、毎日が楽しかった。

 

紅花のロッキー青木と言えばその頃既にアメリカンドリームを実現した有名人であった。学生レスリング日本選抜で米国遠征し、そのままアメリカに残り、鉄板焼きの一大日本食チェーン「Benihana of Tokyo」のチェーンを作った有名人であり成功者だった。その頃は経営から離れ、スピードボートレース、気球レースなどで活躍していた。ロッキー青木は彼の最初のアメリカへの学生レスリング遠征のメンバーであったTさんがYamatoに居たので訪ねてきたことがあった。

私がヨーロッパであった人がニューヨークの紅花で働いていた時、風の様に表れて、サ~と引いていく嵐のような人であったと聞いた通り、サ~と来てサ~と去っていった。

 

ある時、いかにもとそのスジの者と思える風情の日本からの5人の客が来店した。日本で其の様な団体と付き合いのあった寿司職人のKさんが「あの方は浅草XX会の会長さんだぞ」

私がサーブしていると相棒の関西人Sやんが裏でぶつぶつ言っている。「てめ~ら人間じゃねえ」「Sやん、表に行って言ってきなよ」そんな勇気があるはずがない。

 

Kさんはその後、スペインに渡りレストランを開いたと人づてに聞いた。男気のある寿司職人であったが、コロナ禍のスペインでその後どうしているであろうか。

 

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番外編:我が家の箱入り娘 1

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箱入り娘 2

 

大湯温泉+エピソード3

新潟ではこのところ県でも市でも感染者が5人以下と良い状態が続いている。接種も進んでいるので、いつものO君、Fさんと一泊の温泉旅行に県内の大湯温泉、ホテル湯元へ行ってきた。

9時半に出発して、長岡のパークゴルフ場へ。ここは一人210円でパークゴルフが一日中楽しめる。私はこれが2回目の体験。前回の後、本を借りてパークゴルフなるものの攻略本を読んで、極意を掴んだと(笑い)思ったのであるが、あれからコロナ禍で2年間のブランクとなり、攻略のメモも無くし、何の極意だったか判らなくなっている。 

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スコアよりも、どう楽しむかである。雨と言われていた天候も持ってくれ、36コースを2時間半ほどで回り、軽い運動と昼のビールでパークゴルフを楽しんだのである。

長岡宝徳山稲荷大社の大提灯を見てそこから1時間くらい奥只見・尾瀬方面に走ると大湯温泉に着く。ここは以前にも来たところ。今回は県民割引が2000円、買い物などに使えるクーポン券が2000円付き、更に私以外の二人は誕生日月だったので2500円引きという特典付きである。夕飯の前に温泉で長湯。夕飯はビュッフェスタイルの食べ放題飲み放題がつぃている。久しぶりの温泉宿で、時間いっぱい飲んで食べて楽しんだ。

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翌日、早朝の温泉、朝食の後チェックアウトして長岡に昨年オープンした長岡花火館へ。と、、入り口に「本日閉館」のお知らせ。どうも我々はいい具合に天候には恵まれるのだが、休館日に出くわす。

そこから古民家の江口だんご本店へ、昔は信濃川の中州にあったと言う老舗。上品な甘みを抑えた団子と笹団子が美味しい。

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長岡生姜ラーメンを食べて、みつけイングリッシュガーデンで庭園をみて、爪切りのサワイで工場見学。一つ一つ手造りで丁寧な仕事をする職人さんの姿に感動。ここには新潟県の生んだプロレスラー、ジャイアント馬場が乗っていたと言うフルサイズのキャデラックのオープンカーが展示されている。アメリカでフルサイズのアメ車にも乗ったことがあったはずだが、改めて日本で見るとアメ車のフルサイズはバス路線しか走れないだろうと思うほど大きい事。70年代初めのオイルショックでアメリカでも小型車が主流となり、このサイズの生産は終わっている。

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内容の濃い二日間を楽しく過ごせた。このままのコロナ状況であればと、オリンピックで人が動き出す前にもう一度温泉の計画を立てている。

 

エピソード 3

1978年頃か、ハリウッドに住んでいた私は、その頃私が付き合っていた彼女の友達の旦那がハリウッドにあるレコーディング・スタジオのスタジオ・マネージャーをしていた。そのスタジオでピンクフロイドがアムバムを作っていて、その制作にかかわっていると言う話は聞いていたが、ある日、「ピンクフロイドのマスターテープを持ち帰っているから、聞きに来ないか?」と、連絡してきた。ハリウッド・ヒルにある彼の家に行くと大きな音響設備があり、4人だけでワインを飲みながら其の曲を聴いた。

                

「マスターテープから聴けるという事は、まだ世界中に数10人しか聞いた人がいないピンクフロイドのニューアルバムを聴いてるんだよ』と言われて、聞いた曲はコーラスやいろんな音が入った幻想的な曲で、アルバムになる前の曲を聴く機会を得れた幸運と、贅沢な時間に感謝した。

                

それはその後アルバムになって世に出て、ピンク・フロイド最大のヒットアルバムとなる『ザ・ウォール』であった。

Pink Floyd - Another Brick In The Wall (full version!) - YouTube

P̲ink Flo̲yd - T̲h̲e̲ W̲a̲l̲l̲ (Full Album)1979 - YouTube

その後、『Yamatoレストラン』でピンク・フロイドのメンバーでドラムのニック・メイソンからサインをもらう機会があった。

 

 

 

 

 

 

午後のウオーキング+エピソード2

西日本は何度か大雨に見舞われているが、新潟市はまだまとまった雨が無く、このままでは夏の水不足も懸念される。それでも一年で今が一番いい気温でもある。久しぶりに8.5キロを歩いた。

途中、新潟大神宮、そして何度か行った観光スポットでもある坂口安吾の『風の館』、旧日本銀行支店長宅『砂丘館』に寄る。どちらも古いお屋敷、観光客は少なくて空いていた。

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              新潟大神宮

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砂丘館

後半の2キロは西海岸公園の森の中。都会にいながら山歩きの気分を味わえる。

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自然の残った公園の中の道

そして海岸に出ると砂浜のゴミ集めをする若者の一団がいた。コロナ禍でもBBGで騒ぐ若者が居る中で感心な若者もまだ残っている事に安心。海からの気持ちのいい風にあたりながら、気分良く歩けた。

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8.5キロのウオーキング

ワクチンが広く接種できる状態になって来たが、若者の間ではまだ決めかねている人が36%,打たないと言う人が21%もいるとニュースで言っている。受けない理由が、副反応が若者ほど強く、新しい薬なので5年後に後遺症が出るかもしれない、不妊の可能性があると聞いた。など、いずれも専門家は否定しているのにSNSなどで誤情報が広まっているそうだ。しかし、若者でも罹ったら治っても後遺症が続いて悩まされている人がいる。ワクチンを打たない事による不利益の方が多い事を知って欲しい。

 

エピソード2

私がアメリカで学生をしていた時、センチョリーシティーというベバリーヒルスに隣接する都市計画で造られた一角にある大統領もエルエーに来ると泊まった有名ホテルの中にあった日本レストラン『Yamato』でバスボーイ、そして出世して(?)ウエーターをしていた。ダイニング、鉄板焼きテーブル、日本間、バーのある大きな日本食レストランで、初めて店内に入った時は圧倒されるような高級感のあるレストランだった。なんでも日本から大工を連れて来て、建築資材も全て日本から持って来て造られたという内部はお城の中の様な重厚で豪華な内装であった。

 

客層も豪華で、フロントには予約の際、いろんな情報が入るので教えてくれる。ある日亡くなったエルビスプレスビーの奥さんと子供と弁護士が来店したが、まだ小さかった子供は誘拐の可能性を防ぐため、マスコミにも顔を出していないので宜しくという事だった。エルビスが亡くなってすぐ、まだ娘のリサ プレスリーは小学生の低学年くらいに見えたが、プレスリーの莫大な財産を20歳になったら相続すると発表されたすぐ後で、誰もリサの顔を知らない時代であった。

 

店内に幾つも飾ってる調度品は全て日本で買い集めた文化財級の物ばかり。リサの時ではないが日本間に掛けて有った掛け軸に客の子供が色鉛筆で見事ないたずら書きをしたことがあった。あの時はさすがに日系人の社長は怒っていた。

 

私が見ただけでも、ジェームス コバン、ライフルマンのチャック コスナー 、アルパチーノ、ボナンザ(日本題カートライト兄弟)のロット グリーン、マーロンブランド、大平首相、三船敏郎、ピンクレディーなどなど毎日有名人のお客が来店していた。

 

私はロバートワグナーとナタリーウッドの夫婦にサーブしたことがある。ロバートワグナーにジョニ黒のオンザロックを頼まれたのを覚えている。仲良さそうに見えたが、それから数年後、エルエー沖にあるカタリナアイランドに浮かぶボートの上でナタリーウッドが水死して、ロバートワグナーが重要参考人とされたが今でも真相は判っていない。

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玄関のドアの前で置いていかないでと座り込んでアピールするミーちゃん

 

2回目のワクチン接種+エピソード1

6月6日の午前中、2回目のワクチンを受けた。これで安心と言うわけでなくワクチンの接種を受けても感染する人はいる。しかし、一般的には接種した方が症状が軽く、重症化する確率も小さくなると言われている。

10時に会場に着くと、今回は一回目と二回目の接種者が居るので、前回よりは混雑しているが、それでも密集という感じはない。注射を打ってくれた看護師は一人で4ブースを受け持ち、かなりのベテランとお見受けし、手際が良く、注射針が刺さったのが判らないくらい上手い。たまにそういう職人的な人がどんな分野にもいる。前回同様、帰りに500円のタクシー券がでた。今日は便利な自転車だったし、あまり使う機会はないが、地域活性化のため、何処かで使うつもりである。

新潟県はそれでも接種が上手く行っている方。市町村によりかなり差があるり、上越市は新潟市よりも早い。全国的に大都会ほど予約が取りにくい状態が続いている。イギリスでは3回目の異変株に対応する新しいワクチンを予定していると言う。大人数が早く接種を受ける程、効果も大きいそうだが、日本でも国産のワクチンが普及するまで、この騒動は続きそうである。

接種を受けて6時間ほどになるが、今の処、際立った違和感、痛みは無し。

当日12時間後:

少し肩のだるさを感じるが、今の処一回目の時と大きな違いは無いように感じている。

接種翌朝:

腕を動かすと痛い。動かさなければ痛くなく、大したことない痛さではあるが、もしこれから腕を動かさなければならない仕事に行かなければならないとしたら、少し痛さを我慢すれば出来るだろうが、丸一日は結構きついかもしれない。体温36.4度で変わりなし。

接種翌日、昼:

痛みもほとんどなく、腕を上げたり、重い物を持たなければ問題なし。人により症状は違うでしょうが、私は全般的に軽度の痛みはありましたが、一度目と大きくは変わらず。皆さんも早く接種を受けられますように願い、これで報告を終了します。

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さて、今回からブログの文末にエピソードを載せてみます。
 

エピソード1

1975年の3月下旬、私は初めてアメリカに足を踏み入れた。その直後、アメリカはベトナム戦線から撤退する。サイゴンが陥落しアメリカ大使館の屋上からヘリコプターで最後のアメリカ関係者が引き揚げる歴史的瞬間をアメリカに着いて間もない私はリトル東京の安宿のロビーのテレビで見ていた。

 

70年代の中ごろから音楽界ではウエストコーストブームが起こり。それは80年代初めまで続いて、観光ビザを学生ビザに変えたロック音楽好きの私は夜中もラジオを点けっぱなしでお気に入りの音楽を聴きながら青春を謳歌した。語学学校で出会ったEは腰まで長髪を伸ばした目立つ風貌で、彼と頻繁にロックのコンサートに行っていた。Eは日本でも学生の時からアルバイトで音楽関係の仕事をしていて、出会った時は、フリーランサーのスタジオエンジニアを名乗っていた。フルサイズのアメ車に乗っていて、まだ車を持っていなかった私を送ってくれた。ウエストコーストの中心都市ロスでは毎日新しいヒット曲が生まれ、毎週のように名のあるミュジシャンがコンサートを開いていた。席を選ばなければ末席は学生でも買える値段で、彼の影響で一緒によくコンサートに出かけた。

 

長年のあこがれローリングストーンズのコンサートに初めて行ったのも彼とだった。アナハイムの野外ステージで僕らの席はステージから一番遠い席であったが、一通りの演奏が終わって、アンコールになった時、突然Eが「高志、いくよ!」と声をかけるのでついていくと、観客が立ち上がりアンコールで騒然となった会場で警備員の目を盗み次々と柵と席を乗り越えて、混乱の中を前へ前へと進み、やがてステージの真ん前まで行ってしまった。

 

アンコールのステージの前ではかなりの観客が駆け寄り熱狂している状態。気が付けば僕らはミックジャガーが5mほどの目の前にいる最前列まで接近していた。一番安い席からここまで来たのは僕らだけ、現場を知りコンサート慣れしたEのファインプレー。

 

その後、結婚して家内と同じようなシチュエーションがあったが、家内はビビッてステージ前まで行かないでギブ。今はもっとセキュリティーが厳しくなっているが、昔はアンコールになると熱狂的なファンが席を立ってステージに押し寄せる光景を目の当たりにした。そして私もその中の一人だった。

 

ウェストコーストで開かれた名のあるミュジシャンのコンサートはほとんど行ったが、ある日、話題になっていたポールマッカートニーのウイングスのコンサートがあった。凄い人気でチケットが取れなかった。諦めていた当日の午後、Eが彼の持つコネクションで私の分もチケットを手に入れてくれたそうだが、その頃、携帯の無い時代で私に連絡が取れなかった。今でも惜しいことをしたと思っている。

 

彼はその後、自分の音楽事務所を持ち、一時は日本の大手音楽事務所のアメリカ現地法人の責任者を兼ね、今はシルクロードの曲で有名なグラミー賞ミユージシャン喜多郎を抱える事務所の社長である。

 

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猫に跨る猫のミーちゃん

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テレビを観るミーちゃん

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               爪を研ぐミーちゃん

コロナワクチン接種

今日5月16日に私はファイザー製薬の一回目のコロナ接種を受けた。10日ほど前に新潟市では最初の集団接種の予約を開始したが、私はパソコンで8時半の受付前にフォームを開いて必要な情報を入力しておき、開始直後に接続できて、希望の日時に予約が可能だったので、初日を避けた16日の10時に予約が取れた。市の集団接種の予約は一か所あたり一日240人。15分ごとに10人の予約受付であった。

 

予約時間の10時5分前に会場に着くと旧市役所のロビーであった処に接種会場が築かれていて、ぜんぜん混んでいない。すぐに受付で検温して予診票の確認ブースへ送られ2分ほどの確認が行われ、予診ブースへ。医療関係者からの1分ほどの簡単な予診を受け、接種ブースへ。こちらもは4か所のブースで一人の看護師が注射をして回る。「利き腕でない方の腕に打ちます」と言われ、左手の思ったより上の方の肩に近い部分の外側へ接種。注射針は垂直に結構深く打たれるが、打ち方が上手いのかほとんど痛み無し。会場の案内と諸手続きは全体で15人ほどのボランティアの女性がしてくれていた。

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スムースに接種が済んで、私の場合は15分待機場所で過ごすように言われて、15分(人によっては30分と言われる人もいるそう)経ったら2回目の予約と書類を渡されて「気持ち悪くないですか?」と、聞かれ「何ともないです」と答えて終了。

会場に入ってから出てくるまで25分でした。接種自体は今の処 痛くも、痒くもなくインフルエンザの注射と何ら変わらないものだった。

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9府道府県で緊急事態宣言が出されているが感染力の強い変異ウイルスが広まり、急激に感染が減少に転じる要素も見当たらない。

世界のワクチン接種状況|NHK

オックスフォード大学の統計サイト「Our World in Data」の最新情報に依れば日本のワクチン接種率の世界での順位は人口当たりでは僅か1.1%で世界で36位。英国感染症専門家に「日本は従来のルールにとらわれ、柔軟でなく、準備をしてなかったように映る」と言われている。オリンピックを控えた先進国とは思えないご粗末な対応で惨敗である。なぜこんな状況になったかは製薬会社との口約束で詰めの甘かった政府のせいでワクチンの供給優先順位が低く制約を受けた事と、国内の接種体制の構築遅れである。

アメリカでは普通にドラッグストアでインフルエンザ接種を薬剤師から受けていたし、上級看護師は処方箋も書けると聞いた。日本の資格絶対主義は、このような異常事態では融通が利かず身動きが取れなくなってしまう。筋肉注射をする行為そのものは血管に注射針を入れる必要が無いのでそんなに難しい行為とは思えない。新潟市でいえば一人でかなりの人数を接種出来ていた。注射自体は簡単なトレーニングで誰でも出来るようになるし、参加してくれるボランティアは多い。

 

そもそもなぜ国産ワクチンが作れなかったかは、明らかな政府のミスリードで、ワクチン先進国ではコロナ禍の起きる以前から国が予算を付けて研究・開発を進めていた。パンデミックの危険性は専門家の間では当然起こりうる事態だったといわれていたのに、日本はワクチン製造に熱心でなかった。今のワクチンで変異株にも十分に効いているが、世界的な気候温暖化により、更なる未知のウィルスが出てくると言われている。今回のような緊急事態が発生する前に、それに備えたワクチンの開発と設備投資、人員の育成、法律の改正、水際対策等を用意しておく事が大切だと思う。何事も,事が起きてからでないと動かない政治は日本の国力をどんどん落としている。

 

ここにきて、塩野義製薬が来月からでもワクチンの治験を始め、今年中に国産ワクチンの供給が可能になると発表している。このワクチンは後発ながらなかなかの優れものでワクチンにタンパク質のコピーをする機能を付ける事で少量の量で足り、副作用が少ないと言う。

ただし、先発ワクチンが優先的に接種されている為、承認に必要な大規模な臨床試験を行うのが難しく、代替となる安全性と有効性を評価できる方法を、国や審査機関と協議しているそうだ。それが上手く行けば今年度中に供給がはじまり、来年からのワクチン不足の問題が解決する。技術国日本はやれば出来るのである。国からの滞りない速やかな承認を期待する。

 

ワクチン接種が行き渡るまではともかく、自分で身を守るしかない。スーパーコンピューター富岳によるシュミレーションでは外でもマスクしての会話でも感染する。変異株の感染力はどんどん強くなりクラスターが起き易い状態になっている。すでに1万種を超える変異ウィルスが生まれていて、感染数が多くなれば、更に違う変異株が生まれる。当然その中には今まで以上に感染力、毒性が強いウィルスもあるだろう。だから、今のインドの様にならないうちに感染を抑えなければならない。

今、唯一頼れるのがワクチンであり、今のワクチンが効かない変異株が出ても、将来的にはすぐ新ワクチンが作られて対応できると言う。ワクチンを受ける受けないはもはや個人懸案ではない。ワクチンの十分な供給と注射を出来る人が居て接種のペースが上がればこのコロナを終わらせることが出来る。ワクチンをより多くの人が受けることが、より早く社会レベルの抗体を造り、それだけ早くコロナが終息する。ワクチンはより早く大規模に実施しないと効果が半減するという。

誰も交通事故に遭うのが怖いからと言って外出を止める人はいない。コロナワクチン接種による犠牲者は交通事故に遭う確率よりはるかに少ない。中国のような強制的な私権制限国にならない為にも皆様にも是非とも率先してワクチンを受けられることをお願いしたい。

 

オリンピックは、開催まで後2か月少しとなったが、まだ中止の言葉が何処からも出てこないのはどうやら「中止」と言い出した機関が、すでに大金が動いているテレビ放映権・その他五輪スポンサーへの違約金を支払わなければならないからで、ともかく開催する事で菅首相とIOCとの間で密約が出来ていると文春が暴いている。今は海外からの観客を入れないという事で調整を図っているが、開催の為の最後の一手は「国内観客を含めての無観客オリンピック」を考えているようだ。

いろんな意味で、日本は今、大変な転換期にある。

 

ワクチン接種後、体調に変化があれば、その都度アップデートします。

夕方6時ころ: 肩を動かすと、きわめて軽い筋肉痛のようなジーンとした痛み。動かさなければ気が付かないくらい。他はいつもと変わり無し。10段階の痛さのレベルでいえばレベル1以下。

接種翌17日朝、体温 36.4度:腕を動かすと軽い打撲のような痛さ。しかし夜間は腕を下にすると痛いがしなければ違和感なく眠れた。

17日午後:体温 36.3度 朝方より痛みは減り少し肩がだるい様な感じは残るが、だいぶ良くなってきた感じ。今回の経過観察のアップデートはここまでです。

これらは筋肉注射での当たり前の痛みの範囲内のように思える。これを副作用・副反応というから事がおおきくなり、問題視されるのではとも思う。もっと悪くなる人もいるようだが、ほとんどの人は言われていた通りの軽い痛みでは?今の処、私のは容認できる注射による軽い痛みの範囲内。

2度目の接種は1回目よりきついと言われているので、またレポートします。

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ミーちゃん未公開写真

この写真は今年の1月に携帯のカメラで撮ってずっと携帯の中で埋もれていたものです。

まだ生後2か月くらいだったミーちゃんの未公開写真送ります、小っちゃくて可愛いでしょう。ミーちゃんの猫種はミヌエットといいます。ミヌエットは比較的小型種でペルシャとマンチカンという種を掛け合わせて20年ほど前に出来た新種です。もともと掛け合わせなので、いろんな毛色、毛の長さのものでもミヌエットとして売られています。うちの子は一応、ミヌエットとしての血統書を頂いていますが、ミムエットでも脚が短足の子が人気がありますが、うちの子は中足ですね。血統書によると6っ匹兄妹で、そのうち2匹が短足で4匹は中足・長足でした。ミムエットは温和な性格で、人懐こく、甘えん坊と言われてます。

成猫で4キロといわれますから、うちの子はこれ以上大きくなって欲しくないのですが、可愛いのでつい餌をあげ過ぎてしまいますので、どうなりますか?

 

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これは昨日のミーちゃんです

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日本山妙法寺(インドで出会った人)

=ウォーキング中、水族館マリーンピア日本海の隣にひっそりと日本山妙法寺と看板を掛けた小さなお寺を見つけた。懐かしいお寺の名前である、

50年近く前、私は世界放浪の途中、インドのカルカッタで10日間ほど、日本山妙法寺にお世話になっていたことがある。無料で旅人を泊めてくれる条件は朝晩のおつとめであった。

『旅人、ユーラシアを往く』 (skizanmai.com)

【私の若いころの旅日記です、コロナ禍でのゴールデンウィークで時間のある方は一度読んで見て下さい】

調べたら私がインドのお寺でお会いした創設者藤井日達上人は、その後も世界各地で平和運動を展開され、1985年に100歳で亡くなられたそうだ。

南無妙法蓮華経 

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あのインドでコロナがとんでもないことになっている。感染者が一日で35万人越え、死亡者一日3千人近く。世界ではまだまだ終息がみえない。インドの感染拡大は世界中に関係する問題で、「新たな変異株の発生を抑えるには、私たちの間でウイルスを複製させないことだ。変異株を制御する最善の方法は、現在の世界の感染者数を制御することだ」という。自分が無症状でも人に感染させたらその人が亡くなることもある。だからこそ今、誰もが感染を防ぐ最大の努力をする事が求められている。

 

日本では緊急事態宣言下でも経済的理由で協力が得られないお店がある。給付金の少なさと、売り上げの減少ですでに倒産したお店も多く、鬱になる人、自殺者も多いと言う。職を失った人たちも生活して家族を養わなければならない。世の中にお金が回らないこの状態が続くとこれから大手の会社もつぶれる所が出て失業者が増えて来ることだろう。

今まさに、神仏にすがりたい時代である。

 

ウォーキングを続け海の方へ。それにしても世界の方々で見る海の色はどうしてこんなに違うのだろう。太陽の光と海水に漂う物質が関係しているそうだが、一番見慣れたアメリカ西海岸の海の色は明るく、ここで見る雪国の日本海は暗くて荒い。

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それでも今日は波の無い穏やかな春の海で、佐渡島が良く見えた。

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こちらはウエストコーストの海岸

海岸の手の届く浅瀬に生えたアオサと昆布の種類を食用として採って帰る。本当は漁業権が無ければならないのだろうが、こんな所の海藻を採る漁業関係者はいないだろう。サラダとして、けっこう食せるのである。

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ウォーキングの終りに、家の近く新潟市美術館にあるオープンカフェでコーヒーを一杯飲んで帰える。

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我が家に持ち込まれる物はすべて玄関と開梱の際、ミーちゃんの厳しいチェックを受ける。

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