スペインの旅

First day:

6月に一緒に中国上海の旅に行ったO君から、スペイン旅行の誘いがあったのは中国から帰ったすぐだった。スペインに行ったのは45年も前の事で、記憶も薄れているが、ヨーロッパの中では物価が安く、食事が美味かった事は覚えている。もうこれから先、スペインに行く機会に巡り合う事もないだろう。何とか健康で居れる今のうちにもう一度行ってみたいと思い、即答で参加を決意した。

10月になると予定が混みあっていたので、出発は9月25日、帰国が10月2日の機内泊を入れ8日間のツアーに参加する事になった。ツアーの集合場所と出発は羽田空港。今回も阪急のTrapicsでの団体旅行で、電話での事前説明では、総勢34名に(直前に一人キャンセルが入り、実際は33名となった)、添乗員の中沢さんが全行程を同行してくれる。

 25日の朝、新潟駅、新幹線乗り場のプラットフォームでO君と落ち合い、8時25分新潟駅を出発して、予定通り羽田に向かう。O君は先が長いのに、朝からもう車中にビールを3缶持ち込み飲みはじめる。私も持ってきた一缶でお付き合い。事前の打ち合わせで、他にO君はスペインで飲む為、2リットルの日本酒パックを持って来てくれているはず。羽田の空港で両替をして、阪急交通社のカウンターに行って中沢さんと会う。他の参加メンバー数人とも挨拶して、14時10分、雨の中を離陸して、ルフトハンザで中継地のドイツ・フランクフルトへ向かう。

参加メンバーは我々世代の夫婦が一番多く、退職記念、結婚記念、そして女友達、従妹どうしの2人連れや親子が参加している。旅行中何人かの人と挨拶をかわし、メンバー同士で情報の交換をし、段々と参加者の顔ぶれが判ってくる。上海の旅同様、海外旅行、語学に不慣れな人も多いため、添乗員さん一人では手が回らない処もあろう。私に出来る事はなるべく助けてあげて、全員に楽しい思い出を作って無事に帰ってもらいたいと上海の旅同様、第二添乗員のような思いである。

 機種は最近は少なくなった2階建ての大型ジャンボ機。エコノミーでもルフトハンザの食事は悪くはないし、飲み物のサービスも、日本語対応の映画も充実している。約11時間半のフライトでフランクフルトに着くと、今のEUでは最初の乗り換えハブ空港で入国の手続きをする。2時間の間にEUへの入国手続きと、マドリッドへの乗り換えと忙しく移動。中沢さんはベテランの搭乗員で、全員に渡したイヤホンガイドを使い、要所要所での人数確認、情報の伝達にも抜かりが無い。更に長身で禿げ頭は格好の目印でもある。この後も旅の間、彼のベテランらしい気遣いに感心させられる事になる。 

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9時25分、フランクフルト空港で日本では曇っていて見れなかった中秋の名月が我々を歓迎するように輝く中を同じ航空会社のマドリッド行きの飛行機に乗り込む。席に着くと、中国人が預けなければならないスーツケースを持ち込んで頭上の棚に押し込もうとしていて、キャビンアテンダントに注意され、荷物を機外に出される。

 周りの外人客の間に何となく感じる雰囲気に、黙っていたら、日本人がルール破りをして居ると思われてしまう。そこで中沢さんが “He is not Japanese, Chinese!”と、言ってくれたので拍手を送りたい思い。日本人の誇りと品位を守って来た先人たちの為にも、中々言えない事だが、中沢さんが言ってくれたので、すっきりとした。ヨーロッパの夕暮れは8時過ぎ、満月を左手に見て暫く飛行する。

f:id:skizanmai:20180926040017j:plain2時間少しでマドリッド空港に降りると、すでに真夜中である。手配されていたバスで、空港の近くのホテルにチャックイン。ここのホテルは新しく立派なデラックスルームで広くて豪華で驚きである。しかし、残念ながら二人目からはシャワーのお湯が出ない。ぬるま湯のシャワーを浴びて、寝たのは午前2時近く。

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2nd day

長い移動時間で疲れているのに、あまり熟睡できないまま、朝6時半にモーニングコールを受け、ビュッフェ・スタイルの朝食。早速、中沢さんは各テーブルを周り、ウエット・ティッシュを配り、青じそポン酢と胡麻ドレッシングを出してくれる。今日はマドリット観光。9時にバスで出発すると、スペイン広場で下りて、ドンキホーテの銅像の前で写真を撮り、王宮を彼方に望む。この場所を45年前に訪れた記憶が蘇る。そして、日系のお土産店に寄り買い物、昼食の後、マドリッドの観光の目玉、プラド美術館へ。美術館内では30人以上の団体は入場できないそうで、我々は2つのグループに分かれて鑑賞。それぞれに日本語のガイドさんが付き、更に規定によりスペイン人のガイドが付く。

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 スペイン広場

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このレストランで昼食

プラド美術館はヨーロッパの3大美術館であるが、もともとはスペイン王室の絵画コレクションを公開する為に開館したという。王の贅沢な趣味であり、その分、民は搾取され、泣かされていたのかもしれない。日本の皇室は世界的にも一番質素な存在である。

f:id:skizanmai:20180926200349j:plain日本人のガイドさんは実際には通訳として居り、規則上は『スペインの国家ライセンスを持ったガイドが案内して、それを日本人の通訳が訳す』と言うことだそうだが、実際は日本人のガイドさんが日本語で説明をして、スペイン人のガイドは傍らに立っているだけ、という奇妙な光景である。

 我々のグループに付いた日本人のガイドさんは初老のスペインに長く住む男性で、本職はミュジシャンと伺ったが、美術史の造詣が深く、大きな美術館なのでブェラスケス、グレコ、ゴヤなどに焦点を置いた鑑賞であったが、豊富な知識で止まることなく流れるような絵画の説明であった。

 午後1時頃、プラド美術館の外でオプション・ツアーの古都トレドに行く人達と別れて、5時まで自由行動。その時、初めの計画では自由行動の後スペイン広場で落ち合うはずが、「プラド美術館の前に集合場所が変更になります」という案内が中沢さんからあったが、この変更が後に問題を起こすことになる。我々は街中を散策して、王宮まで足を延ばすつもりで、我々と一緒に途中まで行きたいと言う熊本県庁を10年ほど前に退職された70代中半のお父さんと東京に住む40代の娘さんの親子と歩き始める。

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マドリッドで最も古いマヨール広場で、ルイビトンのバックは狩場の標的でしょう。カモがスリを引き連れて歩く事に成らないか心配です。

中沢さんからマドリットはスリが多いから、くれぐれも注意するように言われていたので、互いに注意し合いながら歩く。途中で娘さんの知っている有名なチョコレート屋さんに寄って、太陽の門広場を通り、王宮へ。人混みの中を王宮に着くまでに、ショルダー・バックに触って来るスリらしい未遂行為を4名で3回も経験する。幸い誰も被害に遭わなかったが、スリの多い街と言うのは本当だと実感し、気を引き締めて、バックを身に引き寄せる。

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チョコレート屋さんの前で

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渋いて古い街並みが至る所に続く

王宮は中に入って見学。スペインが一番勢力の強かった時代の宮殿で、すばらしく豪華絢爛な建物、調度品に圧倒される。その後、再びスペイン広場を通って、カジャオ広場を過ぎたところで3時頃、デパートに寄りたいと言う熊本の親子と別れて、我々はタパス(小皿料理)を食べて飲めるバルを探す。沢山ある中から、通りに面した一軒に入る。席は歩道にあるテーブル。ビールが3.5ユーローで、飲み物に一皿のおつまみのタパスが付いてくる。一杯目のビールにソーセージとハムの小皿がタパスとして無料で出された。一杯で出るつもりだったが、お代わり。2杯目の小皿はオリーブのオイル漬け、これが美味かった。良いお店のチョイスであった。

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豪華な王宮の内部。調度品は撮影不可

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一軒目のバルにて

 ゆっくり歩いて、プラダ美術館まで戻ったが、まだ時間がある。美術館の前の案内所で近くに良いバルが無いか聞いてみる。そこに居た案内嬢がスペイン人であるが日本語を話した。近くのバルが立ち並ぶと言う通りを教えてもらい、そこの一軒に入る。カウンター席でバーテンはバングラデッシュの出身。15ユーローで盛り合わせを造ってもらい、ビールとワインを飲む。スペインの飲食店はメニュー通りの明朗会計であり、料理は日本人の味覚に合っていて外れはない。

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道を確認するO君、都市部では英語を話す人も結構見つかる

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2軒目のタパス

午後5時の集合時間、プラダ美術館に戻り、通りに止まって待っていたバスに乗り込むが、一緒に行って途中で別れた親子が中々戻って来ない。携帯電話は国際ルーミングがされていないと、使えないので、中沢さんの携帯番号は持っているはずだが連絡は入らない。集合場所が変更になった事は途中で『またプラド美術館まで戻らなければならないので、スペイン広場への集合より2倍の距離を歩かなければならない』という、話をしたつもりなので集合場所を間違えたとは思えない。

 皆心配して時間いっぱいまで待つが、夕食のレストランとの予約の時間が迫り、出発するしかない。事故などに遭って居なければ、ホテルの名前で、タクシーで戻ってこれるはず。途中でレストランに寄って、夕食はサーモンのステーキ。中沢さんのポン酢が魚料理に合い、美味しくいただいた。しかし、行方不明の親子の件で「警察に行かなければならないかも知れませんから」と、食事時にも心配する中沢さん。

ホテルのロビーに帰ると、親子が先に帰って待っていて、全員一安心。やはり集合場所を間違えて、スペイン広場に戻ってしまい、間違いに気づいてタクシーでプラダ美術館に行ったがバスは既に出たあとで、またタクシーを拾ってホテルまで戻ったと言う。ともかく無事で良かった。熊本のお父さんは、「やはり貴方がたと最後まで行動すればよかったです。王宮は素晴らしかったです」と、感謝された。

 3rd day

今朝は5時半に起きてホテルで朝食の後、7時半にチェックアウトして、バスでラ・マンチャ地方の風車のある場所に向かう。小高い丘に風車群が見えてくる。今はもう風車は使われていないが、周りの村は感じの良い古い街並みが維持され、観光地として賑わっている。運よくまだ他の観光客が来ていなくて、予定に無い風車小屋の中にまで入って見学する事が出来た。

村のドンキホーテの旅籠屋に寄り、その後、昼食を摂り、バスでコルドバへの長い移動。2時間半トイレが無いと言うので、シニアには厳しい試練で、ビールが飲めない。

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ラ・マンチャの風車小屋

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内部の天井

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水車小屋の窓枠から外を望む

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ドンキホーテの旅籠屋

コルドバに向かう道路の両側はオリーブとぶどうの畑が続く。ここアンダルシア地方はスペインのオリーブの80%を生産していると言う。古都コルドバの世界遺産・メスキータを見学。ここは740年間イスラム教の支配下に有り、イスラム教の寺院であった。メスキータとはモスクの事。その後スペインに取り返されると、カソリックの教会として、改築、増築が繰り返され、2つの宗教が共存する珍しい建築物として、残されている。ここでは日本語を話すスペイン人のガイドさんが案内してくれた。

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f:id:skizanmai:20180927223518j:plainメスキータの周りの小路の続く街並みも美しい。

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 花の小路と呼ばれる場所だが花の季節ではなかった

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昼食後、グラナダに移動。夕食はホテルの中のレストラン。昼食、夕食ともに、何時もビールを飲むが、料金は大体3.5ユーロー。良心的な値段で、街で飲んでも明朗会計はありがたい。しかし、羽田で充分な両替をして来なかったO君はお土産と飲み代で何処かで両替をして貰わないと、残りの日々の飲み代とお土産代が足らない。ここはフラメンコの盛んな街。オプションでフラミンゴのショウに行く人と別れて夜の街を歩いて、AMTで現金を出そうとするが、出来なかった。なかなか両替の出来る場所が無い。

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ここグラナダは大学の多い街で、街の人口の20%が学生だと言う。夜の街は若者が多く、活気がある。近くのマーケットに入ると、大体その国の物価が判る。ビールは一缶80円くらいから、一瓶1000円を超える値段のワインは少ない。スペインの平均月収は12万くらいだそうで、ヨーロッパの中で物価は安く、昔から他国からの観光、避暑客が多い。気候は日中は暑かったが、陽が落ちるとぐんと涼しくなる。

ここのホテルもシャワーのお湯が出なかった。日本人はバスタブにお湯を張る人が多いため、日本人が泊まると、早くにお湯が無くなるという話も聞いたが、定かではない。

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夜のグラナダ 

4th day

アンダルシア地方のグラナダはスペイン4番目の都市。出発は9時45分のロビー集合なので時間がある。朝食後の出発前に街に出て昨晩チャックしておいた銀行に行って、開店と同時に両替を頼むが、ここではやっていないと言いう。もう一軒銀行に行くと、「街の中心街に行けば両替所がある」と言う。そこに行くのに正確にどの位時間が掛かるか分からないし、集合時間には遅れられない、1人の方がフットワークが良いので、一緒に居たO君と二人の婦人に先にホテルに戻ってもらい、O君には、もし私が寸前まで戻らなかったら、スーツケースをロビーまで運んで置いてくれるように頼んで、一人で旧市街に向かう。途中にあったホテルのフロントで両替所の場所を聞き、速足で10分ほど歩いたところで両替所を発見。無事に両替を済ませ、時間内にホテルへ戻れた。

 日本で何年も英会話学校にお金を落としているO君は、英語を使って見たくてうずうずしている。道を聞いたりするのは彼にも

活躍してもらうが、すこし込み入った話は、私がするが、割り込んでもうすでに聞いた事をもう一度聞いているのはどしてか?

日本に帰ったら今月末にミス・インターナショナルの世界各国からの候補者を70名新潟に招いての立食会に招待されているO君。退職前まで複数国の友好協会に属して居て、去年も参加して、英語を話さないお偉いさんの中で数少ない英語の出来る人として、3パターンほどの会話で1時間場を持たせたというから、いろんな才能はある。もっと会話学校にお金を落とさないとね。

 まあ、それは良いとして、45年前と比べると格段にスペインで英語の通じる人が増えていると感じる。昔は都市部でも英語が通じないのが当たる前の国で、買い物やペンションなどではどうせ英語が通じないからと日本語で話しかけたり、絵を描いて説明したりした思い出がある。今は観光立国として、政府の指導も有るのか外国人の行く観光地・ホテルではほとんど英語が通じる様になっている。

 スペイン観光の見所の一つ、アルハンブラ宮殿に行く。ここは日本出発の直前まで予約の確認が出来なくて、代案を考えていたと言う人気スポットである。昼の12時前後の時間帯に予約が取れたのはかなりラッキーなケースだと言う。ここでも日本語を話すスペイン人のガイドが付いてくれた。

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ベネラリフェ庭園

 インドへの航海のスポンサーを探していたイタリア人のコロンブスがポルトガルで断られ、スペインのイザベラ女王にここグラナダで資金援助を承諾されたという場所。其の為、インドと思った実際は新大陸からの資源、財宝は全てスペインに持ち帰られた。そこで南北アメリカンインデアンからの金の搾取、略奪、そして残虐があった事はこの国の観光地では触られる事はなかった。f:id:skizanmai:20180928173715j:plain

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ベネラリフェ庭園から見たアルハンブラ宮殿

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庭園の中で見つけた野生のキツネ

イスラム国の王宮であったアルハンブラ宮殿は城塞でもあり、長くイスラム圏の中心であった。その後、国土回復運動でスペインに陥落され、スペイン王の夏の宮殿となる。庭園を含め広大なアルハンブラ宮殿を観て廻ると、徒歩3.5キロのツアーである。ベネラリフェ庭園を歩き、中庭を通り、予約時間の12時に宮殿に入る。マドリッドの王宮よりイスラム色の強い建築物である。

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昼食はイカ墨煮、ここまでで一番美味しい。

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そこからバレンシアへの移動は7時間の長い移動時間。周りの風景は乾燥した茶色い土壌、水を撒いたとこだけ緑が育つ、ぶどう、オリーブ、オレンジなどで、なんとなくカリフォルニアに似た風景。

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途中の休憩はガソリンスタンドで、椅子が無く立ったまま30分の休憩。これはバスのドライバーが 一定以上の時間を運転したら休まなければならないと言う規則があるからだそうだ。バレンシアのホテルに着いたのは夜中の9時。すぐにホテルのレストランで夕食。夕食後、今日も暫く何人かのメンバーのWiFi の設定を手伝う。皆さん、日本の家族からのメールが楽しみなようで、設定を助けてあげると喜んでくれる。

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バレンシアでの夕食風景

ホテルは石鹸しかなく、他のアミニティーは無い。シャンプーと歯ブラシを日本から持って来てくださいと言った中沢さんに、今時何も出さないホテルは無いだろうと思ったが、スペインの田舎に行くと有るのですね。それと、スペインの旅では充電の為に必ずCタイプのソケットが必要。

何処のホテルでも便器の隣にビデが付いている。日本ではなじみの無い、一見、洗面所の様に見える下半身を洗浄する器具。中沢さんによると、ビデの存在を知らない日本人がそこで洗濯したり、果物を冷やしたりしたという笑えない話が、沢山あると言う。

 5th  day

バレンシアの朝、時間に余裕があり、バスは予定に無かった地元の市場へ寄ってくれた。O君がカメラのSDカードメモリーがいっぱいになって困っているメンバーを連れて来た。話好きなO君は自分の手に余ると私の所に連れてくる。メモリーはいっぱいだが、どれも捨てたくないと言う。せっかくの旅行、それはそうだ。ここでは日本語を話さないガイドさんに頼むと、マーケットでの自由時間に場外にあるカメラ屋さんに連れて行ってくれた。16GBのSDカードを買って帰ったら喜ばれて、釣銭をビール代に頂き、そのうちの1ユーローは場外のカメラ店に案内してくれたガイドさんへのチップ。

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セラーノ門

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ここは地元住民の市場で、生ハムのかたまりがぶら下がり、野菜、果物、お肉、魚と、主に食料品のいろんな品物が出店されている。ここで私はカラスミをお土産に買った。日本では高価な大きなカラスミが10ユーローである。

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生ハム屋さん

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海産物が安い地元民の市場

市場の周りにも世界遺産の古い建物がある。セノーラの門、昔のマーケット・トレード場であったラロンハなど古い建物の壁の色と朽ち具合の織りなす雰囲気がとてもいいが、ここは方々に落書きがある。しかし、その落書きはほとんどが締ったシャッターの上への落書きで、歴史的建造物に落書きはほとんど無い。この街の住民は悪ガキでも最低限のマナーは守っているようだ。

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ランチはスペインの代表料理パレリアが出た。美味しい。ここでは各テーブルに一本のワインと水が付いていた。スペインではレストランで無料の水は出て来ない。お酒を飲まない方も多いので、テーブルによってはワインが余る処も。我々のテーブルは何故かワインの減りが早い。他のテーブルから余ったワインを廻して頂く。 

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移動してタルゴナの水道橋へ。ここまで既に1時間半くらいトイレが無い。この先、まだ1時間ほどトイレが無いと言う。しかし、ここには自然があり、林があり、男性ならどうにでもなる。こっそりと、小路の傍らに逸れてリスク・マネージメント。 

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写真でも観た事のある古代ローマ時代の石造りの水道橋。水が流れる様にわずかな勾配を付けて、石のアーチでこの高さまで組み立てる建設技術は現代でも大変な技術であろう。しかもその橋の幅の狭さは想像以上で両手を拡げたくらいしか無い、良く倒れない物だと感心する。一説によれば、これは悪魔が造った橋で、完成の際、最初に渡ったものの魂が欲しいと言う悪魔に、最初に渡ったロバの魂を捧げたと言う。

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近くのある、地中海のバルコニーと呼ばれる古代コロセウムの跡が残る海の見える観光名所では、穏かな地中海が天候に恵まれて美しく輝く。そこから高速道路に戻って、小休憩。

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地中海のバルコニーから見た古代ローマ時代のコロッセウム

そして、バスは1時間ほどでバルセロナの街中へと入っていく。この街でオリンピックンが開かれたのは1992年。14歳の最年少金メダリストの岩崎恭子の『今まで生きてきた中で、一番幸せです』と、言った話題の言葉からもう26年もたっている。モダンな新市街と、古く美しい街並みの旧市街が同居する美しい都市。

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ホテルに行く前に海岸のヨットハーバにあるレストランで夕飯をとる。ここではテーブルごとに6皿、6種類の料理が出される。実質ツアーとしての外食はこれが最後の食事、相変わらず、中沢さんは各テーブルをウエーターと一緒に回り、ドリンクのオーダーを伝え、ウエットテイッシュ 、ポン酢のドレッシングを配るのに余念がない。添乗員の仕事は24時間、ゆっくりと中沢さんが食事をしている姿を観た事は無い。私はムール貝が好きなので満足の食事。マーケットではこのムール貝が30個くらいで1ユーローで売られていた。

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f:id:skizanmai:20180930013303j:plain食後に外に出てピアを散歩すると、ちょうど夕陽が地中海に沈んでいく。怪しいバラ売りの男が近づく。O君がサッカーの話をすると、日本が大好きだ、無料であげるとバラを一本差し出す。受け取ると、もっと持っていけ。更に押し付けてくる、少しは買ってあげてもいいと、数本受け取って、周りの女性陣にあげて、離れようとしたら、少しお金を置いていってくれ、と言うので、そこまでは判っていたので、5ユーローを渡す。12ユーローと言ってきたが最初は「あげる」と言ったのだからそれ以上は、無視してその場を離れる。

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バルセロナのホテルは新市街に有り、海から2ブロックしか離れて居ない外見も素敵なヒルトンホテル。部屋からはビルの谷間にわずかに海が見える。ホテルの向かいには大きなショッピングモールがあり、夜は10時まで開いているというので、ぶらりと歩いてみる。土曜の夜で9時に近いのに素敵なモールの中は大勢の人で溢れ活気がある。地下2階が大きなスーパーマーケット。

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夜遅くまで混んでいるモールとスーパーマーケット

ホテルに戻ると、こののホテルは部屋からのWiFiは有料で、ロビーでは無料で使えるので、何人かのメンバーのスマートホンにロビーで接続の手伝いをしてあげる。さて、部屋に帰ろうかと思いエレベーターに向かうとフロントのカウンターにメンバーの一人が。

気になったので「どうしました?」と、聞くと「何度、やっても部屋のドアが開かないのです」と、言う。部屋はカードキーで入るが、何度やっても開かないという。添乗員の中沢さんは先ほどショッピングモールの中で見たので、まだ帰っていない。

フロントの人に話すと、「もう一度カードを作り買えたので大丈夫のはず」と言うので一緒に5階の部屋まで行って開けようとするが、黄色のランプが点いて開かない。「奥さんは?」と聞くと、まだ向かいのショッピングモールに居ると言う。

フロントに降りて、もう一度確認してもらうが、「問題は見当たりません、開くはずです」

また5階に戻り、やってみるが、やはりダメ。フロントに強く対応を求めると、今度はマネージャーが一緒に付いて来てくれた。カードキーでは開かないので、マネージャーのマスターキーで試して貰う。そして、マネージャーが「同室者は?」と、聞く、お父さんは「家内はまだモールに居る」と言うが、マネージャーは「このケースでマスターキーでも開かないと言う事は内側から鍵がかけられているケースしか考えられない」と、言う。私がしつこい程、激しくドアをノックし続けると、しばらくして中から反応があり、寝ていたと言う奥さんが出て来た。なんとも、恥ずかしい幕切れ。

6th day

実質、今日が今回の旅の最終日。終日バルセロナ観光となる。

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早朝の向かいのモール

観光名所の多いバルセロナは何処に行っても観光客であふれ、一番人気のサクラダ・ファミリアとカサ・バトリュはどちらもガウディーの作品で、特に団体は、なかなか予約が取れない状態らしい。

まずはグエル公園へ。ガウディーのスポンサーであったグエルの住宅を含む数軒の高級住宅地として、設計、デザインされたが、郊外の丘の上にあったため、その頃は不便な場所とされ、完成をみなかった。ディズニーランドで見る様な奇抜なデザインで溢れる公園。ガウディーが友人のタイル屋さんから割れたタイルを貰って造ったというモザイクタイルで飾られたベンチが美しい。

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中央が添乗員の中沢さん。

このころになると、メンバーも大分親しくなり、色んな情報が入ってくる。中沢さんについては、「あの気配りは、あちら系でなければ出来ないから独身だろう」とか、「結婚して居たら、あれだけ細かい事に気が付く人の奥さんは大変だろう」とか、もろもろの想像であったが、ちゃんと聞いた人がいて、中沢さんは結婚しているそうだ。今回のツアーから帰って3日で、またイタリヤへツアー客を案内して行かなければならないそうで、旅行中は24時間態勢で、体力もいるし大変な仕事である。本当は海外より、日本の温泉が好きなのだそうだ。

 サクラダ・ファミリアの予約時間にはまだ時間があり、予定に無かったカサ・ミラに連れて行ってくれて、30分ほど外から見学できた。今日は自由行動の場所をここから出発と考えていたので、大分時間をセーブできる。ミラ・カサはもともとガウディーがミラ夫妻の依頼で設計した夫妻の為の自宅。夫妻は二階に住み、3~6階は賃貸にしていたと言う。エレベーターの無かった時代は2階が一番良い階とされ、階が上の程家賃が安い、今と逆の事情があったようだ。

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f:id:skizanmai:20180930170334j:plainさて、いよいよ有名なサグラダ・ファミリアへ向かう。スペインで観光客に一番人気のある場所である。1882年に建築を初め、未だに建設中。建物全体で聖書を表すという壮大な取り組みで、完成予定は一応2026年だという。隣接する公園から外観の写真を撮り、中へ入る。今は日本人の外尾さんという方が2名いる主任彫刻家の内の一人として塔の先端の飾りなどを造り活躍されているそうだ。この先何百年と残る歴史的な名所の建設に携われるとは幸せな方である。

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 外尾さんの彫った正面のドア部分

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塔の先端部分も外尾さんの作品、重要な部分を任されている

ガウディーが実際にサグラダ・ファミリアとして設計した資料は残されていないそうだ。設計図は消滅し、大まかな外観のデザインなどが残されていただけだが、その時代・時代の建築家がガウディーの設計構想を推測するといった形で現在も建設が続けられている。長い建設期間中に、建設動力が進化し、軽くて強い建材が使われ、滑車の代わりにクレーンが使われるようになると、細部の設計も変わり、建築期間が100年も短縮されたという。内部はほとんど完成して居て、ステンドグラスの美しい光りが幻想的な光景を醸している。外から見ても、内から見ても、興味深い建物としか、言い表せない。

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美しいステンドグラスが外の陽に映える

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午後1時半に旧市街の中央カターニャ広場で解散して、オプションに参加するグループと別れ、自由行動になる。今日の自由行動は時間制限はなく、明日の朝までにホテルに帰ればいいと言う中沢さん。バルセロナの旧市街は見所がいっぱい。そして、昼食と夕食は各自で食べなければならないので何軒かバルに寄りたい。私とO君を頼るオプションに参加しない8名でグラシア通りを北の歩きはじめ、まずは昼食のためのバルを探す。何ブロックか歩いて、一軒のバルに入り、まずはビールで乾杯。そして、オーダーを任せてもらい、カウンターに並ぶタパスから私とO君で選んで注文。

ここで4人と別れて、「今日の我々はひたすら歩いて広くバルセロナの街を観て廻りたいので、結構、歩いて、結構、飲みますよ」と、言う我々の計画に最後まで付いて行きたいと言う従妹同士の2人のご婦人をつれ、4名でガウディーのデザインしたカサ・バトリョへ。ここは入場者の長い列が出来て居ている。時間を無駄にしたくない我々は外観だけ見て、ここから南へと先を急ぐ。 

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バルセロナを中心とするカタルーニャ地方はスペインから独立しようとしている。街を歩くとアパートのバルコニーに掲げられた赤と黄色のストライプと青地に星の入ったカタルーニャ州の旗が掲げられているのが目立つ。これは独立支持派。しかし、カタルーニャ地方はスペインの大切な経済地区であり、一年前に住民投票が行われ、独立派が勝ったが、スペインが自治権の一時廃止で対抗。今でも激しい抵抗が続いている。

 広くて中央部が大きな歩道になっているランブラス通りを海岸に向かう。

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何軒かバルが並んでビールを飲んでいる人が多い。ここは大きな1リットルの大ビールが10ユーロー。観光客で賑わうこの通りは値段も強気である。この通りは何処もそのような値段だが、そのうちの一軒で昼食を兼ねた2度目の乾杯。そこで道路脇にあるレストランのトイレを使って戻って来た一緒に行動している女性が5分くらいしてタブレット携帯をトイレに忘れて来たと、取りに戻る。この国では絶対に無くなっているケースかと、思ったが無事に見つけてきた。歩道のバルは混んでいるが、レストランの方は客が入って居なかったのが幸いした。

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繁華街を抜け、海岸に出るとコロンブスの塔がある。コロンブスはイタリア人でスペインから援助を受けてインドへ向かった。実際に出発した港は、もっと西にあるパロスという港であったそうだが、塔の上のコロンブスの銅像の手はアメリカを指している。

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途中で休んでアイスを食べ、海を右手に見ながら東に進み、途中の通りから北上して旧市街の中央に有るカテドララル大聖堂へ、隣の博物館が今日は無料公開との事で、入って見る。

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豪華客船も停泊する港町バルセロナ

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歴史の刻まれた城壁の跡

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カテドララル大聖堂

大聖堂の向かいにあるカフェの壁に落書きが書いてると、思ったら、『ピカソの壁画』で、あった。バルセロナに関係のある芸術家として、は他にミロ、ピカソ、ダリが有名だが、素人目には、いづれも絵はヘタ??ハハハ。

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ピカソの落書き?間違いなくピカソが書いたものだそうです

そこからガウディーのライバルと言われた建築家リョイスの傑作カタルーニャ音楽堂をみて、O君の見つけた中々雰囲気の良いレストランで夕食。ここではビールの他にワインを2本空ける。

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カタルーニャ音楽堂

パレリアも美味くて、何時もは私の方が酔うのに、心地よく酔ったO君がお店のウエイトレス、ウエイターに話しかけるので、日本人の品位を保つ為と、全員無事にホテルに帰るまで、気が張っている私はO君が酔うほどに酔いが覚める。地下鉄を使ってホテルの近くの駅で降りて、9時半に二人の婦人をホテルに送り返すと、安心して、向かいのモールへもう一杯、私が酔う為に飲みに出かけたのであった。

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これぞスペインのレストラン、と思わせる店内。最後の夕食は少し贅沢に。それでも一人30ユーローであった。

7th day

ホテル朝食。旅行の前から伸ばしていた髭を昨夜剃ったのに食事も終わりに近くなっても目の前のO君は気づいてくれない。しびれを切らせて私から言うと「おお、全然、気が付かなかった」、「女性の髪型が変わったらすぐに分かるんだけどね。小堺の顔は見てないから」と、憎らしい事を言う。周りの女性には「いい男になった」と、言われたからいいけどね。

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食事の席とバスの席は自由席なので、旅も終盤になり、更にメンバーの詳細が判ってくる。北海道の先日の地震で停電になっていた地方から金婚式の記念に参加した夫婦の奥さんは戦中の北京生まれ。インドに30回も言っていると言う大学教授は奥さん孝行で初めての夫婦でのヨーロッパ旅行。娘夫婦の遅い新婚旅行に付いてきてしまったという横浜の夫婦。ホンダで働いて退職記念で参加した茨木のご夫婦。団体旅行は普段会えない様々な人との会話が楽しみでもある。元金融関係で働いていたというお堅い商売だったのに元ボクシング協会会長風のファッションの方、あっ、それはO君か。やはり、一番変わった経歴は私かもしれないが、団体旅行はお互いに助け合う事が必要なので助けを必要な方がいたら、手伝ってあげたい。第二の添乗員でいい。旅行中は一日3善、食事は一日3膳が目標である。

 港町バルセロナの街は旧市街と新市街は全く違う顔をしていながら、どちらもチャーミングな街である。全体としてまとまった雰囲気なのにそれぞれの建物、通りが個性を出していて独特の街の空気がマドリッドより魅力的に感じる。最後の朝は出発が10時半と遅い。ホテルから2ブロックの浜辺に行って地中海の朝日をみて、海水に触れてみた。

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そしてモールの中に有るスーパーマーケットでオリーブオイル、チーズなど最後の買い物。日本でもチーズは良く食べているので、大きなチーズのかたまりが10ユーローしないので、スーツケースの隙間を埋めれたら、お得感がいっぱいになる。お土産としての肉製品は今、日本へは持ち込み禁止となっている。

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新市街地にはモダンなデザインの建物が多い。2泊したバルセロナのヒルトン・ホテル

バスに乗って空港へ。フランクフルトで乗り換え。空港内のシャトルバスの中で、聞き慣れた英語を耳にして、話しかけたら、やはりカリフォルニアからのアメリカ人。ポルトガルからバルセロナまで豪華客船でクルーズの旅を終え、サンフランシスコに帰るところであった。ここからは、日本よりサンフラの方が飛行時間で3時間ほど近い。来年は日本へ行く予定だというアメリカ人夫婦であった。

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 飛行機の窓からバルセロナとスペインにアディオス!

ルフトハンザで皆が寝ている時間にこっそりとトイレの近くにおにぎりが提供されていると言う中沢さんからの裏情報で日本のおにぎりを機内で食べる。

 雲一つない秋晴れの東京、羽田に降り立つ。最後まで中沢さんが見送ってくれた。凄腕の添乗員中沢さんは、やはりちゃんと見ていて、スペインで私に「何時も最後を歩いてフォローしてくれて有難うございます」と言ってくれていた。迷い易そうな所では常に最後尾を歩くようにしていた。私なら、一人で投げ出されても何処からでも無事に戻れる。

我々も何人かの人に感謝の言葉と挨拶を受け、それぞれがこの旅の楽しい思い出を胸に、また自分の生活の場へと帰っていく。東京駅で久しぶりのラーメンを食べて、新幹線で新潟へ帰る。新潟駅の前でO君に平身低頭で丁寧に挨拶をしてくる人が居たので「古町の客引きかい?」と、からかったら、「ばか言え、あの人は県会議員だよ」イべリコ豚の生ハムを持ち帰った犯罪者のO君がそんなに偉いはずはないが、最後に新潟市では顔の広いO君の落ちが付いて、三越前でバスを下りてO君と別れる。

10月9日にグランドホテルで催される「岩の原ワインを楽しむ会」のディナーの席でまた一緒に飲む予定が既に決まっている。高校の同級生であり、新潟市で見つけた良い飲み友達であり、時には旅の友である。

あっ、9日は日本人の品位に付いての反省会ね。